明慧法会|この世に滞在して使命を果たす
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年10月12日】師父は「常人社会に来ている間は、ちょうどホテルに泊まるようなもので、しばらく滞在したら、たちまち去っていくと言われます。ところがこんな場所に未練がありすぎて、自分の家を忘れてしまっている人がどうしてもいるものです」[1]と説かれました。人生の本当の意義と目的を弟子に理解させてくださった師父に感謝申し上げます。弟子はこの世に来たのはホテルに泊まるようなもので、しばらく滞在したらたちまち去っていきます。ホテルの中の物は本来私に属さず、私も望まず、欲しくなく、持っていかず、すべて放下しました。

 競争心を修煉して取り除く

 私は幼いころから勝ち気で負けず嫌いで、何事も一番を争いました。学校では、私はあらゆる面で傑出しており、みんなに注目されきわめて優秀で、家では、私は一番年上で、あらゆる場所で弟と妹たちに「模範」を示し、兵士になった後は一生懸命働き、ずばぬけてすぐれ、職務は絶えず昇進し、職場で、私は部署の責任者を果たし、仕事では「仕事人間」であり、よく病気になりましたが仕事にはこだわりました。何年もの間、党文化の中で苦しい訓練や仕事を行い、党文化の害を深く受け、私の体はボロボロでした。

 40歳代の時、私はさまざまな病に苦しみ、最も深刻なのは早期肝硬変で、さらに重度の神経性頭痛があり、痛みだすと吐き気を伴い、その苦しみは今思い出してもまだ胸がどきどきします。その他に、さらに神経衰弱、低血圧、微熱、関節炎、期外収縮、子宮筋腫、二分脊椎などを患い、「林黛玉(訳注:18世紀中頃の中国の長編小説『紅楼夢』の中の登場人物。病弱で悲しみを抱きながら死亡する)」、「老いぼれ」というニックネームが付けられました。夫はいつも「雷を伴うにわか雨は恐れないが、曇り空が続くことを気にする」と言いました。その意味は私の体がよかったことがないということでした。

 職場の上司は私をとても大事にしてくれ、私が病気を治療することを許可し、病状と治療費のことには言及せず、どんなに高価な薬もみな払ってくれました。とはいうものの、私の体の状況は変わりませんでした。その時、私はいつも「私が懸命に働いて得た名誉、地位、栄誉は、長い間患っているこの病の果てしない苦痛にどのように耐えることができるのか、まさか私のこの生涯は最後まで苦しい闘いの中で終えるのだろうか?」と悲観的に思いました。

 1997年、最初に修煉を始めた妹は私に大法書籍を送るように父親に頼み、さらに「この法輪功は良いので、私たち故郷の誰もがしっかり修煉して病気から回復し、どの家のお嫁さんも元々特にさまになっていなっていなかったのが、この功を学んで親孝行をするようになり、この功は本当に素晴らしく、あなたも早く修煉しましょう」と繰り返し言いました。もしかしたらその時は機縁がまだ成熟していなかったのかもしれず『轉法輪』を私は受け取ってから片付けてしまいました。その年の5月私は父親の誕生日を祝うために故郷に戻り、大法を修煉している家族の啓発と援助の下、私はやっと前世の因縁をつなぎ、返本帰真の道を歩み始めました。

 洪大な佛恩を浴び、体のすべての病が次々とすべてよくなりました。20年来、昔からしょっちゅう病気ををして有名な私が、一粒の薬も飲みませんでした。今(訳注:2018年)私はすでに年が70を越していますが、顔にはほとんどしわは見当たらず、体は軽く感じ、仕事に取り掛かれば若者と同じように機敏に行動しました。

 師父は私に健康を与えてくださっただけでなく、さらに重要なことは私に人生の目的と意義をわからせてくださったことでした。私が大法の要求に基づいて修煉を始めた後、私の人生は徹底的に変わりました。競争心を放下し、すべて自然に任せ、引き換えに得たものは人生の素晴らしさと大法修煉のすばらしさを悟ったことでした。

 娘は師父を敬い法を信じ大津波の中で苦難を幸運に変えた

 修煉後、私は交通事故に一度遭い、一度転倒して腰椎を骨折しました。この2回の事故でも私はいつも師父のご加持の下、すぐに回復しました。私のこの2回の経験は家族に大法の奇跡を実証し、みな大法をとても信じました。

 2人の子供はまだ修煉しておらず、2人とも師父をとても崇敬しており、何か難しい事に遭った時はいつも師父に助けを求めました。大法が迫害された初期、赤い恐怖が深刻で、真相資料は不足し、子供は率先して私のために子供たちの職場で静かに大法の真相資料をコピーしました。ある時に長女が職場で大法資料をプリントしていると同僚に見つかってしまい、同僚は「通報しなければなりません」とからかい半分に言いました。長女は恐れないばかりでなく、「どうぞ通報してください、私はプリントします、私がプリントしたのは今回だけではありません」と言いました。友人や同僚の中で大法に対して誤解がある時、長女たちは大法のために話をすることができました。私が迫害され、妨害された時、私のために大法書籍と資料を避難させました。長女たちが行ったことは大法の福報を得、その中で最も不思議なことはあの致命的な大津波が通過したという不思議な体験でした。

 2004年のクリスマス、娘と友人はタイの有名なプーケットのビーチリゾートに行き、その期間中、世界に衝撃を与えたインド洋津波が発生しました! あの数十万人の生命を奪った高い波が襲う20分以上前に、娘はプーケット島を離れ別の景勝地であるピピ島(ここもまた最も大きな打撃を受けた)に向かっていました。

 ピピ島への航海中、娘は船の上で美しい日差しを楽しみ、すさまじい津波が船の下にまさに静かにこっそりと潜み、プーケット島を襲っているとはまったく感じませんでした。海水が濁ったのを見てさらに真相を知った後、娘はすぐにそばの友人に「早く『法輪大法は素晴らしい!』と念じてください」と言いました。友人は疑問に思い「効果はあるのですか?」と言いました。娘は「効果があります!」と確固として答えました。

 娘は本当に運がよく、もし娘がプーケット島から20分以上遅くあるいはピピ島にあと30分早く着いていたとしたら、どちらもこの災難から逃れることは絶対にできませんでした。数時間後、娘がプーケット島に帰ってきた時、地球上の楽園として知られている島はすでに地獄になっていました。娘はホテルに入り、ロビーにざこ寝をしているのがすべて死体であるのを見ただけでした。家に帰る前に娘は身に着けていたお金をすべて現地の被災した人々に寄付しました。

 娘の今回の経験を知った親戚と友人は娘のために喜ばない者はなく、さらに奇跡的な不思議さを感じました!

 利益を放下し必要なものがすべて揃う

 今(訳注:2018年)中国では「家」が焦点中の焦点として、ほとんどすべての人の心に影響を与えています。部隊から定年退職した時、規定に基づいて私は1軒の家あるいはそれに相応する補助金をもらえるはずでした。資産登録、調査と審査、一連の複雑な手続きを経て、承認はほぼ確実でしたが、最終的に私の頭に定着したのは意外にもむだ骨になるので、住居もお金ももらわないということでした。私と同等の条件の人は、ほとんどが家をもらわずお金をもらいました。私の人心が現れ、どうしようもないほど気持ちが乱れました。ご存知のように、私が所在しているのは大都市で、家の価格は非常に高く、この損失は決して小さいものではありませんでした。

 師父は「皆さんの修煉の中で、わたしはあらゆる方法で皆さんのすべての心をさらけ出し、根元からそれを掘り出して取り除きます」[2]と説かれました。今回、私の利益心はすでに明らかにされました。修煉者として、この利益心は絶対にとどめることはできないことが私にはわかり、そこで利益心に対して正念を発し、多く法を学びました。努力して利益に対する心を取り除きましたが、利益に関連する事柄に遭遇すると少し触れただけで、利益心が再び湧き出てきました。特にある時に戦友たちが一緒に話し合い私が家やお金をもらわなかったことについて「あなたは求めないわけにはいきません、それとも手元のお金が多いのですか!」、「条件が整っているのに、どうしていらないのですか?」と私に怒った時、その心(訳注:利益心)がさらにひどく動きました。家族はいつも「一生部隊で働いて、何も得られないなんて」とぶつくさ言いました。まさに師父が説かれた「それが人の心の奥深いところを刺すような激しいものでないと効果が上がらず、向上につながりません」[1]のようでした。

 師父は法の中で私たちに「修煉者は自然に任せることを重んじるべきです。自分のものなら、無くなることはないし、自分のものでなければ無理に争っても得られません。もちろんそれは絶対的ではありません。何もかもそんなに絶対的であれば、人間が悪いことをする問題もなくなります。つまり、その中に不安定な要素が若干存在している可能性があります。しかし煉功者の場合は、本来、師の法身が守ってくれていますから、他人があなたのものを取ろうとしても取れません。ですからわれわれは自然に任せるように言っているのです。時に、それが自分のものだと思い、他の人もあなたのものだと言ってくれても、実際はあなたのものではない場合があります。あなたは自分のものだと思い込むかも知れませんが、最後になるとあなたのものでなくなります。その点から、そのことに対してあなたが無頓着でいられるかどうかを見ますが、無頓着でいられなければそれは執着心なので、この方法を用いて利益にこだわる心を取り除かなければならないのです」[1]と説かれました。

 修煉者の一生は師父がみなしっかりと按排してくださっており、すべて自然に任せれば大丈夫です。私の物でなければ、生命の中にもともと入っていないのであれば、何に執着するのでしょうか! ホテルに泊まる人は、ホテルの中の物に執着しても意味がありません! 私が欲しいものは心性の向上、次元の向上、師父について自分の本当の家に帰ることでした! 繰り返し法を学んだあと、利益心を本当に放下しました。今年(訳注:2018年)前半に戦友の小さな集まりがあり、再びある人が私が家がお金ももらわなかったことについて尋ねました。ある人は私に「あなたはどうしてこんなにお人よしなのですか」と言い、ある人は「あなたのような聡明な人がどうしてどうしてこんなことをするのですか」などと言いました。この時私の心は静止した水のように、何のさざ波も浮かびませんでした。その後私は「もし大法を修煉していなければ、私の以前の性格からすれば、あなたに言われなくてもわかっており、どれだけ騒ぎ立てたかさえわからない!」と思いました。大法は本当に私を変えてくださいました!

 利益心を放下することは、さらに利益がないことを意味するものではありませんでした。私たちは常人社会で修煉し、師父の按排は私たちの生活全般を保証するに足りるものでした。まるで自分の物であるかのように家をめぐって争わず、しかし、私はそのことによって住まいに不足することはありませんでした。私は現在(訳注:2018年)夫の職場が以前分配した後に個人のお金で購入した家に住んでおり、3LDKで、あまり広くはありませんが、リノベーション後は広々として快適でした。子どもたちは各自がみな自分の家を持っており、さらにまた南部のリゾートで家を購入しました。家にしろ、リゾートにしろ、必要なものはすべてそろっており、十分でした。

 情に煩わされてはならない

 ここ数年は肉親の情の方面の魔難が時々現れていましたが、師父が私の情の方面の物質を多く取り去ってくださり、その魔難はとても弱くなったことを示していました。母親と夫が短期間のうちに相次いで亡くなり、その後しばらくして娘が再び病気になり「百の苦一斉に降る」[3]という感覚がありましたが、私は法をもって量り、自分を正すことができ、行為の上でだいぶ理性的になりました。

 夫のために墓地を選んだ時、私は子供に「墓地は一人用の墓穴を選ばなければなりません」と言いました。このことが親族の無理解を生じ、なぜなら通常配偶者の一方が亡くなるといつも同時に二人用の墓穴をちゃんと準備するのですが、未来の落ち着き先を私は知っており、心の中は穏やかでした。夫の葬儀を終えた当日すぐに夫の遺灰を埋葬しました。

 墓地に行く途中、私は隣の運転手に真相を伝えさらに三退させました。同修はそれを知った後「あのような環境で、あの雰囲気の下であなたはまだ人を救うことを忘れず、ほとんどの人にはできないことです」と言いました。

 夫が病気になった数年間、私は過剰に情に煩わされることはありませんでした。夫の病気が重かった期間、私は夫の世話に影響を与えない状況下でできる限り毎日真相を伝えに出かけました。夫が亡くなった後私は後悔し、もっと一緒にいてあげられなかったこと、そしてしっかりと面倒を見られなかったことでした。しかし法に基づいて測れば、自分が間違っていなかったことを私は知っており、私は一部の時間と精力を人を救うことに用い、夫のわかっている一面は私を責めませんでした。夫が亡くなった後私は一歩一歩情から抜け出しました。夫が亡くなったことを相談する人もおらず、訴えるべき場所のない喪失感と、あのような孤独感と骨身に突き刺さるような気持ちなど、さまざまな感情が時々私を邪魔しました。しかし師父のご加持の下、私はすぐに抜け出しました。この千金、万金に値する時に、一人でいる時間や気持ちが空虚になる時間など決してありませんでした。現在(訳注:2018年)家では祝日と休日以外、私一人で、十分な時間があれば大法弟子が行うべきことを行いに行きました。

 正々堂々とした大法弟子になる

 師父は「実は表に出ていない学習者は、如何なる口実を持っていても、ほかでもなく恐れる心を隠しています。しかし、恐れる心があるかどうかは、修煉者が常人なのか、神なのかを判断するときの基準であり、修煉者と常人との違いもここに表れています。これは修煉者が避けて通れない心であり、修煉者が取り除かなければならない最大の人心でもあります」[4]と説かれました。

 法を実証し人を救いに外に出ていくことは心を修める過程であり、私にとっては、まず恐れる心を取り除かなければなりませんでした。私の恐れる心は他の同修と比べてさらに重く、主な理由は自分がしっかり修煉していないことと、さらに私がいる環境に特殊なところがあることで、それは住んでいる団地、町内、周囲で接触する人、家族のメンバーと仕事の性質、および自分の過去の職業などは、いつの間にかみな私に対して一定の圧力を作り上げました。しかし私は「私は大法徒であり、師父は私たちに真相を伝え人を救わせ、無条件に行わなければならず、それが長い道のりだったとしても、順調に行かず思い通りにならなかったとしても」ということを深く知っていました。

 迫害の初期に私は資料を配りに行き、それは本当に心臓がドキドキし手が震え、毎回2、3部持ち、折りたたんで服のポケットに入れ、二度緊張のあまりなんと自分のお金を入れた紙袋を誤って資料だと思って配ってしまったことがありました。はっきり覚えているのですが、ある年の晩秋の時期、私は同修と山の上に真相資料を吊るす際、突然何か聞こえてきて、私は驚いて茂みに潜り込み、土まみれになり、髪の毛が葉っぱで覆われ、散々な目に遭いました。今(訳注:2018年)思い出すと笑えますが、しかしその時はそうだったのでした。

 さらにある時ある警備員に真相を伝え、警備員は聞きながら突然携帯電話を取り出してさらに「ちょっと待ってください」と言いました。驚いて私は警備員が振り向いた瞬間にぱっと走り出し、走りながらコートを脱いで頭に巻き「師父、助けてください!」と叫びました。迂回してタクシーに乗って家に帰りました。その時に警官とパトカーを見て動悸が早くなり、誰かが家のドアをノックした時も緊張しました。幸いなことに師父のご加持があり、恐ろしいことは恐ろしかったのですが、恐ろしくてできないということはありませんでした。

 法を正す過程が進むにつれ、他の空間の邪悪要素は減少しました。深く法を学ぶ中で、自身に存在する恐れの要素もしだいに弱まっていきました。法の中から私は「『恐れ』は自分のものではまったくない」ということにはっきりと気づきました。私は大法弟子であり、大法が作り上げた生命であり、行うことは全宇宙で最も神聖で、最も正しいことであり、なぜ中国共産党(以下、中共)を恐れるのですか!

 2012年以前、私は主に真相資料を配り、その後に面と向かって真相を伝えることを主にしました。特殊な状況がなければ、毎日午前中私はいつも真相を伝えに出かけ、ここ数年来すでに少しずつ習慣を形成し、一旦なんらかの理由で行くことができないと、気分が悪くなり、何かが足りないと感じました。師父の経文『威徳』、『恐れ無し』と正法の口訣などは人を救う道およびその過程で私が常に暗唱したものでした。師父は「修煉者が重んじているのは、正念です。正念が強ければ、何でも食い止めることができ、何でも行なうことができるのです。あなたは修煉者で、神の道を歩んでおり、常人の要素、低次元の法理に制御されていない人だからです」[5]と説かれました。多く法を学び、100パーセント師を信じ法を信じることが本当に最も安全なのでした。私は現在(訳注:2018年)面と向かって真相を伝え基本的に恐れる心は何もありません。以前は恐れのために、いつも第三者の立場で伝え、現在(訳注:2018年)は一般的な状況下ではいつも正々堂々と「私は法輪功を修煉している者です」と身分を表明し、自分が大法の中で心身に恩恵を受けた状況の一部始終を伝えました。順調に三退を勧めた時、私は「師父はまた一つの生命を救ってくださいました!」と心から師父に感謝を申し上げました。もし順調でなければ「自分の何の心の迷いが原因なのか」と自分を探しました。

 江沢民告訴の大潮流を迎え、多くの客観的な理由で本名を名乗るには具合が悪く、さらにいくつかのことは越えることができないかのようでしたが、法を学ぶ中で、同修たちの励ましの下、心の中で悩んだ期間を経て、最終的にこの一歩を踏み出し、本名で江沢民を告訴しました。江沢民を告訴したことによっていくつかの面倒なこともありましたが、私は大法弟子が行うべきことを行い、心の中がしっかりしました。

 苦について話すと、この数年歩んできても確かに非常に苦しく、江沢民告訴の時のような恐れの物質、見えない圧力、自尊心の挫折、心をえぐられ骨に突き刺さるような執着を取り除く過程、肉体が受けたつらさなどなど、苦の中で、時にはまた安逸を求める心が湧き出てきて、さらにはまた常人をうらやましく思い、人がビーチにいて、木陰にいて、公園にいて、こんなにのんびりと居心地がよく、素晴らしいことだ……という念が湧き出てきて、すぐに「これは私ではなく、私は誰なのか?」と気づきました。「国内外の同修たちは誰でも苦の中で修煉しているのではないだろうか!」と考えました。さらに「私たちの偉大な師父は、衆生のためにどれだけ耐えていらっしゃるのか! なんとつらいことでしょうか! 私のこの苦はどれほどのものなのか? 大法弟子になることができ、師父のお手伝いをして人を救うことができ、どれほど神聖で、どれほど光栄なことだろうか!」と考えました。

 はっきりと覚えているのですがその年の「三退」した人数が2億人近くになった時、私はまさに夫が地方で療養するのに付き添い、その地方の同修を知らず、自分もまた「三退」リストを発行する条件を持っておらず、その3カ月に三退した800人以上のリストを居住地区の同修に渡しました。その後に同修は私に、同修は前日の夜ウェブサイトを見た時は三退人数はまだ2億に達しておらず当日の晩に私が渡したリストを発送し翌朝に再び見た時は人数がすでに2億に達していた、ということを伝えました! 私は幸運にもこの時期におり、これはとても私を喜ばせました!

 ここ幾年来、私は常に三つのことをしっかり行うという師父の要求を何よりも一番にしてきました。特にここ数年、自分の生活はとても簡単で、時には1週間に一度も料理をしないこともあり、家事を減らせられるのであれば減らしました。毎日の時間のスケジュールはタイトでありながら秩序があり、朝、全世界の同修と同時に、五式の功法を一通り行い、その後に1時間法を学び法を暗記しました。午前中に真相を伝え人を救いに行き、午後と夜は法を学び法を暗記し、法輪大法ウェブサイトを閲覧しました。食事をしたりあるいは家事をしたりする時は明慧ラジオで同修の交流文章を聞き、外出する時は路上で法を暗唱するかあるいは正念を発しました。『轉法輪』は6回暗記し、さらに1回書き写しました。『洪吟』は数回暗記し『各地での説法』は間を置いて一定の間隔で学びました。

 多く法を学ぶと、どんな状況でも法に基づいて測ることができ、法の中で修煉するように努めました。このようにして、師父の教えとご加持の下で修煉しました。

 大法弟子はこの世に下りて来てしばらく滞在したらたちまち去っていきます。師父は弟子たちを見守ってくださり、みんなの修煉が向上するのを待ってくださっているのです! 私たちは後天的に形成された人の観念をすべて放下し、ビンの中の汚れた多くのものをできるだけ早くすべて捨て、清らかになって自分の本当の故郷へ戻りましょう。

 慈悲で偉大なる師父にお礼を申し上げます!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「根を掘る」
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟』「その心志を苦しめる」
 [4] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「法を良く勉強していれば、人心を取り除くことは難しくない」
 [5] 李洪志師父の経文:『ロサンゼルス市法会での説法』

 (明慧ネット第15回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/11/6/376432.html)
 
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