【慶祝513】 師父は私に幸せな家庭をくださった
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文/広西省自治区の大法弟子

 【明慧日本2021年11月3日】1999年1月、まさに私が生きるより死ぬ方がましと思っていた時、親戚から幸運にも法輪大法を紹介されて「真・善・忍」を学び、返本帰真してよい人になり、さらによい人になる佛法の正道を歩み始めました。すると、私の運命は天地を覆すような変化が起こりました。

 大法を修煉する前の家庭

 大法を修煉する前、夫の家での私の生活はとても辛いものでした。苦しみはどれくらいひどかったでしょうか? かつては離婚したい、死にたいと発狂寸前でした。夫と義理の親への恨みは海のように深かったのです。

 私が夫に嫁いで3カ月も経たないうちに、夫はいつも外で他の人と食べたり飲んだり遊んだりして、何日も家にいませんでした。家の中のどんな事にもまったく無関心で、私を気遣うことはありませんでした。家で耕している田や畑は約十数ムーもあり、夫が田んぼを耕したり、畑を耕したりしたことはありませんでした。舅は民間の漢方医で、いつも人のために病気を診断して忙しいので、農作業はできません。姑は一年中体が悪く、基本的に農作業はできませんでした。

 さらに、義父母は男尊女卑で、いつも夫が悪いと言ったことはなく、夫に農作業をさせず、ただ私と夫の3人の妹だけが毎日耕作していました。その時私は子供を妊娠していて、本当に動けないと思った時だけ、やっと家に上がって半日横になることができました。しかし夫の家族は口うるさく、批判されることを恐れ、いつも頑張ってベッドを降りて仕事をするしかありませんでした。辛くても、誰も同情せず、気にしませんでした。その時から、私は心に恨みがこみ上げてきました。

 夫は私に一銭も渡したことがなく、私に隠れて私のお金をとるだけでした。私はそれを知った後、お金があったら隠しましたが、毎回いつも夫はそのお金を見つけて、全部持っていってしまい、私はいつも、生理用ナプキンを買うお金すらありませんでした。ある時、私が実家に帰ると、母は貯めた3元7毛のお金を私にくれました。帰った後、私はお金を洋服ダンスの中の服の下に隠しましたが、すぐに夫はそのお金を見つけ、全部持っていき、食べ物や飲み物を買い、人をもてなしました。30年前の3元7毛のお金は、現在(訳注:2020年5月)の50~60元に相当しましたが、結局、私はやはり無一文になりました。

 私が長男を生んだ時、夫は部屋のドアにも入らず、入り口に立って鼻を押さえ、さらに掌で扇ぎ続け、部屋の中をちらっと見て立ち去り、私たち親子を、夫は気にしていませんでした。次男が生まれた後、夫は町役場の中共の共青団支部の書記になり、夫はさらに並外れた存在になりました。夫は立派できれいな服装をし、商店街の静かな店に出入りし、現在はさらにパリッとした身なりでオールバックの髪で、髪の毛はツヤツヤで、貴族のようなかっこうをしました。給料があり、夫の宴席仲間はさらに多くなり、こねを使って上り詰め、さらに家のことを思い出さなくなりました。ここまでくると、私の心は恨みから憎しみに変わりました。

 次男が1歳の時、夫はまた村の爆竹工場にいき営業部長になりました。今回、夫は私たち親子3人も一緒に連れて行きました。私たちは夫の実家から分家し、私も農作業をしなくてもよくなり、私は少し良い生活を送ることができると思っていました。工場に入った後、私は作業場で仕事をし、夫は外で営業回りをしました。驚いたことに、夫は私に教養がなく、サインできないという理由で、私の毎月の給料をみな夫が内緒で全額受け取り、一銭も私にくれませんでした。私は仕事だけをし、お金を見ることなく、無一文で、ただ食事を一食食べるだけでした。夫はさらに多くのお金を持ち、さらに放蕩三昧でした。毎日おかずを買い、台所に置き、姿を消しました。終日外で酒食遊楽にふけり、賭博にも手を出し、ホテルの部屋を借りて愛人を囲いました。

 当時は1980年代末から1990年代初頭で、中共が打ち出した「改革開放」と重なり公安局と警察署は共同でカジノを開設し、それによって「売春・麻薬・賭博」が至る所に氾濫しました。役人や警察官たちは水を得た魚のようになり、追いかけっこのように色を求めました。

 ある時、事情を知っている人たちは私が夫に騙されてかわいそうなのを見て、善意で私に「あなたの夫は外でギャンブルをして、愛人を囲っている」と伝えました。私はショックを受け、目の前が真っ暗になりました。夫が帰ってくるのを待ち、夫に「ギャンブルや愛人のことを教えてくれた人がいたのですが本当ですか?」と慎重に尋ねました。夫はかんかんに怒り、私を殴ろうとし、悪いことをしていることを否定し続けました。このことがあり、私はさらに夫を憎みました。

 またしばらく経ち、ついに夫は二度も私に性病をうつしました。夫は隠すことができなくなり、騙そうとしましたが、過ちを認め、許しを請いました。こんなスキャンダルを、全国の一般的な男女が聞いて許すでしょうか? しかし「家庭内の醜いことは外に出してはいけない」とよく言われます。こんな醜い病気にかかるのは、最も恥ずべきことでした。自分はこんな悪い夫と結婚し、どうやって他の人に話ができるでしょうか? その上、家族や友人が知ったら、どれだけ私のために心配したでしょう。ですから医者に病気を診てもらわず、夫が実家に帰って義父に漢方薬を処方してもらい私に飲ませるという方法で、夫のしたいようにさせるしかありませんでした。私は病気に長い間苦しめられ、苦しくていつも生きていたくありませんでした。私の心は日々血を流しており、屈辱と憎しみを感じ、一日中涙で顔を洗いました。私はいつも「私はどうしてこんなに苦しい運命なのだろうか?」と悲しみもがきました。

 ある日、憎しみが頭に浮かびあがってきたとき、私はキッチンナイフを掴み、夫の指を切り落とそうとし、夫は驚いて実家に逃げて隠れました。ここ幾年来、数限りない苦しみを、私はどこにも訴えるところがありませんでした。姑に言っても、姑は私があることないこと言いふらしていると言い、夫の妹に言っても、夫の妹は私が夫に無実の罪を着せていると言いました。要するに、私は夫の家族の目には部外者であり、まともに話すことができませんでした。このことで私は夫たちの家族に対してもさらに憎みました。

 私はついに夫に対して完全にあきらめました。夫はすでにギャンブル依存症になり、家の財産を使い果たし、私たち親子の生死を考えたことはありませんでした。それどころか家の財産も夫に使われ、もはや家ではありませんでした。私はこの家に対してもはや一縷の希望も抱かず、その時私はただ死にたいと思いました。しかし「私が死んだら、子供はどうなるのか?」と思いました。再び新しい義理の母が来て、子供はさらに苦しむでしょう。それなら私は夫と離婚し、子供を連れて行こうと思いましたが、夫が離婚させず、さらに夫の実家の一家が知れば、やはり離婚させないでしょう。私は死ぬこともできず、去ることもできず、絶望で気が狂いそうでした。

 大法を修煉した後の家庭

 しかし、天に袋小路はありませんでした! 1999年1月、まさに私が生きるより死ぬ方がましだと思っていた時、親戚からの紹介で、私は幸運にも法輪大法を修煉し始め「真・善・忍」を学び、返本帰真してよい人になり、さらによい人になる佛法の正道を歩み始めました。それから、私の運命に天地を覆すような変化が起こりました。

 私の実家は兄弟姉妹が多く、幼いころは家が貧しく、私は学校に3年生までしか通えませんでした。かつては少し勉強しましたが、今はすべて忘れてしまい、自分の名前すら正しく書くことができず、教養のない人間でした。

 グループ学法に参加し始めた時『轉法輪』を持っていても、私は一字も読めませんでした。同修は「大丈夫です、注意深く聞けば、師父はあなたを助けてくださり、必ずあなたは字が読めるようになります」と私を励ましました。そこで、私は同修が読むのをしっかりと聞きながら、本を読み、同修たちがページをめくると、私も一緒にめくり、同修たちが止めると、私も止めました。同修たちは法を学んで体験を交流し、私は注意深く聞きました。毎晩、私はいつも煉功へ行き、グループ学法に参加しました。毎回私は両手に大法書籍を持って、うやうやしく大法を聞きながら学びました。同修たちが法を読むのは北京語で、交流は故郷の方言で話しました。実際、最初私は同修たちの修煉体験の交流を聞くことによって、大法がどれほど素晴らしいものか認識できました。

 私は聞いているうちに、だんだんとわかりました。大法は心を修め良い人間になり、よりよい人間になるように人に教えていました。人がどうして人生に苦しむのかわかり、それは自分が以前生々世々に悪いことをしたためにもたらされたもので、行った悪事が多ければ多いほど、苦難に遭うことが多くなるのです。なぜなら人が悪事を行えばそれを償わなければならないからでした。前世で行われたとしても、今生で責任を追及される、これが因果応報の天理であり、宇宙の法則でもありました。

 心から善に向かいさえすれば、よい人になることができ、それではじめて幸せな生活を送ることができるということです。私は聞けば聞くほど、大法の法理は本当に素晴らしいと思い、心の中はリラックスし、気分も幸せになりました。聞けば聞くほどもっと聞きたくなりました。

 ある日の夜、私はいつものように同修たちが法を読むのを聞いていました。聞いているうちに、私は突然、自分がいくつかの字を読めることに気がつきました。その時私はそれが本当かどうかわからず、私は黙って一緒に読んでいました。法を学び終えるのを待って、私は『轉法輪』の本の中の私が知っている字を指差して読み上げ、同修たちに「このように読むのですか?」と聞きました。同修たちは驚喜して「あなたはもう字が読めます、法を学べます!」と言いました。私は「しかしまだほとんど読めません」と言いました。同修たちは「大丈夫です、すぐにあなたは読めるようになるでしょう」と言いました。

 案の定、私は一晩ごとに多く読めるようになりました。1カ月以上たったとき、私はなんと同修たちと一緒に『轉法輪』を通読できるようになりました! 私はとてもうれしくなり、自分の気持ちを表すことができませんでした。師父は大法を学べるように私に教えてくださいました! 師父は私に教養をくださいました! 私は役に立つ人になりました! 私は幸せで師父に感謝申し上げました。

 その後の日々は、私は完全に喜びの中に浸っていました。以前にあった、心の痛みや、憎しみや、頭の中に詰まった悲しみがすべて、いつのまにか消え、海のように深かった憎しみも消失し、心身が本当に快適になりました。私は以前の憂い顔で、涙が混濁した曖昧な様子とは一変し、人に会えばいつでも笑顔で接していました。

 私は毎日喜びに顔があふれ、誰とでも楽しく話したり笑ったりし、まるで人が変わったかのようになったのを家族が見て、みなビックリしました。私の精神は日に日によくなり、本当に顔を輝かせているのを夫が見て、夫も不思議に思いました。私は家族全員に「私は法輪功を学んだのです!」、「法輪大法は人に『真・善・忍』を教え、よい人になるように教える佛法で、大法を学べば道徳心の高い人になることができます」と言いました。私は「よい人になってはじめて前途が明るくなり、子供に対して、家庭に対して責任を負えるようになります。私は大法を学んでまだ1カ月ですが、読み書きができるようになりました。私は字が読め、大法書籍を読めるようになり、教養が身に付きました」と言いました。

 私が大法を修煉してこんなに良くなったのを家族全員が見て、本当に奇跡だと思いました! その後、姑と夫の妹3人と、夫でさえ大法を学びたがりました。そこで、私たち一家6人は喜びをもってそろって煉功場に行って大法を学びました。

 このようにして、ついに良いことが起こりました。以前、私が恨みのために歯を食いしばってきた夫の家族は、現在(訳注:2020年5月)、私の大法の同修になり、これは本当に大きな変化でした! 本当に天から賜った幸福でした! 大法の威力は凄かったのです! 師父は本当にとても慈悲深かったのです!

 大法を学ぶことを通じて、私は「夫の誤りは現在の世の気風が悪くなり、道徳が失われ、腐敗した社会的雰囲気に汚染されて引き起こされたもので、彼もまた被害者だったのだ」とわかりました。私は二度と夫を恨まず、ただ夫と一緒に法を多く学ぼうと思いました。夫も日増しによくなり「売春・麻薬・賭博」から離れ、心から悔い改め、見違えるようになりました。

 私たちの体も浄化され、ほんの数カ月で、心身共に健康になりました。この時、爆竹工場は閉鎖され、私は衣料品店の服をミシンで縫い、夫はオートバイを買ってお客を乗せました。収入は多くありませんでしたが、夫は心から尽力して家族を養いました。私たちは日中は仕事をし、夜に法を学び、なごやかに過ごしました。このようにして、私は良い家庭を持ち、生活は幸せに満ちました。

 迫害を受けた後再び建て直した家庭

 しかし、まさに私たちが幸せに法を学んで煉功し、安定した職業を持ち楽しくやっていたその時、中共の江沢民集団が国家と人民に災いをもたらし、1999年7月20日に、猛吹雪が天地を覆うかのように大法と師父を誹謗中傷し始め、大法弟子を残酷に弾圧し始め、私たちに法を学び煉功させませんでした。

 私は江沢民集団による迫害に心を動かされず、毅然として大法を実証するために出て行き、師父のために正義の声を上げようと北京に行き、二度地元の「610弁公室」と警察に不当に労働教養を科されて迫害されました。

 2005年、私は労働教養所の悪の巣から出た後、夫も家で警察に脅され、脅迫され、修煉を放棄するよう迫られていたことを知りました。夫は高圧の迫害に耐えることができず、だんだんと大法から離れ、誘惑にさらされ、再び滑り落ちて行きました。次男が大学に入学し、学校が始まる時期になりましたが、大学に通うお金がなく、寸前のところで気が狂うところでした。その後、子供の叔母が親切にも数千元のお金を出してくれ、それでやっと子供は大学に上がりました。長男は家を出て、やはりギャンブルをしていると聞きました。

 私の心は刃物で切られたように痛みました。私が大法を学んで得たものは平穏無事な家庭でしたが、中共に再び破壊されてしまいました。私たちの家を救ってくださるように私は師父にお願いしました。私は再び大法を学びに戻ってくるよう、夫に勧めました。夫は大法が素晴らしいことを心から信じており、私の説得を聞き、本当に戻ってきてくれ、一緒に改めて大法を修煉しました。私たちが大法を学ぶと、正の力を持ち、夫の善良さが再び現れました。

 私たちは家庭を建て直し、子供を大学に通わせました。夫はオートバイを運転して客を乗せ、私はお茶を摘みに行ってお金を稼ぎ、畑を作って野菜を育てました。私たちは周りの同郷の人に大法の真相を伝え「三退」を勧め、さらに時間を見つけて贈り物を買い、夫は私を乗せ、一軒一軒親戚たちを訪問し、親戚たちに真相を伝え「三退」を勧めました。

 私たちは大法の指導の下、師父の慈悲深いご加護の下、ここ数年の苦労の末、真相を伝え人を救う環境は行えば行うほど楽になりました。接触できる人にはみな、チャンスをつかんで真相を伝え、多くの善良な人が大法の真相を理解し「真・善・忍」のすばらしさを目の当たりにし「三退」しました。

 私たちは中共の迫害を何度も破り、私たちの日々は過ごせば過ごすほどよくなりました。子供たちも頑張り、長男は賭博を改め、まともな仕事でお金を稼ぎ、次男は大学卒業後、よい仕事をし、私と夫もある会社でアルバイトをしました。家族の収入がだんだん多くなり、さらに以前他の人に借りたお金も完済しました。子供はよい車を買い、時間がある時は家に帰ってきて、私たちと一緒に食事をしました。

 2年前、私たちは再び4階建ての新しいビルを建て、息子は結婚し、孫娘をもうけました。昨年(訳注:2019年)満足のいく新しい家に引っ越し、和やかに過ごしています。私と夫は時間をずらして出勤し、交代で孫娘の面倒を見て、仕事と家事を両立させました。今(訳注:2020年5月)、私は仕事をしながら、真相を伝え人を救い、うれしくてたまらない生活を送っています。

 今日(訳注:2020年5月)、私の家庭は無から有になり、苦から幸せになり、すべて師父が私に与えてくださったものでした。師父は私に大法を与え、知恵を与え、健康を与えてくださいました。そして、人を救う能力を与え、私に良い家庭を与えてくださいました。私は師父のご恩に報いる方法がなく、まだしっかり修めていない多くのところがあるので、私は引き続き修煉し、しっかりと自分を修め、師父がお戻りになり、みんなでお会いできるその日をお待ちしています。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/5/14/405010.html)
 
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