迷いの中で希望の道を見つける
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文/中国河北省の大法弟子・清秀  

 【明慧日本2022年4月6日】私が法輪大法を修煉して10年以上になります。大法の超常さと神聖さを幾度も体験しました。ここでそれを書き出して同修と交流すると同時に、世の人々に大法の素晴らしさを実証したいと思います。

 修煉を始める前、私の生活は思うようになりませんでした。家庭が裕福でなかったため、生活費を稼ぐために一日中働き詰めで、家事や些末な事に苦労していました。姑は小さい子供2人の世話を手伝ってくれないばかりか、私に嫌味を言うのです。心身ともに疲れ果てていました。私は、よく運命の不公平を恨みました。思うままの人生を送る同年齢の人たちと比べて、自分はどうしてここまで不幸なのか。夜になるとあれこれとくだらないことを考え、いろいろとよくない念が浮かび、一晩中眠れなくなることもありました。 そして翌日に目が覚めると、頭痛とめまいがしていました。

 最も苦しかった時は、自ら命を絶って絶望的な人生を終わらせようと思いました。この惨めな人生から抜け出すため、離婚も考えました。 しかし、10代の2人の子供のことを考えると、母親がいない生活はどうなるのだろう? 彼らはどのような苦しみを味わうことになるのだろう? どれほど可愛そうだろう?  子供たちのために生きなければならなかったのです。

 そして運命のいたずらで、主人が胃腸炎にかかり、力仕事ができなくなってしまったのです。 農作業、力仕事、家の中の肉体労働は、すべて私がするようになりました。 その年は不幸なことが続き、私は右足の半月板を骨折して入院し、手術をしました。大きな手術ではなかったのですが、普通に歩くことができず、足を引きずっていました。 それでも義父母は何も気にせず、時には嫌味を言っていました。このときの私たちの生活がどれほど艱難だったか、お分かりいただけるでしょうか。本当にどん底の状態で、限界に達していました。

 私が生活に絶望していた時、かつて夫が商売していたときに持ち帰った法輪功の真実のパンフレットを思い出し、取り出して読んでみました。そこには大法の素晴らしさと超常的なところ、修煉者が心身の健康を得られた事が書かれていました。私は心の中で、大法の本を読みたいと強く思いました。私は知り合いの大法弟子を訪ね、『転法輪』を借りてきました。当時は修煉について何も知らなかったので、夜寝る前に2、3ページ読んで、眠くなったら本を置いて寝ていました。

 読めば読むほど読みたくなり、普通の本ではないことに気づきました。読めば読むほど心が清らかになり、読めば読むほど心が軽やかになり、自分を覆った暗雲が取り除かれ、晴れやかになりました。師父の奥深い法理が、私の心のもやもやを追い払い、私の心を照らし明るくして下さいました。

 私は人生の道理、人と人の間には因縁関係があることを知りました。姑が私にひどい仕打ちをしたのは、おそらく私が前世で彼女にひどい仕打ちをしたからで、これは因果応報なのです。大法の法理に導かれ、長年の姑への恨みが消えました。そこから私は意を決して大法の修煉に入り、同修の家の学法グループに加わり、皆と一緒に法を学び始めました。私たちは昼に法を学び、夜は煉功をしていました。 年配の同修が煉功動作がわからないときは、手を止めて根気よく教え、家に帰ってから自分で煉功を補っていました。このように私は毎日、佛恩を浴びながら、充実した日々を過ごしていました。

 ある日、私は寝る前に『洪吟』にある詩二首を暗唱したとき、ぼんやりと天目がテレビのスクリーンのようにパーッと開いたように感じました。そして次から次へと現れる楼閣が金色の光を放ち、楼閣の両側に二列の女官が並んで立っていて、身に清潔で透明な白いうすぎぬを被り、足は古代の靴を履いているのを目にしました。その光景はとても明晰で壮麗で、 枝に咲いた花は梅のようで驚くほどとても美しく、艶やかで・・・しかし喜んだ途端、何も見えなくなりました。

 私はこのときから、『転法輪』は天書であることを信じ、最後まで修煉することを決めました。もし上層部から修煉してはならないと言われても、北京城と交換すると言われても、私は修煉をやめません!

 法を学び、修煉を続けるうちに、私は多くの法理を理解するようになりました。実生活でも、師父の要求に基づいて自分を厳しく律し、あらゆる面で善い人、さらに善い人になり、誰に対しても優しく接していました。法理をはっきりと理解した後、私は長年の姑への恨みを捨て、心から彼女に感謝しました。あの時の姑の暴言がなければ、私は大法の修煉を始めていなったかもしれません。修煉を始めてから、姑も大変だったと思うようになりました。私は積極的に彼女に優しくして、絶えず生活に必要なものを支援していました。彼女が自立した生活ができなくなった時、私は率先して自宅に引き取り、心を込めて世話をしました。私は法輪大法が創造した生命であり、常に師父が説かれた法理を思い出し、あらゆる面で他人のことを考えるようにしています。

 私は姑のことを嫌がらず、汚いのも嫌がらず、疲れるのを恐れず、一生懸命尽くしていました。 すると、姑はよく「実の娘よりも優しい」と褒めてくれました。私が絶えず煉功し、心性を修めているうちに、知らず知らず足の痛みが治り、足を引きずらなくなりました。

 修煉の過程で超常的な現象は多くありましたが、ここではこれ以上話さないことにします。偉大な師父に感謝致します! 師父の慈悲なる按排で、私は大法を得ました。迷いの中にいた私は師父に救われ、生活に希望を与えられました。師父の大法が、長年の間私の心に溜まっていた恨みを溶かして下さいました。私は心身ともに健康な状態で修煉に励むことができ、大法の比類なき神聖さと超常さを実感することができました。

  私は知っていますが、10数年にわたる弟子としての一歩一歩の向上と心の昇華は、師父の慈悲に満ちた保護なしには成し得なかったのです。師父に恩返しすることはできませんが、精進して、さらにまた精進することだけが、師父が苦心された按排に報いることができるのです。世の人々が私の話に触発されて法輪功の真実を理解し、『転法輪』を見出して拝読し、師父の済度を得られるように願っています!

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/3/4/439648.html)
 
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