偽りの自分を識別し、排斥する
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年8月30日】師父は2021年7月18日から約1カ月間、私が対面で真相を伝えることに対する恐怖心から解脱させるように按排して下さいました。さらに自分自身にずっと存在していた自我への執着をさらけ出し、偽りの自分を取り除き「真・善・忍」で構成された真の自分がすべてを主宰できるようにして下さいました。

 7月18日、母親の家に着くと、市内にある地区の多くの同修が連行されて携帯電話も押収され、母親の地区にまで及んだので、グループ内の資料を作成するAさんは、1カ月近く資料を作らなくなり、他の同修もほとんど外で真相を伝えなくなったと聞きました。母親の家に来て間もなく、ある夢を見ました。大きな教室が4つあり、うちの1つの教室は空っぽで、床に分厚い埃が溜まっているので、私はまず教室の外で掃除し、それから教室の中を掃除しました。続いて2つ目の教室に入ると、中にぎっしりと人が座っており、壁に1束の白いビニール袋がかけてあったので、それを1枚もらった途端、夢から覚めました。

 師父は何を悟らせているのだろうか? と思いました。「教室」は、私たちにとって学法グループのことです。「1つの教室は空っぽで、床に分厚い埃が溜まっている」というのは、人心が強く、全体を成していないことでしょうか。「私はまず教室の外を掃除し、それから教室の中を掃除し、1枚の白いビニール袋をもらった」というのは、同修たちと交流して(私を含めて)一人一人が法に則って悟り、純正になるようにと師父が悟らせて下さっているのでしょうか?

 同修たちの人為的な自己防衛を見て、私は「これは師父が望んでおられることではなく、人は人を守ることはできません」と同修と交流しました。また、私を含めて普段、口を修めることについて重視していないことを反省し、今後改善して損失を補おうと思いました。そして、資料を作成するAさんと3回も交流しましたが、同修は動かないまま、資料を供給する意思はありませんでした。疫病が波のように押し寄せ、衆生が死の危険にさらされている中で、自分は恐怖心にコントロールされ、未だに対面して真相を伝えることを突破できず(以前、真相を伝えて連行されたことがある)、一時期は主に資料を配布する方法で人を救っていたことを、自分では分かっています。

 修煉の道には偶然なことはありません。こんなに切迫していて資料がほしいのに、資料を得られないというのは「なぜ自分がこのことにぶつかったのか? 師父は私の何の執着心を除去されようとしておられるのだろうか? 師父は私に、どのようにして欲しいと期待されているのだろうか?」と、心を静めて考えました。

 これは、師父が私の資料に依存する心を取り除き、外に出て対面で真相を伝えるようにと後押しされているのだと理解しました。それ以来、私は肝心な一歩を踏み出し、恐怖心を突破し対面で真相を伝えることができるようになりました。毎日午後になると気軽に出かけ、縁のある人を見つけて、慈悲の心と、理性的に知恵を持って伝えました。

 しかし、この過程の中で、自分が期待していた資料を、Aさんは何度も提供してくれなかったので、私の心の中はAさんに対してある種の不満が生じ、彼と話したくない、彼の話を聞きたくない、彼と仲良くしているBさんまで嫌うようになりました。彼らを見たくない、彼らはあまりにも自我に固執していると思っていました。しかしこの感情は間違っている、法に符合していないと思い、法に照らして排斥しましたので、次第にこの感情は薄れていきました。

 8月9日の午前、一講の『轉法輪』を勉強した後、明慧ネットの文章「中国大陸における第二波の疫病についての考察」を読み、それから師父の経文「理性」を読むことを提案しました。読んだ後、私は同修たちに人を救うことについて、各自の認識などを交流するように、何度も提案しましたが、誰も何も言わずに黙っていました。数分後、AさんとBさんは沈黙を破り、興味津々に別の話題について話し始めました。その時、私は自分が軽視されているような気がして、怒りが爆発しそうになりました。午後になって、自我を取り除くことに関する文章や師父の説法を読んでいくと、嫌な気持ちを抑えることができました。

 8月10日の学法の時、彼らを見ていると、ある種の感情がまたもや出てきました。11時に法を学んだ後、私はAさんとBさんへの反感を抱きながら立ち上がり、台所に行きました。 ふと時計を見ると、11時過ぎで止まっていました(執着を取り除いた後、再び正常に動くようになった)。これは、師父が修煉において表面上に留まらないようにと悟らせておられるのだと分かりました。12時の正念の時、 同修の母の手が倒れているのを見て、私は「倒れないように」と厳しく注意しました。母は不機嫌な態度で「ずっと真っすぐで倒れていないよ」と答えました。私は「今後は、もう指摘しない!」と言いました。しばらくして、母は「私を注意しているのに、あなた自分の蓮華手印は大丈夫か?」と言いました。私は黙って何も言いませんでした。私は、自我の執着にコントロールされていると感じました。

 食事の後、私は「法に照らしてもっと深く掘り出し、この自我を超越して、それらに支配されないようにする時が来た」と考えました。

 師父はこのように説かれています。「この宇宙で、人間の生命は常人社会の中で生じたものではない、とわれわれは見ています。人間の本当の生命は宇宙空間で生じたものです。この宇宙には生命を造るさまざまな物質がたくさん存在しており、これらの物質が互いに働き合うことによって、生命が誕生します。つまり、人間の最初の生命は宇宙に起源を持つということです。真・善・忍という特性を持った宇宙空間は本源的に善良なものであり、人間も生まれた時は、宇宙と同じ特性を持っています。しかし、生命体が多くなると、その集団に社会的な関係ができてきます。その中の一部の者が、利己的になっていったために、次第に自分の次元を下げ、ついに自分のいる次元にいられなくなり、それより低い次元へ堕ちていきました。ところが、つぎの次元においても、まただんだん悪くなり、そこにもいられなくなって、下へ下へと堕ち、最後には人類という次元にまで堕ちて来たわけです」 [1]

 師父はまた「嫉妬心のある人は人を軽蔑し」 [2]と説かれています。

 師父の法を読んで、先天の自分(本当の自分)は「真・善・忍」の特性に同化しており、慈悲で、穏やかで他人の欠点を許容し、様々な同修や常人を理解し、同情し、他人の立場で考え、他人のためであることを基点としていると分かりました。「私(し)」があるからこそ、人は「真・善・忍」から逸脱し、名、利、情などの執着が生まれ、後天的な偽りの自分を形成しました。それは、自己中心的で、良い話を聞くのが好きで、自己を守り、自分を傷つけることを許さないという形で現れます。自分の悟りは他人より高く、一貫して正しいと思っており、間違っていても主張し続けるのです。また、違う意見を聞こうとせず、他人に命令するのが得意で、他人を貶したり、見下したりして、つまり、悪であり、利己的であり、嫉妬深く、発狂するなど、すでに自分と同じ形象になっていました。この偽りの自分に惑わされる時「自分自身はどうしてこんな風になってしまったのだろう? どうしてこんなに善の心がないのだろう? この同修と常人たちは何でこんな風になったのだろう?」と思うようになります。実は、これは本当の自分や同修ではないのです。

 幸いなことに、私たちは大法の弟子であり、師父によってすべてが按排され、見守られ、悟らせておらり、法に基づいて正すことができ、師父は内に向けて探すことを教えられています。私たちが遭遇するすべてのものは、その執着を取り除くため、それに気づかせるため、それを見分けるためであり、そして、その執着が取り除かれるのです。実際には、私たちがそれを取り除きたいという強い願望があって初めて、師父がそれを取り除いて下さるのです。

 前に述べた自分が生じた感情のように、同修を見下し(嫉妬心)、同修の良い部分が見えない(同修が修めてできた一面は永遠に見えない)、同修と論じるのが好き、傲慢などなど、要するに基点は「私」に基づいています。もっとも深刻なのは、時々、迷いの中にいる同修のために焦ったりします。これはちょっと自不量力(身の程を知らない、うぬぼれている)であると言えます。すべての大法弟子は師父の管理下にあり、師父によってすべてが按排されています。もしかしたら、自分の執着を取り除くために、わざと同修にこのように振る舞うようにさせているのかもしれません。内に向けて探し、自分を修めるようにと師父は再三教えられていますが、私は身の程を知らず、同修に対してどのようにして欲しいと思っていました。本当の自分が自分を主宰していれば、何かに出会ったときに、第一念はまず自分を見るはずで(これは法の要求です)、師父が何かを悟らせて下さっているのではないかと思うのです。同修が執着しているときには、善意にアドバイスしたり、正念を与えたりして、常に冷静でいられます。それは、師父がすべてを掌握されていることを知っているからです。心の中では常に慈悲で、穏やかであり、不満や恨みを抱くことなく、常に他人の立場で考えることができます。なぜなら、その心は無私であり、他人のためにあるからです。

 今、自分が経験したことを振り返ってみれば、それが苦しみであれ、痛みであれ、師父への感謝の気持ちで心がいっぱいになります。それは、師父が一定の業力を再び消去し、弟子の心性を向上させるために機会を作って下さったのです。

 自分の次元での悟りですが、同修と切磋琢磨し、不足点があれば同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の著作:『法輪功』「第三章 心性を修煉する」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/8/17/429612.html)
 
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