法のために生まれた小さな命
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 【明慧日本2022年1月8日】

 師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 一. 天からの贈り物

 私の名前は林詩唯と言い、今年で8歳です。お母さんは私が法を得る為にお母さんの子供として生まれたと言っていました。お母さんは、私が赤ちゃんの頃「私の赤ちゃんになってくれてありがとう」という物語のある段落を読むと、私は涙を流していたそうです。大体の内容は「翼のある小さな天使が空で飛びまわってお母さんを探し、沢山の小動物に尋ねても見つからず、「お母さん、お母さん、僕のお母さんはどこ?」と呟きながら探していました。その時、私は泣き出してしまいました。その後、小さな天使は一筋の光となり、お母さんのお腹の中に飛び込んで行ったのです。

 お母さんが言うには、大法弟子のお母さんを見つけたから、私の明白な一面が感動して涙を流したのだそうです。私は赤ちゃんの頃、お母さんとよく学法グループに参加して、学法や交流をしていました。また朝の煉功のために、お母さんが起きられるように目覚まし時計をセットしたり、お母さんが真相を伝える時、私の意見も聞いてくれました。お母さんは私が天からの贈り物であり、修煉の良い仲間だと言ってくれました。

 二.  指摘されてすぐ怒る癖を修める

 お母さんによると私は1歳の時、ベビーシッターの同修の指導のもとで私は『洪吟』中の「香蓮」を暗唱し、今では「洪吟四」になり、また「論語」も暗唱できるようになりました。しかし、子供の頃は良く怒ったり泣いたりしていて、感情が高ぶると地団駄を踏むので、お母さんはいつも笑顔で「象さんが来たよ」と言っていました。

 お母さんは私の学校の先生で、気立てが良いことで知られていましたが、私とは性格が全く違いました。幼稚園の頃、ある日お母さんは幼稚園に私を迎えに来ました。お母さんと先生は話をしていて、ふと下を向いている私に「詩唯、お母さんと一緒に煉功をしなさい」と言いました。先生も私が煉功すれば母のような性格になると思ったのでしょう。お母さんは師父が常人の口を借りて、そろそろ学法を学んでもいいのではないかと、私を悟らせてくれたのだと考えていました。

 4歳の時、お母さんは『轉法輪』を教えてくれました。それは魔難の始まりであり、私の行為は性格の良いお母さんさえも激怒させたことがよくありました。その時、私は字が読めず、お母さんが1行読んでから、その次私が読む感じでした。私が文字を抜かしたり、付け加えたりして読み間違えると、お母さんは小声で注意してくれますが、そうすると私は怒ったり、大声で叫んだり「そんなの知っているよ」と言い返したりしていました。お母さんに注意されると、すぐに私は怒りが爆発すると言っていました。なかなか、幼い私は聞くことができず、「もう読まない」と言うことがよくありました。

 しかし、お母さんは決して私を見捨てず、私が年長組になった頃には、お母さんと一緒に両足を座禅して『轉法輪』を30分間勉強することができるようになりました。しかし、文字を読み間違えたりしてお母さんに注意されると、時々不機嫌になり、座禅をやめたりしました。小学校2年生になると、お母さんに「間違えたよ」と注意されても怒りませんでした。

 師父の説法を思い出しました。「マッチのように、こするとすぐに火がついてしまい、地雷のように、踏まれるとすぐに爆発してしまう人がいます。指摘されてはならず、言われると、承知しません。どんな意見も聞き入れられず、善意の、悪意の、意図的、または無意識的な指摘に対して、すべて受け入れられません。内に向けて探すことはなおさらしません。かなり深刻になっています。これは皆さんのせいではありません。今から、皆さんはこのことに気をつけるべきです。誰に言われても受け入れられるようにならなければなりません。心当たりがあれば改め、なければ気をつければよいのです。指摘と批判を前に、心が動じないようにすることができれば、あなたはすなわち、向上しています」[1]。私は本当に精神が向上したと思います。この偉大な法を伝えて下さった師父に感謝致します。よく口答えをして、変な気性の私が大法に溶け込み、徐々に悪い部分を正しました。

 その後も学法を続けるうちに、小学校一年生7歳の時、『轉法輪』の文字が殆ど読めるようになりました。ある時、学校の先生が『轉法輪』中の文字を指して、読み方を聞かれました。先生は私が習ったことのない文字を殆ど読めたことに驚きました。この時、お母さんは大法が私に知恵を授けてくれたと、この場を借りて先生に大法を広めました。

 三. もう目に見えない宝石を送らなくて良い

 幼稚園年中組の時、転園してきた女の子が私の組に来ました。私は彼女と友達になりましたが、その子は人に命令するのが好きでした。ある時、この子は私の頭に綺麗な髪飾りを付けているのを見て、それを頭から外して、遠くへ放り投げ、自分で拾ってこいと言ったのです。私は彼女と口論になることもなく、ただ黙って拾いに行きました。

 放課後、私は悲しそうにお母さんに今日の出来事を話しました。お母さんはよく言い返さなかったと言い、その子は私の髪飾りを見て嫉妬したから遠くに投げたのだと分析してくれました。そして師父の法を思い出しました。「なぜなら、トラブルは突然現われるかも知れませんが、決して偶然なものではなく、みなあなたの心性を高めるためのものなのです。あなたが平素から煉功者として自覚してさえいれば、それに正しく対処することができるでしょう」[2]

 このような心性を高める機会は他にもたくさんあり、こんな事に遭いたくないので、朝起きて学校に行きたくない時が数回ありました。そんな時私は、お母さんに「人は辛くて、早く天国の家に戻りたい」と言うと、「こういう機会に心性を向上することができたことに感謝しなさい」、「小さい頃からいろいろな魔難を体験して、修煉の大切さが分かるようになるのは良いことだ、良いことだ」とお母さんは笑いながら言いました。

 そこで、私は自分の気持ちを調整して、彼女を助けようと思いました。彼女は人に命令するのが好きで、自分の思い通りにならないと、大声で罵ります。私は彼女に人を罵ると徳が失われるよと忠告したのですが、理解してくれませんでした。他の友達に「徳は目で見えないがとても大切なもので、叩いたり罵ったりすると、良いものは相手に飛んで行ってしまいます」と伝えました。すると彼女は理解し、もう私を罵らないと言ってくれました。彼女は本当にそれを理解していました。

 四.師父に守られて健やかに成長する

 あと4日で9歳になります。この9年間で、薬を飲んだことがありません。ある時、お母さんは病院の先生に法を広める時、娘は今まで一度も薬を飲んだことがないことを話すと、先生にはとても不思議で仕方がありませんでした。

 お母さんの話によれば、私は初めて熱を出したのは1歳の時でした。その時私はベビーシッターの家に住んでおり、ベビーシッターも大法弟子で、他の親のように病院に連れていったり、解熱の薬を飲ませたりしませんでした。ただタオルで冷やすだけで、12時間以内に熱は下がりました。その後、めったに熱を出さず、発熱しても12時間以内で自然に下がりました。

 師父のこの段落の法を理解するようになりました。師父は「なぜ修煉中に重病にかかったかのように、身体が辛くなるのでしょうか? しかも、なぜ時間がしばらく経つたびに現れるのでしょうか? わたしが法を説く中で皆さんに教えたように、それは業を消すことであって、あなたが一世一世で積んだ業力を消すと同時に、人の悟性を高めることでもあります。しかも、学習者が大法を確固として信じているかどうかを試しており、世間法の修煉から出るまでずっと続きますが、大まかに言えばこういうことなのです」[3]。私はお腹が痛い時、これは業力を消していると思い、心の中で「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じて、しばらくすると治りました。

 ある時、お父さんの車に乗り家に帰る途中、突然眩暈がして、吐きたくなりました。お父さんは「右折すると病院ですが、真っ直ぐ行くと家になります、どうしますか」と聞かたので、私はすぐ「家に帰ります」と答えました。修煉者は病気がないので、これは業を消しているとわかっています。

 家に戻り、お母さんに師父のオーストラリア法会でのビデオを再生してほしいとお願いしました。見ているうちに気持ちが悪くなり、数回トイレに行って、吐いたり下痢したりしました。これがもし常人の家庭であれば、すぐ子供を病院に連れて行ったでしょう。しかし、私の家は皆修煉者であり、彼らはこの様子を見ても淡々としていました。私もただ身体が辛いだけで、これは一世一世で積んだ業力を消していることを確信していました。一晩休んで、翌朝私の症状は全てなくなり、また友達と遊びに行きました。

 夏休みのある日、お父さんは書斎のパソコンの前で作業をしており、私は絵を描きたくてタンスの扉を開き、画用紙を出そうとしました。タンスの上に置いていたカメラにうっかり引っ掛かって、重いカメラが丁度私の足に落ちました。私は数秒立ち止まり、痛くて大声で泣き出しました。耳をつんざくような泣き声だったので、お父さんを驚かせました。お父さんはすぐに来てカメラを移動させ、私を抱きしめ1階まで運んでくれました。血が3階から1階まで滴り落ちて来ました。血を止めるため、お父さんはアイシングで冷やしてくれたのですが、傷口が大きすぎて血がなかなか止まりませんでした。しばらくしてからようやく止まり、それでも少しずつ染み出てきました。

 その日、お父さんは予定通り私を連れて映画を見に行きました。数日後、包帯を開き、ようやく傷口を見ることが出来ました。カメラは鋭いナイフのように、2本の指の成長板のところから切り裂き、爪が真っ黒になり酷い打撲傷を負いました。お父さんは薬剤師なので、アイシングをしたら血が止まるので、病院に行こうとしませんでした。

 数週間後、新しい爪が生えて来て、真っ黒な爪を切ると、元通りの綺麗な足になりました。傷口は酷かったのですが、師父の慈悲なるご加護でこの関を乗り越えられ、大きい業力を消すことができました。私は幸運な大法小弟子だと思います。

 五. 師父は私と縁がある衆生を私のそばに按排して下さった

 師父はいつも縁のある衆生をいろいろな方式で、私たちと縁が結びつくように按排して下さいました。以下は印象に残っている物語を交流したいと思います。

 ある時、私は台北にいるおじいちゃんとおばあちゃんの所に行って、鍋料理を食べ終わり、家に帰ろうとした時、私は前を歩いていて、歩きながら背負っているカバンに水筒を入れようとするのですが、手が短くてなかなか入りません。突然、後ろから若いおじさんが歩いてきて、水筒を入れてくれたのです。お母さんは、すぐ蓮の花をおじさんに渡すようにと私にくれました。そのおじさんはお礼を言ってから、私のことを可愛いと褒めてくれました。お母さんは冗談で「可愛いは法を広めることだね」と言いました。私は師父がいつも様々な形で縁がある衆生を私のそばに按排して下さり、私と縁を結ぶことを悟りました。

 お母さんは暇さえあれば、私と一緒に「洪吟」や『轉法輪』等の経文を読んだりしていました。ある時、バス停で待っていると、お母さんは「洪吟」を取り出して一緒に読み始めました。お母さんが先に読んで、次は私が読み、2人はどんどんテンションが上がり、隣のおじいさんの注意を惹きました。「何年生ですか」と聞かれました。お母さんは「幼稚園です」と答えました。おじいさんは「こんなに小さいのに、字が読めるのですか」と驚きました。お母さんはすぐ法輪功の資料を渡し、娘は修煉し大法が娘の知恵を授けてくれたから、字が読めるようになったことを伝えました。

 ある時、お母さんは自分の生徒のおじいさんを訪ねる予定でしたが、車で行く途中行きたくなくなったので、私の意見を聞きました。私は「もう行くことに決めたので、行くしかないです」と言いました。お母さんは私の意見を受け入れました。行ってみると、師父は縁のある人を按排して下さったことが分かりました。おじいさんの旧友がたまたま遊びに来ていて、行く前からおじいさんが「私のお母さんは気配りのできるいい先生だ」と言っていたので、お母さんはとてもいい印象を与えたのです。そこでお母さんは法を広めるのにとても順調で、相手も熱心に聞いていました。このことから、私は決めたことを必ずやるべきで、師父が既に按排したので、私たちが人を救うのを待っているのです。今回おじいさんの家に行かなかったら、この縁がある人を逃すところだったことを悟りました。

 また多くの人々が私たちの真相伝えを待っており、衆生にこの万古の機会を逃さないように、時間を大切にして、多くの衆生を救わないといけないのです。

 最後に、師父の『洪吟』の「安心」を同修の皆さんと共に学びたいと思います。「縁は既に結ばれ、法を修しており、多く本を読めば、圓満近し」[4]

 師父、ありがとうございました。同修の皆さん、ありがとうございました。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:「ロサンゼルス市法会での説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [3] 李洪志师父の著作:『精進要旨』「病業」
 [4] 李洪志师父の詩:『洪吟』「安心」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/12/26/435255.html)
 
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