佳木斯市の孔凡英さん 長期に迫害され死亡(一)
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 【明慧日本2021年12月10日】(黒龍江省=明慧記者)黒龍江省佳木斯市の法輪功学習者・孔凡英さんは、二十数年来、中国共産党(以下、中共)の警官とコミュニティの関係者による連行、家宅捜索、拘束、嫌がらせなどの迫害を受け続け、何度も引っ越しを余儀なくされた。2021年7月8日、脅迫されショックを受けた孔凡英さんは病院に運ばれたが、7月10日午後8時に亡くなった。享年67歳。

 一、法輪功を学び良い人を目指す

 孔さんは、1995年に法輪功を学び始め、健康になり家庭が睦まじくなった。 常に法輪功の教えである「真・善・忍」の基準で自分に厳しく要求し、勤務先で利益の面において争わなくなり、自分のものを盗まれても怒らずに穏やかな心境で対処した。同僚から「変わったね」と言われ、孔さんは法輪功を学んでから人生に新たな希望が満ちていた。

 二、北京へ陳情に行き、連行された

 1999年7月、江沢民集団が法輪功を迫害した後、孔さんは法輪功の無実を訴えるために、北京へ陳情に行くことにした。 2000年6月、佳木斯駅に到着した直後、孔さんは待機していた亜麻公安局の馬徳仁(現在は死亡)に連行され、30日間拘禁され、300元を払ってから解放された。

 2000年10月、孔さんは他の学習者と一緒に再び北京に行き、天安門城楼で法輪功の第二式功法を行って帰ったが、家に到着してから僅か30分ほどで、亜麻公安局の警官らに連行され、保証書を書くことを強制された。孔さんは書かなかったため、再び留置場に拘禁された。

 留置場は暗く湿気が多いため、長期に拘禁されていた孔さんは全身に疥癬ができて、我慢できないほどの痒みに襲われた。81日間拘禁された孔さんは2001年1月2日に解放されたが、3000元の支払いを要求された。当時、孔さんの夫は仕事を失い、孔さんの給料も停止されていたため、あちこちで工面して1800元だけを支払った。

 孔さんは帰宅して15日目に母親が亡くなり、まだ自力生活ができない孔さんは我慢して母親の葬儀に参列した。葬式のあと、孔さんは家に着いて30分も経たないうちに、コミュニティの関係者が嫌がらせに来て、法輪功を放棄するよう強制し、孔さんの身分証を押収した。

 三、連行され、薬物で迫害されそうになる

 2002年、全市で学習者を大規模に連行するキャンペーンの時、佳西派出所の警官らが、孔さんの家に押し入り、ベッドの下やタンスなどを隅々まで家宅捜索を行い、法輪功の資料1枚を探し出したため、孔さんを連行した。

 孔さんは留置場に拘禁され数日間身体の感覚がなく、さらに心臓発作を起こし、痛みと衰弱状態が続いていた。迫害に抗議するために、孔さんは断食した。すると、4、5人の受刑者と留置場の医師が孔さんを押さえつけ、金属製の器具で孔さんの口をこじ開け、無理やりに灌食した。その時、孔さんは上下の歯が数本緩んで、痙攣を起こし、医師が管を抜いた瞬間、孔さんは倒れて注入されたものをすべて吐き出した。

 午後の食事の時間になると、留置場の張医師が小さな鍋に入ったお粥を持ってきて、「孔さん、5種類の穀物で自然食品のお粥を作った」と言った。孔さんはそれを食べなかったので、女性の受刑者が粥を食べた。

 5月の東北地区の気候は、夜になると寒いので、受刑者は皆布団をかけて寝ていた。しかし、その、お粥を食べた女性の受刑者は布団をかけないで、服を全部脱いで下着だけをつけて通路の真ん中に座っていた。巡回の警備員が「早く寝ろ」と注意しても、その女性は動かず、何の反応もなく、ただ呆然と座っていた。 孔さんはその時、お粥に薬物が入っていたことに気付いた。

 今回、孔さんは30日間迫害され、現金300元を強要された後、帰宅した。

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/12/1/434229.html)
 
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