【慶祝513】80代の年配者 「大法は世の中の迷いの中で人を済度する」
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文/四川省の大法弟子

 【明慧日本2021年8月28日】私は山間部の郡部で生まれ、今年83歳になりました。清朝末期、私の祖先は、子孫が住めるようにいくつもの通りに小道を作り、県庁所在地のために橋や道路を作り、子孫が無料で学べるように小学校も作りました。家の近くにはいくつかの寺があり、私はいつも寺が好きなのでそこへ行っていました。なぜなら寺には千里眼や地獄耳などの神佛の像があったからでした。

 法輪大法は超常の科学

 私は某大学の定年退職者です。昨年(訳注:2020年)の夏、私は学校の退職事務局に物を取りに行きました。事務局のリーダーの1人が私を知っていて、中国共産党(以下、中共)による法輪大法への迫害が始まった頃に私の家に来て、法輪大法を修煉するなと言いましたが、私は法輪大法がすばらしいと真相を伝えました。

 学校の退職事務局に行くと、リーダーは私に「〇〇さんは、もう80代なのに、髪は黒くて顔は色白でうっすらと赤みがさしていて、100歳まで生きられますね!」と言いました。私が市場に行くと、偶然学校の同僚に会い、みな「80代になっても市場に物を買いに来るんですか?」と言いました。

 法輪大法を修煉する前、私は病魔にとりつかれていました。老眼鏡をかけ、乱視があり、十二指腸潰瘍と慢性萎縮性胃炎を患っていました。医者は「慢性萎縮性胃炎はがん化する可能性があります」と言い、私は心に負担がかかりました。私は慢性萎縮性胃炎の病気を軽減するために、何十年もの間、毎日薬を飲み続けてきました。

 近所に住んでいた院長は、私のために手術をしてもいい、と言ってくれました。しかし私は「両親が与えてくれた体を私は愛し大切にすることしかできない」と思いました。私は必要になるまで手術をしませんでした。私は足の裏に魚の目があり、歩くと足が痛み、よく露天商に行って魚の目を抜いてもらったり、軟膏を塗ってもらったりして、また冬になると、頭に帽子をかぶらなければなりませんでした。

 1994年のある日、私は本屋で『法輪功』という本に出会いました。その本の中で「真・善、忍は宇宙の特性である」と説かれており、私は衝撃を受けました。そこで、本に書かれている法輪大法の師父の教えに従い、真・善・忍の基準で自らを律しました。

 思いもしなかったことに、胃の病気が完全に解消されました。老眼や乱視がなくなり、メガネも必要なくなり、本の小さな文字もはっきり見えるようになりました。

 その後、師父が私の体をきれいにしてくださいました。私は下痢をして、膿に血が混じったような状態のものが出てきました。それ以来、アイスクリームなどの冷たいものも食べられるようになり、胃や腸の状態もすっかり正常になりました。私は無病で全身が軽く、元気いっぱいで、眼鏡をかける必要もなく、視力も若い頃のように良くなりました。

 両足で坐禅を組んでいた時、私は足の魚の目が針のように足の内側から出てくるのが見えました。それ以来、魚の目はなくなり、足の痛みもなくなり、歩くのも楽になりました。冬は帽子をかぶらなくてもよくなり、タイガーバーム(訳注:筋肉疲労、うちみ、ねんざ、神経痛などの外用消炎鎮痛剤)を塗らなくても元気を回復させることができました。私の顔は色白でうっすらと赤みがさしており、病気の感覚がないということは気持ちがよいものでした。

 私の妻は医者で、私が法輪大法を修煉して無病になり、全身が軽くなったのを見て、妻も真・善・忍の基準に従って自分を律し、賄賂のような謝礼を受け取るのをやめました。

 私の長男は薬物依存症で、依存症から脱却するために何十万元も費やしました。その時、私はすでに『轉法輪』という本を手に入れていました。私は息子に「お前の人生はお前自身のものだ。 もし自分の人生を望むなら『轉法輪』をコピーしようか」と言いました。息子は『轉法輪』をコピーしているうちに、全身が熱を帯びてきました。息子はこうして依存症から脱却しました。

 息子の息子である孫は、大人になってからも、いまだに話すことができませんでした。孫は重慶病院に運ばれましたが、治りませんでした。その後、私は「法輪大法の力は偉大だ」と思いました。夕食後、私は孫を連れてバスに乗り、大法の音楽「普度」を聴かせたところ、孫は喜んで聞きました。

 その後私が「法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい」と念じると、孫も喜んで聞きました。最後に、孫は自分で念じました。その後、私が『論語』を念じたところ、孫は一緒に学び、一緒に暗記しました。孫は普通に話ができるようになりました。法輪大法は非常に徳の高い大法であり、超常的な科学でした。

 私が法輪大法を修煉することによって、家族が恩恵を受けました。すべての人が恩恵を受けることを私も願っていました。私は職場で大法の師父の説法ビデオや功法を教えるビデオを流してみんなに見てもらい、ボランティアで功を教え、多くの人が大法を学びに来てくれました。冬休みや夏休みには、自分の故郷を含めて地方に行き、より多くの人が恩恵を受けられるように法を伝えました。

 「あなたたちは私たちの希望です」

 1999年7月20日、中共は狂ったように法輪功を迫害し始めました。2000年、私は重慶の大法弟子と一緒に北京に行き法輪大法のために正義の声を上げ、中南海に行って陳情しました。私は中南海の警察に40分もスタンガンで撃たれ、部屋中に肉の焼ける匂いが充満しました。

 私は心の中で師父の詩「生きて求めるもの無く 死しても惜しまず 妄念を蕩尽すれば 佛を修するは、難しからず」[1]を静かに念じ、私は外に出ました。見てみると、自分の全身は正常であり、本当に奇跡でした!

 その後、私の職場は北京に人を送り私たちを重慶に連れて帰りました。私たちを捕まえに来た人たちは、一緒に座ってトランプをしたり、騒いだり、お菓子を食べて床を汚したりして、電車の乗務員に注意されました。私たち大法弟子が乗っていた車両は、整然としており、清潔で、特別静かだと列車の乗務員に褒められました。列車を降りた時、若い労働者が私の前で親指を立て「あなたたちは私たちの希望です」と言いました。

 北京から重慶に戻った後、私は重慶沙坪壩白鶴林留置場に不当に拘禁されました。留置場の若い男女の2人の警官が私に「なぜ北京に行ったのですか?」と聞きました。私は「法輪功の師父は私たちに真・善・忍を修煉するよう教えており、 私たちは真・善・忍に従って良い人になり、より良い人になり、最終的には超常的な人間になります。私はもともと十二指腸潰瘍と慢性萎縮性胃炎を患っており、20年以上も病院で治療を受けていましたが治りませんでした。大法を修煉した後、すべて治りました。これは何と素晴らしいことでしょうか!」と言いました。男性警官は「それではあなたの師父は偉大な神で、あなたは小さな神ですね!」と言いました。

 私は法輪大法の修煉を諦めなかったため、中共による大法に対する迫害の中、重慶西山坪労働教養所に不当に拘禁され迫害されました。

 若い学生が大法を暗唱する

 重慶西山坪労働教養所で、大足県出身の若い麻薬中毒者がおり、その若い麻薬中毒者は大学生でした。その大学生のベッドは私のベッドとつながっていて、その大学生は私が大法弟子であることを知っていました。ある日、その大学生は私に「法輪功の一節を私のために暗唱していただけませんか?」と言いました。私は「いいですよ」と言いました。私は『論語』を暗唱してその大学生に聞かせました。

 私が暗唱し終えると、その大学生は「暗記したいです」と言いました。そこで、私が一文を暗唱するとその大学生がその一文を暗記し、私が全部暗唱し終えるとその大学生は全部暗記しました。すべて暗記した後、その大学生は私に「大法は私を別人のように変えてくれました」と言いました。

 ある日、職場の退職事務局の党書記が1人の人を連れてきました。刑務官は私をドアのところに連れていき、書記に会いました。学校の書記は警官に対して厳粛に「なぜ私たちの学校の優秀な人材をここに留めておくのですか?」と言いました。警察は言葉を失いました。私が退職する前は、学校の評定をめぐって、みんな熾烈な競争を繰り広げていました。ただ私だけが争いませんでした。

 当時の学校の党書記が私に「共産党がいいか、それとも法輪功がいいですか?」と尋ねました。私は断固とした態度で「私は法輪功を選びます」と言いました。

 法輪大法の偉力は本当に大きい

 師父は私たち大法弟子に真相を伝えさせ、人々を救わせ、これは大法弟子の責任と使命です。真相を伝え始めた時、私には恐れる心があり、私はいつも「あなたに恐れ有らば 它は直に抓む 念を正にすれば 悪は直に崩れる 修煉の人 法を持っており 正念を発すれば 爛鬼炸く 神が世に在りて 法を実証す」[2]という師父の法を暗唱していました。

 最初は私は親戚や友人から始めて、ある程度経験を積んでからは、買い物や出かける時を利用して真相を伝えました。現在(訳注:2021年5月)、路上で出会う人や車内で出会う人すべてに、私は真相を伝えることができるようになりました。私は常に自分の心を安定させ、多く学法し、正念を強く持つようにしていました。真相を伝える時は心の中に慈悲を持ち、心が穏やかで気持ちを落ちつけて伝えると、より効果的でした。

 私には遠い親戚が広東省陸河県に住んでいました。ある日、その親戚が私の家に来て、顔を合わせた後、その親戚は息を呑むような声で「私はすでに70代で、体がよくありません。 家族がすでに私のために墓地を買い、棺桶を購入し、さらに死装束も作りました。私はすぐに死んでしまうでしょう」と言いました。

 私はまずその親戚に大法の音楽「普度」を聴かせました。私はその親戚に「いいでしょう?」と聞くと、その親戚「いい音楽です」と言いました。私はその親戚に大法の真相を伝え、その親戚はとてもよく聞いてくれ、さらに順調に三退しました。私はその親戚に「法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい」と心を込めて念じるように言ったところ、その親戚は承諾しました。その親戚が再び私の家に来た時には、その親戚の体はすでに元気になっていました。

 ある私の親戚は客家人(はっかじん)で、広東省の農村に住んでいました。ある日、その親戚は私と会って「あなたが私にくれたこれ(大法の真相のお守り)はとても役に立ちました!」と興奮して言いました。私は「どのように役に立ったのですか?」と聞くと、その親戚は「私はオートバイに乗っていて、誤って道路上の崖からオートバイごと落ちてしまいました。オートバイは壊れましたが、私は大丈夫でした」と言いました。

 それは1カ月ほど前のことで、その親戚に会った時、私は大法の真相を話したのでした。その親戚は「私は何にも参加しないし、そんなことは信じません」と言いました。私は「毎日のようにオートバイで出かけていると、危険です。真相のお守りをお渡しします、平安が保たれますよ!」と言いました。その親戚は再び、真相のお守りなんか信じない、と言いました。私は「私たちは親戚ですから、あなたを傷つけることはありません」と言うと、その親戚は受け取りました。法輪大法がその親戚の命を救うとは、その親戚は思っていませんでした。それ以来、その親戚の家族4人全員は法輪大法がすばらしいことを信じました。

 私の妻は病院の放射線治療科の医者です。妻には技術者の同僚がおり、私はその同僚を鄭三妹さん(訳注:鄭さんの3番目の妹)と呼んでいました。ある年、私は鄭三妹さんに会うと、鄭三妹さんの顔がとても黒かったので、「どうしたのですか?」と聞きました。鄭三妹さんは「肺がんになりました」と言いました。私は「すぐに中共の党、共青団、少年先鋒隊を脱退し、心を込めて『法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい』と念じれば、病気は治ります」と伝えました。生死の関頭に立ち、鄭三妹さんはすぐに受け入れました。

 数カ月後、鄭三妹さんと再会した時、鄭三妹さんの顔色は正常になっていました。さらに2年後、鄭三妹さんの顔は色白でうっすらと赤みがさしていました。法輪大法の偉力は本当に大きかったのでした!

 私の親戚の1人は空軍の師団長をしていました。ある年、その親戚が集中治療室にいることを知り、私は会いに行きました。私は「元気になりたいと思ったら、私がある言葉を言いますので、あなたは同意したら、ウィンクして同意を示してください」と言いました。私は「あなたが中共の組織を脱退することを私に協力させてください」と言いました。その親戚は瞬きをし、私は「あなたは『法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい』と念じたいですか?」と言いました。その親戚は再び瞬きをしました。

 翌日、私が再び病院にその親戚に会いに行くと、その親戚はすでに退院していました。現在(訳注:2021年5月)、その親戚は元気に生きています。

 人はこの世に生まれ、この世は迷いの空間であり、真相を見ることができないので、間違ったことをしてしまうことがあり、生と死、病と死の存在があります。大法は世の中の迷いの中で人を済度しています。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「無在」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「恐れ無し」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/5/24/426076.html)
 
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