文/黒竜江省の大法弟子
【明慧日本2021年12月18日】(前文に続く)
私の三女
三女は、1998年に修煉を始めました。三女は小さい頃から他の空間をよく見ていて、また奇門の中の高人を見たことがあり、そのとき修煉していなかったのでどういうことかわかりませんでした。修煉してから絶えず三女は、同修、姉妹、夫婦などの因縁関係が見えました。三女は、今回師父の弟子に生まれ変わって、師父と弟子の縁を結んだことを見ました。三女はまた自分は宇宙の高次元から同修と縁を結んで降りてきて、グループに転生したのを見ました。
2005年、私たちの地区の資料点が迫害され、同修が逮捕されました。三女は本地区の資料点を作り、風雨の中で穏やかに15年を迎えました。この15年の中で三女の体験は多くあります。昔の体験は言いません。最近の2年ほどに起きたことを話します。三女は心性を向上しなかったことに加えて経済状況がひっ迫し、いつもアルバイトに出たいと思い、資料点の中でこれくらいのお金を使い終えてから行こうと思いました。しかしお金は使い終わりませんでした。それから三女は行くべきではないと分かりました。
疫病期間、印刷用紙が不足し、小区が封鎖され、品物が入ってきませんでした。三女は心の中で「師父、どうしたらいいのでしょう? 人を救うのは停止したらいけません!」と思いました。それから三女が気づいたのは、同修がどれだけ資料を持って行っても、印刷用紙がずっと使い終わらず、インクも使い終わりませんでした。類似のことはまだあります。
三女の資料点は15年の中で10回も引っ越しました。三女は結婚しておらず、資料点は見つかってはならず、いつもひっそりと引っ越します。機器と各種の材料がとても多く、その大変さは想像に難くありません。最近、今回の資料点の家主が私の昔の1人の友人で、彼は息子がもうすぐ帰って来て住むと言い、資料点は引っ越すことになりました。師父のご加護の下、同修の助けの下、とても早く良い部屋がみつかりました。引っ越してまもなく、元の家主から電話があって、彼は「公安局から電話があった」と言い、彼の借家は法輪功の資料点だから見に来ると言われたそうです。彼は相手に「この借主はすでに引っ越した」と言いました。彼らは「不可能だ。私たちはずっと車に座って、側で見ていたが、人は離れなかった。いつ行ったのか?」と言いました。私たちは思いました。あんなに多くの物があって、2日かけて運んだのに! 師父の守りがなければどうやって出来たでしょう。
それから元の家主は「公安局の人からまた電話があった」と言い、三女の電話番号を教えるように言われたそうですが、彼は教えなかったそうです。
三女の正念はとても十分で、法理もはっきりしていて、何かにぶつかってもいつも法の中で理智的に考えることが出来ます。このことは大法弟子としてどのように行うべきか、師父は私たちにどのように行ってほしいのか、安全問題上で、邪悪がどんな口実で大法弟子を迫害しても、表面上のことで、私たちはただ師父が行うようにと言われたことを行い、師父が欲しいものが要り、邪悪は私たちを動かせず、また触れることさえ出来ない、と三女は言います。この数年間、三女は自分を完全に法の中に置き、師父を手伝う多くの正法のことを行いましたが、全て危険が無く、終始安全でした。
私の末娘
私は末娘の家に住んでいます。末娘の性格は非常に良く、おおらかで寛容です。大法が迫害される前、かつて大法の本を読んだことがあります。迫害後に学ばなくなりましたが、終始大法を支持し、私と家族の修煉を支持してくれています。私は当地の同修の間の協調人ですので、頻繫に家に資料を持ち帰ったり、同修に資料を送ったり、家に来る同修も多いのですが、末娘は嫌がることはありませんでした。私がすることに末娘は全て反対しません。
ある日、末娘は沸いたばかりのミルクを不注意で自分の太ももにこぼしてしまい、私は彼女と一緒に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を念じました。末娘の太ももには水ぶくれも出来ませんでしたが、私は安心せず、彼女に火傷薬を買いました。末娘は「それを買ってどうするの? 私は『法輪大法は素晴らしい』を念じるよ」と言いました。太ももは数日赤くなっただけで良くなりました。
末娘の息子が4歳のとき、三女が家に来ました。少しの不注意で、子供は電源プラグを差し込んだりして遊んで、一つの火の玉が走って、彼の手のひらに穴があいて、小さな手が黒くなってしまいました。私が帰って来てから娘たち三人で一緒に「法輪大法は素晴らしい」と念じ、同時に師父に助けを求めました。彼の小さな黒い手がだんだんと色あせて行くのが見え、わずか半日で完全に元の色に回復し、4~5日で手のひらの穴が癒合し、少しの傷跡も残りませんでした。
私個人
最後に私のことを話します。私は病気治療の心を持って大法修煉に入りました。そのとき修煉とは何か全く分かっていませんでした。当時の病が私を苦しめ、死ぬことも生きることも出来ない状態でした。特に長女を出産したとき、産後風邪にかかり、背中が痛く、寒く、重くて、夏でも綿入りの服を着て、またリウマチ性心臓病で、頻繫にショックがあり、手指と関節が変形し、また頚椎炎、肩関節周囲炎、脊椎炎、膀胱炎、胃炎、腎炎、ノイローゼ、頭脳がぼんやりする、等々の全身に良い所が無いほどで、医者が言うには「頭から足まで、身体の中から外までどこにも全て病がある」ほどでした。
修煉してから、これらの病が知らず知らずのうちに良くなり、特に1998年、私と夫は同時に煤煙中毒になり、彼は倒れてから起き上がれなくなりました。私は師父の慈悲なる守りの下、生き延びることが出来ました。ですから大法が迫害されてから私は一言「誰もしなくなって、1人だけが残ったとしたら、それは私です」と言いました。
この金剛不動の正念を持ち、私は確固として今日まで歩んできました。現在すでに76歳になり、毎日電動自転車に乗って出かけ、私が行うべきことを行なっています。
私は闘争心や、人に言われたくない心、良い言葉を聞きたがる心をずっと取り除くことができず、自我を放下出来ず、ずっと向上出来ません。師父は一回一回、私のこれらの良くない心を取り除くように按排して下さり、私は本当に師父に心配をかけてしまっています。
師父は説かれました。「言い争わないでください。誰が正しいか、誰が間違っているのかを強調しないでください。いつも自分が正しいと強調する人がおり、あなたが正しいのであって、間違っていませんが、それはどういう意味があるのでしょうか? 法に対する認識が高まったのでしょうか? 人心をもって正しいかどうかを強調すること自体が間違っています。なぜなら、あなたは常人のあの理で自分を量っており、常人のあの理で相手に要求しているのです。神から見れば、修煉者がこの世において、正しいかそれとも間違っているのかはまったく重要ではなく、人心の執着を取り除くことこそ重要であり、修煉の中でどのように人心の執着を取り除くかが重要なのです」[1]
この段の法を読んだのは少なくないのですが、なぜ心に入らないのでしょう? 実際に私はこの様な人間で、問題が出るといつも人心で相手の間違いを強調し、心性がずっと向上出来ず、大法のことを多く行っても人間がしたことになるのです。
夜にこのような夢を見ました。夢の中で私は一つの山道を歩いていました。この夢は過去にも2回見たことがあり、その2回は山頂まで行けませんでした。今回は半分まで行って、山頂を見るとまだ遠くて、心の中で「いつになったら頂上まで行けるのか?」と思いました。しかしすぐに神の功夫で頂上につきました。夢の中で師父の一言が聞こえました。「一歩の遥か天廷に上り」[2]
目が覚めてから、師父の啓示を悟りました。徹底的に自我を放下し、人心を放下すれば、天廷に上るのはあと一歩ではないですか?
中共疫病の期間、小区は全て封鎖されました。私はちょうど前日400部以上の資料を持って帰って来ていて、私の計算ではこの区には約400の家があります。修煉に偶然なことは無く、疫病が来ても大法弟子はこの一歩を踏み出せるのか、人を救えるのかを見ています。最後になればなるほど重大で、ますます人を救わなければなりません。しかし私はそのとき足が痛い仮相が出て、自分は上まで階段を登れるかを心配しました。この考えが出てすぐにそれを否定し「それは本当の私ではない。私は大丈夫だ」と思いました。その結果、初日に私は四つの集合住宅に行き、全て上まで登れ、数日でこの小区を終わらせました。その日から私の足の痛みは無くなり、心もそれほど動かなくなりました。
それから同修から電話がきて「私たちは家に閉じこもってはいけない、出かけなければ!」と言われました。私は「私は閉じこもっていませんよ!」と言いました。私は自分がけっこう良く出来ていると思っていました。彼女は「あなたたけじゃなく、他の人もいる」。これは師父が同修に私を目覚めさせていると分かりました。それから私は本当に小区内から出られる出口を見つけ、同時に多くの同修に連絡をして、共に出かけて真相を伝え人を救いました。
私は今まで監視に見つかるかどうかを考えたことがなく、私が行うべき全てを行なってきました。
師父は私たちにいかなるものも求められず、ただ私たちの確固とした向上する心だけを求めておられます。私は法を正す時期の大法弟子で、幸運です! 私は必ず師父の期待に背かず、修煉の道がどんなに困難でも、私を遮ることは出来ません。私は自我を放下して、三つのことを良く行い、最後の一歩を歩みます。
広大な佛恩が一家を照らし、私たち全家族を大法の縁と結んで下さった師父に感謝いたします!
師父に拝礼します!
(完)
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「マンハッタン説法」
[2] 李洪志師父の詩 :『洪吟三』「龍泉寺」