同修との縁を大切に
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年9月13日】昨日、明慧ネットでこの記事を読んだとき、私たちの地元でも似たようなことがあって、法に則っていないことがあるので、この記事を書かなければならないという責任感が心の中から湧いてきました。同じ修煉者として会うたびに、この絆を大切にしなければなりません。

 普通の人は、会った人に対し挨拶として、お元気ですか? 健康状態はいかがですか、仕事はどうですか、など、相手を気遣う気持ちを伝えます。大法の修煉者として、私たちはお互いに気を遣うべきです。例えば、最近よく法を勉強していますか?  三つのことをしっかり行っていますか、毎日、五式の功法を煉っていますか? どんな関門がありますか、うまく乗り越えたのですか?  などなど、修煉についての話が出てきます。お互いの修煉状態を気にかけることが、法を師として共に向上していく方法ではないでしょうか、相談し合ったり、意見交換をしたりする時ではないでしょうか?

 気遣いといっても、生活上の心配をして、お金を出したり、物を買ってあげたりする気遣いもありますが、本当の意味での気遣いではないと思います。特に偽りの病業に陥る人は、正念を強くして心に原因を見つけるようにしてください。心性が良くなれば、自然と虚相に惑わされなくなり、人間の概念から飛び出して、師父がその悪い物質を取り除いてくださり、体も自然に回復することができます。ですから、単純な励ましや促しを怠らないようにしましょう。

 また、週に1回から数回、グループでの学法に参加する環境が一般的です。なかなか出会えないこの機会をうまく利用できれば、起きてはいけないことを減らしたり、避けたりすることができます。

 しかし、このグループでの学法では、普遍的に存在する問題があります。それは、みんなが時間通りに学法して、終わったら帰るという形式的なものになりました。普段は世間話をしているだけなのです。このようにして、学法は形式的に行われるだけです。個人的には、師父が私たちのために用意してくださったのは、「事々対照し、做すところ到るは是れ修なり」[1]という環境だと理解しています。師父は「大法弟子の法会は互いに高め合い、自身の不足を見つけ、修煉状態を正す大変良い契機です」[2]と教えてくださいました。また、私たちのグループ学法でも同じです。「互いに高め合い、自身の不足を見つけ、修煉状態を正す大変良い契機です」

 法を学ぶ適切な態度で、問題に遭遇したり、何かを聞いたりしたときに、何を言うべきか、何をすべきか、法を使って自分を律します。また、見たり聞いたりしたことが、師父が教えてくださった法の原則に沿っているかどうかを法で測ります。

 以上、少し個人的な見解ですが、適当でない所があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いいたします。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「実修」
 [2] 李洪志師父の経文:『台湾交流会へ』

 【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/7/14/428146.html)
 
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