文/北京の大法弟子
【明慧日本2021年8月18日】石家荘市で1994年3月に行われた師父の2回目の講習会と、1994年6月に済南で行われた講習会にも参加できたことは、私にとってとても幸運なことでした。あの素晴らしい経験は忘れられません。
石家荘での講習会の初日、私は早めに会場に行き、壇上に座って師父を待っていました。学習者が「師父!」と呼ぶ声が聞こえました。背の高い、ハンサムな人が私の方に近づいて来るのが見えました。私も「師父」と呼び、無意識のうちに師父と握手をしようと手を出しました。師父は他の学習者にも応え、顔を向ける前に私に手を差し伸べてくださいました。私は慌ててその手を握りました。師父は私を優しく見つめ、その手は大きくて温かかったです。とても光栄なことだと思いました。
石家荘での法話は、石家荘第一綿布工場のクラブで行われました。クラブの隣には舞踏室があり、舞踏室からの騒音が師の講義の妨げになっていました。担当の学習者は、舞踏室にいる人たちに講義中、静かにするように説得できなかったので、3日目には第三綿紡工場のクラブに移動しました。
クラブの前には大きな東西道路が走っています。クラブは中庭にあり、正門と2つの小さな横門がありました。学習者たちは通常、西側の小さな門からクラブに入りました。
4日目から、北京の学習者と私は毎日、正門の外の歩道で師父を迎えるために待っていました。師父はチェロキー(ジープ)に乗って、毎日正門の外で降りられました。師父が車から降りて来られたとき、私たち2人は手のひらを合わせて「合掌」しました。師父は私たちに手を振られ、私たちは師父がクラブにお入りになるのを見守っていました。何日か続けて、私たちは入り口で師父をお待ちしていました。
ある日、師父は私たち学習者に、体験談を書いて翌日、提出するようにとおっしゃっていました。翌日、私は早めにクラブの入り口に行くと、北京から来た学習者が「もう体験談を書きましたか?」と聞いてきました。私は急いで家に帰って、1ページ書いてから戻ってきました。正門に着くと、師父が車に座って北京の学習者にサインをされているのが見えました。私は5メートルほど離れていました。私は自転車に鍵をかけて、師父のところに歩いて行きました。師父はすでにサインを終え、学習者に本を返されていました。
その学習者は、本を受け取った後も帰らなかったのです。師父が車から降りられるところを2人とも見ていません。車はゆっくりとゲートの西側に移動して止まっていました。私たちはそこまで車を追いかけ、師父が車から降りられるのを待っていました。約10分後、講義が始まろうとしていましたが、私たちはまだ師父が車から降りられるのを見てません。運転手が降りてきて「師父はもうホールに入られましたよ」と言いました。私たちは戸惑いました。師父が車から出て来られるのを見ていないからです。
私たちは急いで会場に入って行きました。私たちが会場に入って間もなく、師父は壇上に上がって座っておられました。私たちの隣には4人の北京の学習者が座っていました。そのうちの1人の若い女性が、壇上に上がって座っておられる師父を見て驚きました。彼女は他の学習者に「師父はいつおいでになりましたか? 私は西門の外で長い間待っていたのですが、お入りになるのを見ていませんでした」と言いました。それを聞いた私も「2人で師父の車を追いかけて10分ほど待ったけど、師父が車から降りられるところを見ていません」と言いました。女性の学習者が「私もほとんど毎日、小門の外で師父を待っていて、毎日師父を見ています。今日は師父がいつ入られたのかを見ていないので、師父はきっと神通力を使われたのではないかと思います」と言いました。
法輪大法を学ぶ前、私は気功が好きでした。私は偽気功の影響を受け、気を出せば病気が治ると信じていました。私の高校の先生は骨の結核でした。省の病院では足を切断しなければならないと言われましたが、家庭の事情で手術をしませんでした。しかし、股間が痛くなり、座っても起き上がれない状態が続きました。その先生が私に治療を依頼してきたのです。当時の私は、そんなことをしたらどうなるかわからなかったので、気の治療をしました。数回の治療で彼は元気になりました。しかし、雨の日や曇りの日には、太ももや股間が痛くて仕方がなかったようです。痛みを解消するためには、ヘトヘトになるまでサッカーをするなど、体を動かすしかありませんでした。
石家荘の講習会から帰ってきたある日、雨が降っていました。私はカフェテリアに食事を取りに行きました。並んでいるときに、痛めていた足の痛みがなくなっていることに気がつきました。講習会の時、師父が私の足を治して下さったのだとすぐにわかりました。
あるとき、済南での講習会の休憩時間に、師父が壇上から降りて来られました。何人かの人が師父にサインを求めたり、質問をしたりしていました。師父が私たちに近づいて来られたとき、私は急いで大法の本を取り出し、師父にサインをしてもらおうと思いました。本を渡すと、師父は私を見て、「もうサインはしてあげたでしょう?」とおっしゃいました。その時は恥ずかしくて、あまり気にしていませんでしたが、後になってよく考えてみました。師父が私の本にサインをして下さったのは、3カ月前のことでした。たくさんの学習者がいたのに、師父はどうして私の本にサインをしたことを覚えておいでたのでしょう? 私は感動して胸がいっぱいになりました。師父の奇跡は私を啓発してくれました。
私の父は脳卒中で、ハンドルを持つこともできませんでした。そんな父が、済南で行われた師父の2回目の講習会に参加しました。師父の2回目の講習会に参加した父は、何十年も吸っていたタバコをやめました。
済南での師父との集合写真を見るたびに、私たちが並んでいる光景が目の前に浮かびます。師父との集合写真には4000人以上の人が写っていました。師父が自ら企画・手配し、数時間かけて撮影したものです。その日の夜、師父は講演をしなければならなかったのです。6月末の済南はとても暑かったのですが、師父は文句一つおっしゃらずに、焦ることもなく忙しくされていて、本当に尊敬しました。
師父の教えを直接聞くことができて、とても光栄でした。この貴重な機会を大切にして、師と大法を信じ、しっかりと自分の修煉の道を歩んでいきたいと思います。