中国人民解放軍軍需大学の楊貴遠博士が受けた迫害(三)
■ 印刷版
 

 【明慧日本2022年4月10日】(前文より続く)

 強制「転向」は良い人に悪事を働かせるのと同じである

 私は小さい頃から、誠実な良い人だとみんなに認められていました。人には誰もが善の一面があり、自分の天性に反してずる賢くなりたくないはずです。しかし、不本意ながらも時代の大波に流され、良い人の基準から少しずつずれていってしまいました。私は『轉法輪』を読んでから、「善悪の報いは道義であり、人生の目的は修煉である。宇宙の特性『真・善・忍』の基準に従って自分に要求し、絶えず自分を向上させてこそ良い未来があり、そして悪いことをする人は、徳を損なって業力を作り、徳が完全に失われると、その人が徹底的に壊滅される」ということが、初めて分かりました。

 法輪大法を学んだ後、私は健康になっただけでなく、道徳心も向上しました。しかし、「転向」というのは、悪事を働くことから始め、良い人になろうとしても、絶対そのようにさせないことです。

 中国では昔から「ひとたび師と仰げば、一生自分の父親のように大事にする」という言葉があります。弟子が師父を罵ることは、師を騙し先祖を滅ぼすことであり、裏切りです。その時点からは恩を忘れ義に背く卑怯者、不名誉な裏切り者になり、即ち良い人になれなくなるのです。これだけではなく、あれこれを書かせ、中共の嘘宣伝や、法輪大法と創始者を中傷する悪質な言葉を写させたことによって、自分も誹謗中傷に加担することになり、悪者の手先になってしまうことになります。公開された「摘発大会」で撮影することは、自分がした悪いことを書面あるいは映像として残し、たとえ解放されても恥ずかしさと罪悪感で二度と良い人になろうとする勇気がないようにさせることです。

 悪いことをすればするほど、良い人から遠ざかり、良心も正念も失い、自らの考えを持たない肉体になってしまいます。この時になると、「転向」の基準に達し、これが「転向」の本質です。

 警官の働きかけで、数々の家族が敵対する悲劇

 警官は学習者の家族を利用して、学習者を「転向」させることもあります。一部の学習者の家族や友人は、労働教養所に招待され、敷地内に入ることも許可されました。教養所は本当に善意でやっているのでしょうか? もちろんそうではありません。学習者の親族や友人が来ると、彼らは一生懸命に偽善的な面を見せ、彼らがどのように学習者に親切にしてきたのか、ちょっとだけ自分の過ちを認めれば、すぐに釈放する等々などを主張し、学習者への迫害については一切触れません。

 この時、家族は学習者に罪が無いことを知りながらも、労働教養所に騙され、「不当な拘禁」を非難しないばかりか、身内の学習者にプレッシャーをかける茶番劇を演出する人もいました。泣いたり跪いたりして、「転向」をお願いする家族もいれば、激怒して暴力を振るう家族もいました。その時、警官は内心では喜んでいますが、表面上では同情や憐憫を示し、偽善的に説得するのです。

 数々の親族が敵対する悲劇を目にして、私は一人で孤独に耐えるしかなく、労働教養の期間中、友人や家族に一度も電話をしませんでした。

 厳正声明

 私は1999年7月に博士号を取得し、人民解放軍軍需大学に復職しましたが、法輪大法を学んでいることから、2000年8月に復員を余儀なくされました。2000年4月にほかの仕事に就きましたが、元大学の組織部から新しい会社にプレッシャーをかけたため、私は就職した会社を辞めざるを得なくなりました。2002年2月8日23時頃、私は不当に連行され、広州第一労働教養所に送られました。労働教養所で、私は様々な拷問を受け、全身を丸めて球状に縛り付けられたことがあり、頭を上げることも、背筋を伸ばすことも、座ることも、横になることもできず、全身に激痛が走り、呼吸困難な状態に陥りました。警官は法輪功創始者の写真を私の肛門と陰部に詰め込み、耐え難い汚い言葉を言い続けていました。このような状況下で、私は耐えきれなくなり表面上では「転向」せざるを得なくなり、自分の修煉の道に汚点を残しました。

 私の師父と大法を堅く信じる心は変わりません。永遠に変わりません! 私はここに、これまでの師父と大法に不利な言動はすべて無効であることを厳粛に声明します! 今後、私は大法に与えた損失を倍に補い、最後まで大法を修煉し続けます!

 楊貴遠 2004年8月7日

(完)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2004/8/11/81490.html)
 
関連文章