文/海外の大法弟子
【明慧日本2021年8月2日】
お父さん、こんにちは。
お父さんに手紙を書くのは、何年ぶりでしょうか。数十年もの間、お父さんと一緒に暮らした時間は少なく、お互いをよく知っているとは言い難いですが、お父さんが誠実でおおらかな人であることは知っています。実は、私もそれを受け継いでいます。経済的に豊かであるにもかかわらず、お父さんは質素で自律的であり、昔ながらの変わらない伝統的なライフスタイルを貫き、モラルが低下し混乱した局面が日常化していく社会の中で波に身を任せないのも、得がたく貴いことだと思います。
お父さん、もしあなたが自分の人生で利益のために他人と腹を探り合って暗闘しなかったことを誇りに思うなら、私や孫の銘銘のことも喜んでください。その点を受け継いだ私たちも利益に対する貪欲が少なく、利に目がくらんで道義を忘れる人にはなっていないからです。お父さんとお母さんの影響の下、私が品行方正で善悪の分別がつき、常に落ち着いた気持ちで生きていくことができることに感謝しています。
お父さん、今日は手紙を通じて本音を話してみたいと思います。なぜなら、私たちは交流が少なく、私の人生におけるいくつかの選択を理解してもらえず、同意してもらえなかったからです。ごめんなさい。それは私の間違いです。私は自分が経験したことをお父さんに伝えず、お父さんの意見に真摯に耳を傾けることもしなかったのです。お父さんを尊敬していないわけではなく、お父さんやお母さんの前で話すことにおいて、私は大きな心理的プレッシャーを感じるからです。52歳になったにも拘らず、親の前では私は未だに失敗した小学生のような気持ちになり、恥ずかしがり屋で心理的感受性も弱く、両親とのコミュニケーションを避けることが多かったのです。
若い頃の私は体が弱く、病気がちでした。特にお母さんは妹より私のことをとても心配していました。私の夜尿症は母にとっても私にとっても辛いものでした。何度も、夜中に私により、またも布団やマットレスが全部濡れてしまったのを見て、お母さんが大声で感情を発散しながら片付けていたのを覚えています。真夜中の静寂の中で、自分が一家の足手まといになっていると感じた私は生きている意味が分からなくなり、人生を終えようと何度も考えましたが、勇気がありませんでした。
健康状態が悪かったこともあり、同級生は私の病気に因んだあだ名で私を呼んだり、からかったりしました。その結果、私は人より劣っていると感じ、復讐心も強く、向上しようとせず、目指す目標もありませんでした。どうやって大学に入れたのか分からず、どうやって結婚したのかも分かりませんでした。最初に勤めた学校で15年間も教壇に立っていたものの、「糊口をしのぐ」という表現がぴったりだったようです。非正規学校では皆がカツカツの暮らしをしている感じだったので、私もやましいところがなく心は安らかでした。
出産後、私は大病を患いました。夏は厚着をしなければならず、体が熱くなったり冷えたりして、夜はよく眠れず、日中も無気力でした。体力がついていけないので、療養のために無給休暇を取りました。病院はよく通いましたが、なかなか良くならず、吐き気を催すほど漢方薬も飲みましたが、治りませんでした。効き目がある巫術師にまで診てもらいましたが、何も感じませんでした。
ある日、何さんから漢方薬をもらって、お父さんとお母さんのところに向かっていたとき、歯科医院の前にある建物の足場が見えて、「それが崩れて、この身に当たってくれれば私も楽になる」と思いながら、暫くその下でじっとしていたこともありました。その時の私はまさに、ただ息をしているだけでした。
私の苦痛を目にした友人は、「これを読めば役に立つかもしれません」と、1冊の『轉法輪』を貸してくれました。当時の私は、本を読むだけで病気が治るとは思いませんでした。しかし、本を読んだ私はわずか数カ月で身体が大きく変わり、病院に行くことがなくなり、何さんから漢方薬をもらうのもやめました。
半年後、私は仕事に復帰しました。それまでの私は45分の授業でわずか10分しか立っていられず、大半は椅子に座って授業を進行させ、教室の規律が悪くても、見て見ぬふりをせざるを得ませんでした。
法輪大法を修煉してから、ベルが鳴るまでの45分間、私は立ちっぱなしで授業を行うことができるだけでなく、状況に応じてクラスの雰囲気を変え、子どもたちが活発でありながら無秩序にならないようにすることもできました。60~70人の生徒を相手にするには、知力も体力も要りますが、私は以前のどのときよりも楽に教えることができました。
法輪大法を修煉してきた22年間、私は薬を飲んだことも、病院に行ったこともなく、病気と無縁になったことは紛れもない事実です。「一滴の水の恩を涌き出る泉をもって報いる」という言葉があります。お父さん、私が恩知らずになれると思いますか? 何よりも、『轉法輪』は私に人生の答えを与えて下さいました。
病弱で、頭も回らないことで差別されてきた私は、運命が不公平だと恨んでいました。大学3年の時に目が悪くなってからさらに心が苦しくなり、社会に復讐したいという歪んだ考えを持つようになり、物を盗み始めました。大学のショッピングモールで買い物のふりをしながら、私は店員の不注意の隙にカウンターから商品を取って自分のバッグに入れ、自分に必要でないものまで盗んでは捨て、それによって精神的なバランスを取っていました。
社会人になってから、私は野菜を買う際に卵を盗み、1993年までその行動を続けていました。ある日、買ったケーキと盗んだケーキを手にして華生園から出てきたとき、ふと頭上に視線を感じて、私は思わず顔を上げました。青空からある目がずっと私を見つめていました。恐怖に陥った私はどうやって家に帰ったのも分かりませんでした。物を盗んだのはこれが最後でした。華生園の入り口で見たその目は私を恐怖に陥れ、一生忘れることはないでしょう!
汚い行為に終止符を打ったものの、私は心理的には不健康で恨みがましい心を持っていました。今では、私のように子供を産んで大病を患う女性はほとんどいません。これが恨めしくて余計に嫌になりました。『轉法輪』を読んでから、私は人間としての生き方が分かり、なぜ自分に多くの病気があり、なぜ人から見下されるかが分かりました。それ以来、どんな境遇に出遭っても、どんな大きな不公平があっても、私は常に善の基準を持って自分を律すると自分に言い聞かせました。
法輪大法が広く伝えられる時期に出合った自分は本当にラッキーだと思っています。もし法輪大法を修煉していなければ、このような善人でいることが難しい社会の中で、どうやって流れに身を任せずに生きていき、どうやって不公平を前にして自分の良知を消さずに済むか想像もつきません。
孔子は「40にして惑わず、50にして天命を知る」と言っています。私は戸惑うことなくこなせる年頃に返本帰真の道に踏み入れ、人生の本当の意味を見つけたことを嬉しく思います。
お父さん、私は気性が荒くて、ちょっと触られただけで怒ってしまうのを知っていますよね。中学生の頃、同級生に不当な扱いをされた私は机の上に立ってホウキで彼らを叩いたり、あなたやお母さんの前でも不当な扱いを受けるとヒステリーを起こしたりして、生徒たちと仲良く接することもありませんでした。中学2年生の男子生徒と揉めたとき、彼は私の教鞭を奪って私を殴ってきたこともありました。また、女子生徒を罵ったことで校長に叱られ、教育庁から批判の掲示を受けたこともありました。ああ! 今思い出すと自分でも赤面してしまいます。
しかし、法輪大法は私を変えました。後に勤務した学校は地元の重点中学で、先生たちは肩書きやボーナスのために競い合い、かなり複雑な人間関係を築いていました。その中で、時折、私は同僚からの賞賛の声を直接耳にするのです。彼らは、私のことを今の社会では数少ない「犠牲を払うだけで見返りを期待しない」人で、「絶滅危惧種」だと冗談で言っています。
学年主任は軽々しくしゃべったり笑ったりしないおばさんで、私によくこう言っていました。「全校の中で、気持ちの持ち方が一番良いのはあなただけです。あなたを見習わなければなりません」。副校長は私の大学の同期で、ある日、教務室である老教員にこう聞きました。「私のこの同期をどう思いますか?」。老教員は「皆が彼女のようになれば、上司を務めるあなたたちも楽になるでしょうね」と笑顔で答えました。教頭が他の先生に「夏先生を見てごらん。彼女は仕事においてまったく駆け引きをしません。生徒たちは彼女に最高の評価を付けています」と言っています。お父さん、大法を修煉していなければ、私はこのような良い評価を受けることがないでしょう。
教務室の掃除や衛生管理はすべて生徒たちに任せていて、私も悪いとは思いませんでしたが、大法を修煉してから、生徒たちに床を拭いてもらうことに抵抗を覚えるようになりました。それから毎日学校に着くと、私はモップがけや机の拭き掃除を黙々とこなしました。ある日、床の掃除をしていると、お茶を持った老教員は笑いながら「法輪功って凄いですね。うちの怠け者に勤勉さを教えました」と言いました。私が学校を去るとき、学年が集まって会食をしたのですが、そこである男性の同僚がこう言いました。「夏先生、尊敬しています。あなたはきちんとした人なので、普段からちゃらんぽらんで冗談を言いたがる私はあなたの前にいると、無茶なことはできなくなります」
生徒たちは私が他の先生とは違うとよく言います。彼らは内緒でこう教えてくれました。「あなたと某先生(私塾教育を受けたことがあり、再雇用されているおばさん)だけは、あだ名がつけられていません。あなたたちを尊敬しているからです!」。私の生徒を子供として持つ同僚は、「娘はあなたの言葉だけを気に留めます。親はあなたに子供を預ければ気楽にいられます」と言いました。教え子からもらったノートの扉ページには、「私の人生に迷いが生じた時、ある高貴な魂が私のそばにやって来て、導いて下さったことを幸せに思います。先生、あなたを一生忘れません!」と書かれています。
「天安門焼身自殺」は中国共産党が作ったフェイクニュースで、法輪功はテレビで言われているようなものではないとある男子生徒に伝えると、少年は目を見開いて驚いていました。その後、彼は厳粛な表情で私にこう言いました。「先生、あなたが言ったことであれば、すべて信じます」。お父さん、これらの言葉は、私が教師をしてきた中での一番のご褒美です。これらのご褒美は、1999年に法輪大法の修煉を始めてから得られたものです。
同僚から褒められ、生徒から尊敬されている私ですが、師父に感謝し、法輪大法に感謝しています。「真・善・忍」の信仰の力がなければ、染物がめの中にいる私は流れに身を任せるしかなく、正しく身を持して世間の汚れに染まらないことは困難だったでしょう。なぜならば、流れに逆らって行くには勇気が要るからです。
修煉前の私は、利益を重んじていました。思えば、教育研究会から帰ってきて、出張費や旅費を学校に請求する際、同僚は皆できるだけ多くの日数を報告し、私もそうしました。修煉後、私はそうすることをやめました。なぜなら、それが徳を失う行為だと分かったからです。
2000年の初め、学校から最終回の福利住宅の割り当てがあると聞き、一枠しかなく、それがたまたま私の番でした。その後、同僚が上司との良好な関係を利用して、その住宅を手に入れました。同僚たちは皆、「校長に訴えに行きなさい。もうチャンスがないので、あまり弱腰になってはなりません」と私に勧めました。結局、私は行きませんでした。校長は自分が片手落ちなことをしたと知っているので、私に会うといつもぎこちなかったのです。
その半年後、「今回こそが最終回」と言われる新しい住宅の割当ての枠が来ました。校長は二の句を言わずに、すぐに私に割当ての申請用紙に記入するように言ってきました。同僚たちもびっくりしました! なぜなら、その住宅は広さにしても、立地にしても、本校の福利住宅の中では最高のものだったからです。
この事件の後、同僚たちは私をもっと尊重するようになりました。争わなかった私は、より良い結果を得ることができました。この事実は同僚たちに考えるきっかけを与えたでしょう。法輪大法を修煉していなければ、恐らく私も多くの人と同じく利益のために戦い、苦しくて疲れる生活を送っていて、決して大らかに臨むことはできなかったでしょう。
お父さん、人々はみな、人生で追求するものが違い、価値観も違い、それぞれの志を持っていると言えます。今日、私は正義と良知を求めて努力し、奔走していることを誇りに思います。大学時代に共産党に入党した夫はかつて、恩に着るほど共産党を信じていました。私の信念のせいで、彼は数年にもわたって内心の葛藤(離婚したい考えも含めて)に苦しみ、私と喧嘩しました。最愛の息子が「進化論は間違っている」と言っただけで、彼は息子のお尻を蹴り、激怒して家出してしまいました。その年、銘銘は9歳でした。
2008年、私が派出所に不当に連行されたとき、夫は警察に呼ばれました。自宅から派出所まで徒歩10分ほどの距離なのに、歩いてきた夫は膝が血だらけでした。どこかでこけたのかと聞くと、分からないと言いました。警官の前で落ち着いて従順に行動しようとしている彼を見て、私は胸が張り裂けそうになり、悲しくもなりました。外資系企業の副社長として、彼は平素冷静沈着で状況に左右されない印象を人に与えていました。しかし、中共政権の暴威の前で彼が見せた恐怖に満ちた視線は、やはり彼と離婚して、1人ですべてに直面していこうと思いました。
葛藤の末、彼は私のそばに居残ることを選択しました。「どうして離婚届を出さなかったの?」と聞くと、「もうあなたのような良い人は二度と見つからないだろう」と言ってくれました。今日の彼は覚醒し、自ら脱党し、私が正しいことをしているとわかっているので、経済的にも精神的にも黙々と支えてくれています。また、私を応援することで祝福を受けることができると、彼も徐々に信じるようになりました。
経済的にそれほど恵まれているわけではなく、さまざまな理由で3人家族がいまだ揃っていませんが、私たちはお互いを信頼し、衝突もある中で理解し合い、尊重し合っています。私たちの影響の下、銘銘は心身ともに健康で、親孝行を知る優しい子に成長しています。彼に会ったことのある目上の人達のほとんどが彼を好きになり、彼が良い子だと認めています。しかし、これは母親である私の功労ではなく、法輪大法のおかげです。法輪大法を修煉していなければ、私自身も善良な人としての生き方が分からないのに、どのようにして子供の教育について語ることができるでしょう。
お父さん、今もこれからも、お父さんが私のことで恥じ入る思いをすることは決してないと信じてください。代々受け継がれてきた心が清らかな生き方は、一種の家風かもしれませんね。お父さんの人生の思い出の中で、これが誇りとなるでしょう。
今、私と同修たちがやっていることを理解できない人が多く、腹が膨らみ過ぎてやることがない馬鹿だと言い、罵声を浴びせる親戚もいます。しかし、これは同胞たちが善良ではないわけではなく、数十年来、人々は中共の強権に頭を下げて服従することに慣れてしまい、こうして初めて一時の安全が得られると思っているからだと思います。
祖父や祖母をはじめ、親族の境遇を目の当たりにしてきたお父さんとお母さんは、ただ平穏な生活を送りたいという気持ちはよく分かります。母もストレスを受けたくなく、私が中国から離れていくことを望んでいます。私は理解できます。本当に理解しています。お父さんとお母さんはあまりにも多くのことを経験してきたからです。
お父さん、ご存じではないかもしれませんが、私は以前、道端で中学生2人に法輪功の話をしただけで拘留されたことがあります。家族の皆がお父さんに知らせなかったのは、お父さんが怒ってしまうことを恐れていたからです。皆が私の出国を願っているのもこの原因です。しかし、お父さん、知っていますか? 拘置所での経験は、私の人生においては恥ずかしいことではありませんでした。そこで、私は無言の同情と堂々たる賛嘆を得ました!
ある警官が誰もいないところで、声をひそめて私に「私を恨みますか?」と聞きました。私は「いいえ」と答えました。彼はため息をついて、「帰ったらまた煉功しますか?」と聞くと、私は「はい、煉功します」と答えました。彼は頭を下げて「これからは気をつけて下さい!」と囁きました。帰る際、彼は数秒ほど私を見つめ、友人や家族に別れを告げるような口調で「くれぐれも気をつけて下さいね。私たちは帰ります」と言いました。その瞬間、私は自分の境遇を忘れて、彼の優しい思いに喜びを感じました。
鋼材を盗んだ罪で監禁されていたお婆さんが、大声でこう言いました。「ここにいる人たちは皆、悪いことをしたから入ってきました。先生、あなたは冤罪です。私たちとは違います」。麻薬をやっていた若い女の子が私に細かくいろいろと質問した後、最後にこう言いました。「おばさん、あなたが私の本当のお母さんだったら、私は今ここにいないでしょう。外に出たら、必ず大法の本を探して読んでみます」
お父さん、私が中共によって投獄されていたことを恥じないでください。それどころか、あなたの娘は強権に屈せず、傲慢でもなく卑屈でもなく、毅然でありながら対立せず、慈善でありながら尊厳も失わず、警官も心の中で敬服しています。将来、家族が私のことを誇りに思ってくれると信じています。
仁者の勇気とは、恐れがないのではなく、抑圧されても背筋をまっすぐにし、暴力を受けても平和と理性を堅持し、恐れを克服しながら前進していくことだと思います。真・善・忍に同化した後に自然に流れ出るこのような胸襟と徳行は、必ず世人を感化することができるでしょう。私たちはこれを実践しています。
中国の歴史においては、従来、順民と暴民しか存在しないと言われています。しかし、法輪功修煉者は強権に屈したことがなく、暴力に耐えられずに悪をもって悪を制したこともありませんでした。これは、中国の歴史の中でも特殊なケースです。なぜなら、私たちの心の中には偉大な法輪大法があるからです!
親愛なるお父さん、あなたも正直な人です。どうか信じてください。暗い雲が空を覆うことはなく、春は必ずやってきます。「あなたが一束の光であれば、暗闇を照らして下さい。あなたが一束の光でなければ、あなたに必要なのは選択するのみです。目を開いて輝かしい未来を選択しましょう」という素晴らしいセリフがあります。お父さん、あなたも目を開けてください。
お父さん、私は故郷が恋しくて、夢の中でも静かに流れる嘉陵江と素朴な隣人たちが恋しくてなりません。また、私を育ててくれた故郷と両親にも感謝しています。私は中国人であることを誇りに思っています。なぜなら、私の血の繋がりの中には中華文化の理念、すなわち誠実さ、優しさ、そして恩に報いることが溶け込んでいるからです。近い将来、激しい世の移り変わりを経た、美徳のある我が国が再び栄光を取り戻し、真実が明らかになり、人々が正しい道に戻ったとき、お父さんは私を子どもとして持つことを誇りに思うでしょう! お父さんの娘も、この日の到来のために一生懸命努力していた億単位もの善良な人々の一人だったからです。
光栄に思ってもいいのです。なぜなら、私たちは多くの良知のある中国人がやりたくてもできなかったことをやり遂げたからです。暴力も悪口もなく、平和と優しさだけで歴史を塗り替えました。信仰への堅持、および神による加護がなければ、これは不可能でしょう。英雄豪傑になるつもりはまったくありませんが、真・善・忍という信仰の力により、私たちは慈悲に満ちて恐れを知らず、明るく開かれた心の持ち主になったのです。
未来の新世紀の夜明けの光は、必ず善良な人々、善良に属するものです!
お父さん、どうか一生の正直と決して偽善にならない美徳を持って、心の底から私を支持し、正義を支持してください! 天はあなたを祝福するでしょう! お母さんと一緒に、お体を大切になさってください!
娘
二〇二一年三月