文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年1月18日】「中国の同修はオンラインでの学法を直ちにやめてください ◎師父評注」という共有記事が明慧ネットに掲載された後、学法と交流のオンラインプラットフォームに参加した地域の修煉者はほとんどこの記事を気にせず、ましてやプラットフォームから脱退しておらず、相変わらず運営しておりさらに活気が出てきています。
彼らがどの頃からおかしくなったかは、数年前、彼らは習近平を救うために正念を送る活動も行い、パンデミック勃発後は、コロナウイルスを解消するために正念を発するネット活動も行っていました。
師父の経文『理性』が発表された後、オンライングループの一部の修煉者は自らを省みるようになりました。しかし、やがて、いわゆる「高く悟った」人が師父の経文に対する自分の理解を話し、そのグループのほとんどの人が、師父は自分たちのことを指していない、自分たちこそ本当に慈悲で衆生を救っている、オンラインで正念を発することは正しい、と再び同意したのです。そこで、彼らはコロナウイルスを解消するために正念を発し続け、「災いの神」を正そうとさえしたのです。
師父は、『永遠に覚える』という経文の中で、はっきりとこう説かれています。
「さらには大法研究会の責任者の話等々、また、自分でまとめた、わたしの説法・録音・ビデオ等々は、ことごとく、すべてその場でただちに廃棄してください」[1]
しかし、彼らは、録音や自分たちが選んだ記事をオンラインプラットフォームに残し、修煉者にそれを聴かせ、読ませたり、他の人に広めるよう促すことで、師父の説かれたことを公然と破っているのです。
これらの投稿記事は明慧ネットから来たものではありません。以前、明慧ネットに投稿されたことがありますが、掲載されなかったのです。
これらの人々は明慧ネットをあまり気にしておらず、彼らの意見のいくつかは明きらかに正反対です。彼らは自分たちのやり方で物事を進め、修煉者に自分たちの録音を毎日何時間もかけて聞くように促し、法を正す修煉に関する自分たちの理解を促進させているのです。彼らは自分たちが高いレベルの悟りを得たと思い込んでいます。
ある人は様々な学法グループに行き、修煉者はオンラインプラットフォームに参加するように勧めました。彼らはまず明慧ネットの記事を共有し、次に修煉者に「救い主は誰か」など自分の記事を読むよう求め、自分の見解と邪に悟った記事を宣伝するのです。
不思議に思う人がいるかもしれません。このような人たちは、なぜ師父の説かれたことを聞かず、明慧ネットの多くの注意事項を無視し、それでも師父の本物の大法弟子であると考えたのでしょうか?
明慧ネットに掲載されたある共有記事の中で、作者は次のように指摘しました。「私は、邪に悟った人たちは、旧勢力によって手配されたと学法で理解しています。彼らの中には本当に頭が混乱していて、自分のやっていることが正しいと固く信じていて、旧勢力により、頭の中に別の仕組みがインストールされ、ある時にある精神状態で現れ、どんどん悪の道を進んでいるような人もいます」
記事は続けて、「そのような人々は、しっかりと修煉していない修煉者の邪魔をし、人々を救おうとする私たちの努力に対して、非常に破壊的な役割を果たすことがあります。旧勢力によって彼らの頭の中に配置された『メカニズム』が活発に作動するのです。実際、このような人たちは非常にかわいそうな存在です」
「この種の人物の特徴の一つは、内に向かって探さないことです。つまり、しっかりとした修煉をしない人です。過去に拘置所に入れられたり、苦難にあったりしても、それは何の意味もなく、今の道を切り開くために用意されたものでしょう。将来、そういう人が出てこようが、別の形で悪の悟りを開こうが、騙されないように冷静でいなければなりません。師父の法に基づいて合理的に物事を見なければなりません」
ここ数年、オンラインプラットフォームに深く関与している修煉者たちは、自分たちのやり方が師父の法を助けるのに最も効果的で、自分たちの考えは師父の法を正す観点に基づいていると考え、プラットフォームを精力的に守っているのです。
同修は彼らと何度もとコミュ二ケーションをとりましたが、ほとんど効果はなかったのです。彼らの逸脱した学法と交流の方法は、長い間に次第にメカニズムが形成されてきました。同修が自分たちのやり方に疑問を呈すると、たとえ明慧ネットの良い交流文章を参照しても、彼らはいつも自分たちのやり方を正当化するための最も効果的な方法を見つけ出し、法からますます逸脱していくのです。
彼らは、異なる意見を干渉と見なし、師父の「干渉を排除する」という教えを悪用して、自分たちのやり方に疑問があると思う修煉者を追い出そうとします。結局、壇上にいる人は基本的に彼らに同意し、彼らに媚び、彼らの言動を褒め称える人たちです。
その人たちは、数人の修煉者を高く評価し、あの人は師父の説法に直接参加したとか、ある人はかつて悪の厳しい迫害を受けたとか言って、あたかもそれによって大きな強大な徳が蓄積されたかのように言います。
実際、これらの人物の中には、刑務所や強制労働収容所に入っている間に「協力者」となり、悪に洗脳され、信仰を固守する他の修煉者たちを拷問するのを手伝った人もいました。現在、彼らは非常に活発に物事を行うものの、非合理的で泥臭い頭のまま、自分だけでなく他の修煉者にも艱難辛苦を敷き詰めています。
師父は何度も機会を与えてくださいましたが、経文に自分のことが書かれていないからと言って、自分とは無関係だと思わないでください。自分の最終的な立場は自分で決めるものです。真実が明らかになる前に、すべての法を乱すことを暴露し、不祥事に関わったすべての人に悔い改める機会を与えること、それが師父の私たちへの計り知れない慈悲と救いではないでしょうか? この機会を逃さずに、 エンディングは自分たちで決めるものです。
以上は、あくまでも現段階での私の個人的な理解です。適当でない所があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「永遠に覚える」
【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】