師父は何度も私を救ってくださった
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文/湖北省の大法弟子

 【明慧日本2021年11月5日】私は1945年に田舎で生まれ、初等教育しか受けていない女性です。1997年10月、危篤状態の私は大法の恩恵を得ることができました。その時の喜びは、ただの喜びではなく、死からの生還の喜びであり、返本帰真ができる修煉の道を歩める喜びでもありました。修煉してから、師父は何度も何度も魔難の中の私を救ってくださいました。言い表せないほど大法と師父の慈悲なる済度に感謝しています。

 一、危篤状態だった私は師父の説法の録音を聞いた後、自分の足で帰宅できた

 大法を修煉する前、私は、リウマチ、心臓病、肝硬変、甲状腺機能亢進症などを患っていました。4年間寝たきり状態で、不眠障害も伴い、本当に障害者でした。最後には、十数日間も飲まず食わずの状態になり、家族は私の治療のために貯めていたお金をすべて使い果たし、すでに私の死を覚悟していました。

 そんなある日、ある友人が私を見舞いに来てくれました。友人は私の夫に、「彼女を私の家に連れて来て、法輪大法の師父の説法録音を聴かせてあげて下さい」と言いました。それを聞いた夫は、「妻はもう13日間飲みものも食べ物も口にしていません。妻の死後のことはすでに準備できています」と言い、友人は「それなら、試してみたほうがいいでしょう」と言いました。

 それで、夫は私を背負って友人の家に行きました。私を置いてから、夫は家に戻りました。その時、5、6人が友人の家にいて、私と一緒に大法師父の説法の録音を聞きました。私はソファに横たわって聞いていました。聞き終わった後、他の人は皆帰り、私は1人になってしまったので、私は「私も帰る!」と言って、本当に自分の足で歩いて帰りました。

 家に着くと、家族のみんながびっくりし、「自分1人で歩いて帰ってきたの?」と聞きました。その事実がわかった後、みんなは一斉に「この法輪大法はすごい! 素晴らしい!」と言いました。私は、救って下さった大法と大法師父への感謝の気持ちでいっぱいになり、感激の涙が溢れ、止まりませんでした。「私は本当に救われた」と感じました。

 それから、私は確実に大法の修煉の道に入り、学法煉功もきちんと行いました。私はいつも、「法を学びて、法を得る 比して学び、比して修す 事々対照し 做すところ到るは是れ修なり」[1]「大法、身を離れずして 心に真善忍、存す 世間の大羅漢 神鬼、十分懼れる」[2]「生きて求めるもの無なく 死しても惜しまず 妄念を蕩尽すれば 佛を修するは、難しからず」[3]と繰り返し師父の詩を暗唱していました。同修と一緒に、大法を広め、より多くの人が大法を得るようにしています。私はとても元気になりました。

 しかし、1999年7月、中国共産党は法輪功への弾圧を開始しました。その後、「天安門焼身自殺事件」という偽りの事件を作りあげ、法輪功に濡れ衣を着せ、一層法輪功への残酷な弾圧を行いました。夫はそのニュースを見て信じてしまい、私に「国が法輪功を認めないなら、お前もやめよう」と言い出し、「法輪功の師父が私の命を救ってくださったのよ。やめるわけにはいかないわ」と返事しました。私は何度も夫に大法の素晴らしさを伝え、「共産党は、真・善・忍を信仰する人が多すぎることに恐れているので、法輪功を誹謗中傷し、弾圧したのよ」と話しました。それで、夫はそれ以上なにも言わなくなりました。私は法輪大法を修煉し続けました。

 当時、迫害は非常に厳しかったのですが、私は師父の詩を暗唱し、人々に法輪功迫害の事実を伝え、「三つのこと」を行い続けました。例えば、手紙で法輪大法の無実に関する資料を人に郵送したり、警官に法輪功迫害の実態を直接話したり、同修と一緒に大法の無実が書かれた紙を貼りに行ったり、大法が迫害を受けていることに関する資料を配布したり、大法の垂れ幕をかけに行ったりしました。しかし、大法の法理を深く理解できていなかったし、修煉に漏れがあったので、何度も迫害を受けました。繰り返し家宅捜索を受け、何度も罰金を科され、5回も連行されたことがあり、2年の労働教養処分を科されました。

 2006年8月、労働教養所から帰宅しましたが、家族たちは神経質になり、法輪大法の修煉をやめることを強要されました。「どうすればいい? 大法が私に新たな命をくださり、一生に一度、万年に一度出会えるかどうか分からない、大法を得たのに」などと思い、絶対放棄しないと決心しました。そして、私は法をより多く勉強し、師父の詩を暗唱しました。「最後まで大法を修煉して行く」という決意をしたことで、家族たちは私が大法を学ぶことに反対しなくなりました。

 二、師父は骨折を治してくださった

 2008年1月、友人の子供の結婚式に呼ばれ、この機会に法輪功迫害の実態を伝え、「三退」を勧めようと思いました。しかし、その日、雪が降っていて、道は滑りやすく、ホテルに着く前に転倒して左手首を骨折したようでした。それで、みんなが私を病院に連れて行こうとしましたが、私は「行きません」と言いました。しかし、みんなに強制的に病院に連れて行かれました。医者に診てもらったとき、心の中で師父に助けを求めました。私は左手を伸ばし、右手で左手の手首を支え、折れた手首を見ながら、心の中で「師父、この折れた手首を元の位置に戻るようにお願いします」と言いました。その瞬間、手首のところに音がしました。医者が診て「手首が元に戻ったね」と言いました。その後、医者は私の手首をガーゼで巻いただけで、治療を終了したのです。

 しかし、私は帰り道で、足に力が入らないし、歩くのが困難だと感じました。翌日、それを知った息子が車で私を病院に連れて行き、レントゲンを撮ってもらった結果、左足の大腿股頭が折れているということでした。医者は入院が必要だと言いましたので、「いくらかかるのですか」と聞くと、「3万5000元かかります」と言いました。しかも、医者は「治るという保証はできません。もし、治らなかった場合、トラブルを起こさないでください。書類に署名、捺印してください」と言いました。そして、知人の医者にもレントゲン写真を見せましたが、「これは重症です。絶対に治りません!」と、言われました。

 これを聞いて、私は治療をやめ、帰宅しました。「私は修煉者だ。病気はない」と考え直しました。夫は8日間分の漢方薬をもらって来て、煎じて私に飲ませました。「師父が命を与えてくださった」と考えて、師父の説法「あなたが真の修煉者であれば、われわれの法輪が守ってくれます。わたしは根を宇宙に下ろしているので、あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かすことができることになります」「もしあなたが病気のことばかり考えるその心を捨てられないのなら、われわれは何もしてあげられないし、どうすることもできないということを強調しておきます」[4]を思い出しました。

 そして、「師父と大法を堅く信じる。本当の修煉者になりたい。病気があるという心を捨てる」と思って、薬を飲むことをやめました。夫が煎じてくれた漢方薬をもらったら、甥に協力してもらい、夫の目を避けて捨てました。

 8日間の煎じ薬を全部飲んだと思っていた夫は、また、医者に診てもらいに病院に行こうと言いました。そこで、私は、「もう行かなくていい。その薬は一口も飲んでいなかったの。全部捨てたわ。信じなければ、甥に聞いて」と言いました。夫はびっくりし、お正月前だったので、とりあえず、病院へ行くことをやめました。

 年が明けてから、夫は「薬を飲まないなら、私たちはもうあなたの面倒をみない」と、言いました。すると、娘がインスタントラーメン2箱を買ってきて、夫は家のドアに鍵をかけ、そして、家族全員が家から去ってしまいました。長い間誰も家に帰らなかったのです。

 家の中に1人にさせられた私は、「左腕と左足が弱っているのに、面倒を見てくれる人がいなくなって、どうすればいいのか」と思いましたが、師父と大法をしっかりと信じ、法を多く勉強し、師父の詩を多く書き写して壁に貼り、何度も何度も読んでは唱えました。それに、痛みに耐えながら、壁を支えにして煉功しました。しかし、静功はできませんでした。この困っている時、師父が按排してくださった同修が見舞いに来てくれました。私は同修に「3週間も座禅していません」と言うと、「絶対、静功を煉らなければなりません」と同修が言ってくれ、この言葉を聞いた瞬時、私ははっと目が覚めました。それから、私は毎日、激痛を我慢して、徐々に座禅の時間を伸ばしていきました。毎日五式の功法を一気に煉りました。現在、2時間の座禅ができるようになりました。私の食事はインスタントラーメンでした。近所の人たちは、誰も私の面倒を見ていないことを知っていて、私のことを「きっと死んでいる」と思っていたのです。

 私は、心性を修め、物質的利益に対して淡々と修め、友人や親戚が見舞いにきてくれた時にくれたお見舞金をすべて返しました。

 最初は、夫や近所の人、友人、親戚の何人かは、私がきっと死ぬだろうと言っていました。しかし、師父のご加護の下、そして自分の努力により、この関を乗り越えることができました。彼らは、何度も死から生還した私のことを目の当たりにして、奇跡だと驚いていました。

 三、正念が出て、悪い鬼が逃げた

 私は転んでから4日目の夜、12時の発正念をして眠りについた途端、体が動かなくなりました。黒い布で顔を覆い、頭が見えない4人の鬼が、「一緒に行こう」と言いながら、近づいてきて、私を連れて行こうとしました。そして、私は反抗しながら、「私は法輪大法の修煉者で、師父が私を見守って下さっている。あなたたちにはついて行かない。師父について行く。あなたは私を強要することができない」と言いました。その結果、鬼たちは怖くなって逃げ出してしまったのです。師父の保護の下、再び救われました。

 その時、同じ部屋のもう一つのベッドで寝ていた娘が、「お母さん、何をやっているの? お母さんの声がとても怖くて、布団をかぶって寝るしかなかったのよ」と言いました。それで私は目が覚め、時計を見ると、ちょうど夜中の1時でした。私は娘に、「私は45分間、4人の悪い鬼と戦ったの。4人の鬼は私に一緒に行ってほしいと言ったけど、私は『大法の師父と一緒に行く』と言ったので、鬼たちはとても怖がって去って行った。師父に助けていただいたの!」と話しました。娘は「本当に?」と聞き、私は、「法輪大法の修煉者は嘘をつかないわ」と言いました。

 師父は又、私を救って下さいました。私は大法を修煉するという決意を新たにし、それから、学法や煉功、大法の無実を伝え続け、「三退」を勧めました。私はいつも、発正念をするとき、体が不調のとき、人との間にトラブルが起きたとき、師父の説法「本当の劫難に直面した時、あるいは関門を乗り越える時に、試してみてください。耐え難いものを耐えてみてください。乗り越えられそうもないと見えても、行ない難いと言われても、本当にできるかどうか試しにやってみてください。もし本当にやり遂げられれば、きっと『柳暗 花明 又 一村』というように、眼前に新たな世界が開けることに気づくに違いありません!」[4]を暗唱しました。

 苦を恐れず、修煉の道で、予想もしなかった素晴らしい出来事が次々と起こりました。 心性を向上し、三つのことをしっかり行うとき、師父は体を調整してくださいました。体を調整してくださるたび、実感しました。体を調整した後はとても快適になります。私は常に、師父に感謝する気持ちを持っており、年々、健康でいられます。2011年には家を建てるとき、私は力仕事をやっていました。

 私は今年76歳で、中国共産党による歴代の運動を経験し、共産党の「偽り、悪、闘い」の本質をよく知っています。そのため、私は個人的な経験の例を使って、共産党の邪悪さと法輪大法の素晴らしさを話すと、多くの人が納得できました。少しの努力で大きな効果が出ました。

 しかし、私はよく修めていないところがあり、多くの執着心を取り除いていません。これから、もっと精進して、師父の慈悲なる済度に対してしっかり恩返ししたいと思っています。

 注:
  [1]李洪志師父の詩:『洪吟』「実修」
  [2]李洪志師父の詩:『洪吟』「威徳」
  [3]李洪志師父の詩:『洪吟』「無在」
  [4]李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/10/10/432295.html)
 
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