2021年イギリス法輪大法交流会に参加して感じたこと
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文/イギリスの大法弟子

 【明慧日本2021年9月28日】8月29日、ロンドンで「2021年イギリス法輪大法交流会」が開催されました。ロンドンに行って交流会に参加したことで、私の多くの執着心を見つけることができました。

(一)

 法輪大法の交流会に参加することを、他の学習者に相談しました。マスクをつけて、PCR検査を何度も受けて、帰国したら家に隔離されるという面倒な行動になると言っていました。

 次の瞬間、私は「なぜこんなことを言ったのだろう。私は自分の心の中でこの予定をとても難しく、面倒なものにしている。こんなことを言って、困難を求めているではないか」と考えました。

 師父はこう説かれました。

 「煉功者としてあなたがいつも病気のことが頭から離れなければ、それは、求めること、病気を求めることにほかならず、そうなると病気が本当に身体の中に侵入してきます」[1]

 また、自分には隠れた執着があることにも気づきました。私は、自分がやろうとしていることが簡単ではないように聞こえるようにして、無意識のうちにその難しさを誇張し、自分が素晴らしいことを示そうとすることです。そして、私はその「障碍」を突破した自分はすごいのだ、と他人に伝えたかったのです。つまり、私は自分を正当化し、誇示したかったのです。これは、自己への執着からくるものだと気づきました。

 人間の執着は一層一層取り除かれていくので、これらの執着は常に存在しているように思えました。私は、この執着が完全になくなるまで、取り除き続けることにしました。

 さらに私は、交流会に参加するという神聖な機会を、自分が経験しなければならない「困難」と表現しました。これは非常に失礼なことで、大法弟子としての正しい心構えではありませんでした。

 (二)

 交流会のスピーチを聞いていると、「ああ、あの人にはこの執着があって、あの人にはこの執着があるんだな 」と思わずにはいられませんでした。ふと、「私は自分の基準や理解で他の同修を判断していないだろうか?」と考えました。

 他の修煉者を判断する背景には、嫉妬という執着があることに気づきました。人を見下すことの根源は、嫉妬だったのです。これらの執着を取り除かなければ、広大な寛容性を修めることはできません。

 実際、修煉者は一人ひとりが素晴らしく、偉大です。この混沌とした世界の流れに逆らい、修煉を進めているのです。彼らの修煉の道のりを聞くことができたのは、とても光栄で貴重な体験でした。

 このことに気づいてからは、自分の基準で判断するのではなく、すべての修煉者の進歩を純粋に喜びたいと思うようになりました。

 私の席から師父の写真が見えました。私は師父を見て、「この汚れた不純な考えを捨てたい。自己への執着をなくそう」と思いました。

 (三)

 私の息子も交流会に参加しました。非常に熱心に交流を聞き、熱心に拍手をしていました。帰り道、彼は他の乗客に中国で起きている法輪功迫害の実態について説明していました。

 私は少し驚きました。それは彼が自分の意志でやったことだからです。これまでは、私たちが彼に法を学び、活動に参加するように勧めていました。こんなことは今までなかったことです。

 帰宅した翌日、彼は日記に「法の原理をさらに理解し、大法の弟子であることの栄光を実感した」と書いていました。これは、私が何度も繰り返し言っても、息子は理解できなかったことでした。師父が説かれたように「比して学び比して修す」[3]しか学ぶことができません。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一八年ワシントンDC法会での説法』
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟』「实修」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/9/1/430308.html)
 
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