色彩学と修煉文化(四)
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文/Arnaud H.

 【明慧日本2022年1月16日】(前号より続く)前号では、西洋文化における具体的な物質成分への認識についてお話しました。ここで多くの専門家は、錬金術を連想したかもしれません。美術界では昔から美術材料学と顔料史学によく見られることですが、多くの顔料や材料は、そもそも錬金術の実験に由来しています。今日の学術界では、錬金術の実験は現代化学の前身であり、科学の発展に寄与したと考えられています。しかし実際のところ、錬金術は一種の古い秘伝の修煉方式です。

 秘伝ですので、ここでは錬金術の具体的な修煉方法や内容については触れません。単に錬金術の美術材料学における役割と、歴史的な社会文化への影響についてお話します。

 実は、「錬金術」(Alchemia)という中国語に翻訳された名称(日本語の名称も同じ)は、適切ではありません。「錬金術」は、技術ではないのです。ラテン語では中国の「丹道(丹の道を歩み:中国多くの修煉門派の修煉方式)」を「Alchemia」と翻訳します。この単語の概念は「煉金術」の意味より広いものです。しかし、ここでは皆さんの理解のため、聞き慣れた名称の「錬金術」とします。

 「錬金術」と中国の「丹道」が結びつく証拠があります。両者の間には、多くの共通点があるのです。例えば、中国古代の道家の「外丹術」や「黄白術」では、すべて水銀、硫、鉛などの物質を重んじ、理論上は陰陽を重視しました。こうしたことは、西洋の「錬金術」と共通しています。

 中国の伝統文化の立場から見ると、西洋の「錬金術」は、西洋の道家とも言えます。もちろん、それぞれの具体的な理論は、修煉門派間で異なります。まさに違いがあり、それぞれの特徴があります。

 今知られている「錬金術」の文化では、「錬金術」は秘伝の材料と方式による化学試験、または精神的な秘術を組み合わせたものと考えられています。これは道家の外丹術と似た修煉方法です。しかし、この修煉も流派が分かれています。例えば一部の流派では、人身を容器や坩堝あるいは鼎炉と見なし、心性を向上させて賢者の境地に昇華し、体内に「賢者の石(Lapis Philosophorum)」を生成します。これは中国道家の内丹術と似通っています。

 歴史上の画家にとって、「錬金術」は避けて通れないテーマでした。当時、現代のような工業化された顔料生産業がありませんでした。そのため、一部の基礎素材を除いた全ての材料について、顔料の製造、練り合わせるための媒体、さらに揮発油の蒸留などの複雑かつ精密な仕事は、すべて画家本人や助手、あるいは弟子によるものでした。これには、様々な知識や操作技法が関わりますが、それは錬金術の理論に基づいた、多くの錬金術師による具体的な実践から得られたものでした。画家たちが錬金術師からこれらの具体的な方法を学んだため、彼らの材料学理論は、錬金術のそれを継承して実践したものとなりました。

 美術史書にも記載があります。例えば、14世紀の美術材料と技法学家チェンニーノ・チェンニーニ(Cennino Cennini)は、彼の有名な「芸術の書」(Libro dell’Arte)に、「朱砂は錬金術を通して精製された色です」と記しています。もし当時の画家が朱砂の顔料を精錬したいなら、錬金術の関連知識を把握しなければなりませんでした。古代の画家の中には、描くこと以外に、できるだけこのような知識を多めに習得しようとした人もいました。これは、材料学の知識の最も重要な情報源だったのです。

 一般に「錬金術」と言われるものは、必ずしも本当の錬金術ではありません。「錬金術」には非常に長い歴史がありますが、長きにわたり秘伝、1人を選んで伝えるものとして存在してきました。精華の部分が外に漏れないようにしてきましたので、真の「錬金術師」は非常に少ないのです。人々に知られている関連する歴史は、一種の文化史のようなものです。同時に、錬金術師の心性への要求が非常に厳しい流派も多く、思考を純粋で単一なものとするため、世間から切り離され心を落ち着けて修煉するように要求されました。そして、非常に神秘的なものとなったのです。

 錬金術の神秘さと、伝えられてきた奥深い理論は、多くの人々を惹きつけました。大きな社会的影響を与えたのです。多くの文献によって、17世紀以前のヨーロッパで教育を受けた人々は、基本的に錬金術のおおよその知識を持っていたことが分かっています。つまり、錬金術は社会に普及した文化となっていたのです。

 ここで一つ、強調しなければならないことがあります。それは、真の錬金術と社会で伝わっている錬金術の文化とは、別物だということです。一旦文化として形成されると、人は異なる内容や異なる性質のものをすべて包容します。そして古いものを取り除き、よいものを吸収して新しく発展させていくことになります。例えば、昨今の人は、西洋のクリスマスを祝い、また西暦1月1日の新年を祝い、中国人なら引き続き旧暦の新年も祝い、また上元を祝って…、つまり、人は祝日の概念にこだわらず、ある国やある形の祝日に関係なく祝うのです。

 しかし、真の修煉法門ならば、このようなことは許されません。如何なる改修も、修煉を失敗させることになるからです。そして修煉界では、秘伝あるいは1人を選んで伝える法門なら、内容について勝手に本を執筆し、社会に出版して知らせることを許しません。一般に公開するなら「秘伝」と言えるでしょうか? 例え少数の正統な錬金術師が何か書いたことがあったとしても、それはその一門の修煉文化を残すという目的であり、重要な部分は曖昧にするか、あるいは記載を避けることになります。

 その結果、真の錬金術は世の人々に知られることがないのです。一般の人々が聞いているのは断片的な表現や文化的な内容でしかないのです。社会に伝わる書籍には、あることないことが書かれていたり、偽物が本物とされたり、似て非なることがたくさん書かれています。これによって引き起こされた影響や結果は、良い悪い半々になっています。中国古代における外丹の修煉と同じです。歴史上の書籍には、修煉者が丹薬を食べて神仙になったという記載があり、逆に丹薬を食べて中毒となった内容もあります。このため、唐の時代以降、外丹術は世間で軽視され、それが少々回復したのは明の時代になってからです。もちろん、ここで筆者は社会の表面的な現象についてお話しています。深いレベルでは、時代によって異なるルーツと関わります。

 修煉は、極めて厳粛なことです。真の教え以外、すべて間違っています。要領を得ない独学者は度々の失敗を経て、錬金術を学ぶために霊を招く方法を用い、他の空間の生命を招いて錬金術の調合を得ようと試みていました。西洋の召喚術には、神様を招くこと(Theurgia)と魔を招くこと(Goetia)の二種類があります。しかし、強烈に求める心で招いた霊体は、大体よくないものです。特にキリスト教時代では、このようなやり方は教会の強烈な反発を招き、処罰されました。

 歴史の発展に従って、社会で出版された様々な錬金術の書籍は、さらに様変わりしました。大部分は心法を得ず、さらには外に求めて実験だけを重んじることになり、そもそも修煉文化であったものは科学技術の文化へと変わりました。近代化学が錬金術文化から生まれると、物質と精神の理論的な繋がりが直接的に切断され、化学者たちは素人錬金術師のミスを攻撃し始め、彼らをいかさま師と称しました。特に産業革命以降、科学の勢力による伝統文化への否定はさらに強烈なものとなり、錬金術の名誉は大きく毀損しました。

 一部の化学的経験が豊富な錬金術師は、自分自身が昇華することや万能薬を製煉すること、或いは不老不死のことについて信じることができず、逆に技術手段を通して卑金属の表面的な品質を変えることで金を搾取することに熱心でした。これらのことは、当時の社会における「錬金術」の評価に多くのマイナスの影響を与えました。

 錬金術がヨーロッパで盛んだった時、ちょうど油彩画の材料と技法が生まれました。徐々に形になっていった時期でしたので、一部の美術書に記載されているように、油彩画はある程度の錬金術文化の影響を受けました。

 初期フランドル派(Flemish Primitives)を代表するヤン・ファン・エイク(Jan van Eyck)氏は、かつて美術史で油彩画の発明者と見なされたことがありました。もちろん今日では、彼の前にもすでに油彩画を描いた人がいたことが知られています。しかし、同氏(及び彼の兄弟フーベルト・ファン・エイク氏)は、油彩画材を改善し技法を確立しました。これによって当時の芸術の巨匠たちが油彩画を描くようになり、油彩画は西洋画壇で主導的な位置を占めるようになったのです。同氏は、油彩画の創始者と言えましょう。

 通常、弟子が長年にわたる学びと訓練を経て一人前の画家のレベルに達すれば、それまでの経験を活かして創作することになります。大量の時間や金銭、精力を使って新しいジャンルの絵画を開発する必要はありません。大量のコストをかけても成功できるかどうかがわからない前提でも力を入れて努力を惜しまないのは、物資的実験自体に、より高い価値と意義があると考える人です。そして物質自体に興味を持つ人は、基本的に錬金術師でした。ヤン・ファン・エイク氏もこのような研究者だったのです。

 ルネサンス期の芸術歴史家ジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari)氏は、彼の著作『画家・彫刻家・建築家列伝』(Le vite de' più eccellenti pittori, scultori e architettori)で、「ヤン・ファン・エイクは、錬金術に大変興味を持っている」と述べています。半世紀以後、フラマン人の歴史学家カレル・ヴァン・マンデル(Karel van Mander)氏も著作で同様のことを述べています。実は確率論の観点からは、油彩画の材料の改善の成功を理解しやすいのです。絶えず繰り返し実験すれば、必要な成果を得る確率は高くなるでしょう。

 油彩画の創始者だけでなく、油彩画の材料と技法が徐々に形になっていく過程で、多くの画家も錬金術を研究しました。ルネサンス期のアルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer)氏とパルミジャニーノ(Parmigianino)氏などの有名な画家も錬金術に大変な情熱を持っていました。その時代、神秘主義の芸術創作への影響が大きく、教会は通常、錬金術に比較的に寛容でした。さらに、ヨーロッパの上流社会の一部の愛好者の支援とサポートと相まって、宗教上の禁令に触れなければ、多くの実験が自然への研究・認識と見なされました。こうして油彩画の材料は、時間の経過とともに徐々に洗練されていきました。

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/10/8/431982.html)