【慶祝513】大法弟子に接し、私も修煉を始めた
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文/遼寧省の新しい大法弟子 純縁  

 【明慧日本2021年7月28日】2020年は平凡な年ではなく、50歳になった私が退職した年でした。

 私は7年ほど宅配便の営業所(以下、営業所)を運営してきて、今年1年間だけで15、16万元の収入がありました。パンデミックの時期にかかわらず、かなり良い収入でした。しかし、家庭内の不和、息子や夫への不満などが原因で私は意気消沈し、7年ほど運営してきた営業所を50万元で売り渡しました。

 営業所を現金化した後、傷ついた心を修復させるために、私は何千キロも離れている別の街に1人で行きました。そこには、7年間会っていなかった友人と弟が住んでいるからです。

 弟は2015年に法輪大法の修煉を始めた大法弟子です。私が来ることを知った彼は、私のために前もって住む部屋を借りてくれました。また、友人も私のために泊まる場所を用意してくれました。

 到着後、私は弟が借りてくれた部屋を簡単に片付けて、翌日に友人のところに行きました。10日後の2020年8月25日、私は再び借間(賃貸住宅)に戻ってきました。私の人生もこの日を境に大きく変わりました。

 私は借間に戻って食事を用意し、仕事を終えた弟の帰宅を待ちました。食事中に、弟は新唐人テレビの「大法の奇跡を目の当たりにして」という番組で、法輪功を修煉したために病気が治ったいくつかの事例を見た時、私は「本当にこんな奇跡があるのか?」と思いました。

 弟が法輪功を修煉していることもあり、それほど抵抗感を持っていなかった私は法輪功に対する先入観を捨て、少しずつ理解し始めました。法輪功を修煉しているために中国共産党(以下、中共)から迫害を受けている人がたくさんいるのを見て、「修煉をやめればそれまでなのに、どうして中共に逆らっていくのか? 良い結末が来ないよ。大法がいくら良くても、命より大事なのか?!」と私は心の中で思いました。

 毎日、弟は法輪大法に関するさまざまな動画を見せてくれて、私は付き添うつもりで見ていました。

 数日後、弟は『轉法輪』を持ってきてくれたので、「政治にかかわらなければ、読むだけなら大丈夫だろう」と私は思いました。そして、あれだけ多くの人が命を落としても、修煉を諦めようとしないこの法輪大法は、一体どれほど素晴らしいものなのか知りたくて、本を読むことにしました。

 それから私は、昼間に『轉法輪』を読み、夜に師父の説法のビデオを見て、その間『共産党についての九つの論評』と『共産主義の最終目的』のビデオも見ました。その後、師父の『オーストラリア学習者への説法』のDVDも何度も見ました。本を読んでいく過程で、私の世界観は大きく変わりました。

 私は神を信じておらず、共産党の嘘に洗脳されていて、世の中には神や幽霊などが存在しないものだと考えていました。わが家では、母がクリスチャンで兄が仙人を崇拝していて、弟も法輪功を修煉しているのに、私だけが無神論者でした。今まで、家族には多くの超自然的な現象が起こっていましたが、私は信じようとせず、それらを一つずつ否定してきました。

 私の考えはそれだけ頑固で堅苦しいものでした。佛道神が本当に存在し、人の運命は生まれた時から決まっていて、大法の師父は衆生を救うために来られた高貴な佛であることが、『轉法輪』を読んで初めて分かりました。

 本を読み、説法ビデオを見ていく中で、私はそれほど深く理解することができませんでしたが、良い人として生きるべきだと思いました。そして、「真・善・忍」の3文字は口にするのは簡単ですが、実行するのはそう簡単ではないと感じました。

 いよいよ、土曜日になりました。毎週の土日、弟は同修たちのところに行っていました。今回は「雰囲気を感じてほしい」と言うので、私は彼に同行することにしました。彼が言うには、私に学法と修煉を完全に受け入れさせるにはやはり難しく、私が法輪大法に賛同しても必ず修煉するとは限らないからです。

 最初に訪れたのは、「二哥」(二番目の兄貴)と呼ばれている法輪功修煉者の家でした。「二哥」の目が悪かったと弟から聞いただけですが、おそらく白髪だらけで顔にしわがあり、背筋がピンと伸びていない小柄な老人だと私は想像していましたが、会ってみて驚きました。黒髪はふさふさしていて、顔に艶があって、目が悪いとも思えず、50代に見える(実際は60歳を超えている)青いTシャツを着た中年のお兄さんでした。

 二哥は、「『長輝』(私の弟の名前)は私の弟のような存在で、ここは彼の家でもあります」と優しく話してくれました。私は感動し、弟がこのような人と一緒にいることに安心感も覚えました。その後、彼は法輪大法がいかに良いのか、いかに素晴らしいかを話してくれました。師父の写真が飾ってある部屋で休むようにと言われて、私は「怖いです」と言うと彼は「怖く感じているのはあなたではなく、あなたの身体に付いているものです。大丈夫です。師父の法身があなたを守って下さいます」と言いました。

 最初、私は緊張していましたが、いつの間にか眠ってしまい、明け方まで寝てしまいました。そして、後尾が見えないほどの多くの袈裟を纏った僧侶たちが目の前の空に現れた夢を見ました。普段は夜2時間置きに起きていたのですが、その夜はぐっすり寝ていました。夢に関して二哥さんが言うには、それはしっかり修煉しなさいと師父が私に下さった啓示だそうです。

 朝食後、同修たちが続々とやってきて、正念を発した後、『轉法輪』を1人1段落ずつの順番で朗読し始めました。私の番になると、二哥さんは「あなたも読んでみてください」と言いました。子供の頃から人前で朗読する勇気がなかった私は、読み間違いを恐れて、とても緊張していました。しかし驚いたことに、1段落を読み終えたところ、単語を一つも間違えておらず、とても上手にできました。次第に緊張が解れて、私はどんどん良く読めるようになりました。

 同修たちはそれぞれの修煉体験を語ってくれました。彼らの多くは中共による迫害に遭ったにもかかわらず、法輪大法の修煉を諦めませんでした。彼らを敬服するとともに、私は彼らの身に現れている法輪大法による奇跡も目にしました。60~70代の彼らの中には、50代くらいにしか見えない人がいて、みな若く見えました。彼らはこの20年間、一度も薬を飲んだことがなく、病院にも行かなかったそうです。

 彼らのストーリーのいずれも私の心に深く響き、私の心を法輪大法に近づけてくれました。

 午後、弟は私を別の同修の家に行きました。彼らはある村に住んでいます。村に入った途端、道路が舗装されていない上、至るところに牛や豚の糞の匂いがしていて、私は嫌気がさしました。「こんなトイレもお風呂もない平屋に泊まるのか? 考えただけで逃げたくなる」と私は思いました。

 最初に訪ねたのはおばさんの王さんでした。60代の王さんはいくつかのグリーンハウス(温室)を持っていて、野菜を売って生計を立てています。弟は彼女にコンピュータの使い方を教え、修理もしました。王さんは私の弟をわが子のように思い、暖かく接してくれました。

 「家にWi-Fiがありますか?」と王さんに聞くとあると言われましたが、接続しても電波が届かず、ダウンロードしようと事前に選んでおいたいくつかのドラマは、なかなかダウンロードできませんでした。王さんの家を出るとき、モバイルデータをオフにするのを忘れたため、たった2時間で100元も使ってしまいました。これは、無意味なドラマに夢中になり過ぎているとの師父からのご啓示だと思いました。 

 二軒目は、王さんの隣に住んでいるおばさんの張さんの家でした。張さんも60代で、田舎者の格好をした、とても温厚で素朴な方でした。私たちが行ったとき、張さんは数人の同修と一緒に学法をしていました。彼女たちは喜んで私たちを迎え、オンドルベッドに座ってと言ってくれました。見回してみると、部屋が思っていたような汚さはすべてなくなり、きれいに片づけられていて、私は心が一気に落ち着きました。

 弟を自分の息子のように暖かく扱ってくれる張さんを見て、私は全身に暖流が流れ込むような感覚を覚えました。今の時代はこういう人が少なくなっていて、人と人との間には本当の情がなく、利害関係と相互利用しかないのです。この法輪大法は本当に素晴らしいもので、人間関係をシンプルで真の情が満ち溢れるものにしたのだと私は思いました。

 オンドルベッドに座った直後、張さんが「法輪大法の弟子たちが歌う歌はとても素敵だよ」と教えてくれたので、私は「では、一曲聞かせてください」と言いました。プレーヤーの電源を入れた張さんは、流したい曲をいくら探しても見つかりませんでした。弟も何度かいじってみましたが見つからず、適当に一曲を選んで聞かせてくれました。1行目の歌詞を聞き、私は思わず悲しくなり、2行目を聞いて涙が止まらなくなり、5行目を聞いたときに、「私も修煉したい」と弟に言いました。結局、私は泣きながらこの曲を聴き終えました。

 歌詞が何だったかはよく分かりませんでした。しかし、音楽だけでも私を震撼させ、ずっと眠っていた本当の自分を目覚めさせてくれました。後で分かったのですが、その曲の名は「迷いから目覚め」でした。「今の人生でミスをせず、帰る機会を大切にしなさい。衆生を救う慈悲は、至る所にあり」という内容の歌詞でした。

 師父はこの歌を用いて私の迷いを打ち破り、慈悲深く私を済度され、法輪大法を修煉し家に帰る機会ができました。真の私が目覚め、師父が弟子たちに与えて下さったのは何だったかを深く知ることができました。この人間の空間での表れとしては、私は無意識のうちに涙を流し、心を痛めていました。その瞬間、私は純粋に法輪大法を修煉したいと思いました。無神論が揺さぶられて、私は急に悟りを得たような感覚を覚えました。

 その後、私たちは一緒に『轉法輪』を勉強したのですが、皆は私が上手に読んでいることに驚きました。私は「師父が教えて下さったのです」と言いました。その夜、私は張さんの家に泊まり、少しの違和感もなく、ぐっすり眠れました。

 次の日、私たちは王さんの娘さんの家に行きました。弟は甲さんの家に行く予定でしたが、甲さんの家にはインターネットがないため、弟は甲さんも王さんの娘さんの家に誘いました。そこで、甲さんが受けた迫害の話を聞き、私は彼女の勇気と知恵を賞賛しました。普通の人なら、迫害の現場に行くと死ぬほど怖くなると思いますが、彼女はまったく恐れていませんでした。彼女は「師父に守られているので、何も怖くありません」と言っていました。

 この日はあっという間に過ぎ、私たちは帰宅しました。夕食後、私は弟と一緒に師父の説法ビデオをもう一度見ました。その後の数日間、私はさらに何人かの修煉者に会い、彼らの修煉体験の話を聞き、法輪大法の素晴らしさと師父の慈悲を実感しました。

 これが、私が大法弟子になった経緯です。私は今日に至り、法を正す師を手伝う道をしっかりと歩んでいます。師父は天目を開いてくださいました。師父が時々刻々と私を見守って下さり、厳しくご指導下さっていることを知っています。

 師父の慈悲なるご済度に感謝し、同修たちの無私な助けにも感謝しています!

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/5/23/426077.html)
 
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