「口を修める」について再度語る
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文/河北省の大法弟子

 【明慧日本2022年4月25日】明慧ネットには「口を修める」に関する記事がたくさんありますが、一部の同修は相変わらず「口を修める」ことについて重視せず、これらの文章を読んでも他人のことを言っているのだと思い、好奇心、顕示心に支配される下で、言うべきではないことを従来どおりに喋っており、まったく気にしません。口を修めなかった結果、同修の間に隔たりができ、法を実証するプロジェクトに影響を与え、旧勢力に利用されても本人はまだ気づいていないようです。

 一部の大法弟子は、特に年配の大法弟子、若い人もいますが、会うととても親しく感じ、情に流されて何でも言い、聞いた後、他の同修に伝えている人がいます。

 以下は、現地での口を修めないいくつかの現象です

 一、
 心にもないことを言い、本人でさえどこから聞いたのか分からなくなっています。例えば、ある同修が邪に悟った同修の家に行った後、邪に悟った女性の同修は本を読み始めました。それを聞いた同修は、さらに伝え広めていました。「この情報はどこから来たのですか?」と聞かされた時、「人から聞いた話です」と答えました。続いて他の同修は「では、誰から聞いたのですか?」と聞いた時、言い伝えている本人は、誰々から聞いたのだと言うのです。実際のところ、ある同修が刑務所から帰ってきた女性の同修に対して、マイナスな考えを持っているので、ずっと彼女の家に行っていなかったということでした。

 二、
 同修が何らかの迫害を受けていると聞けば、同修の正念を加持し、対面で交流して善意を持って執着と不足を見つけるのではなく、すぐに邪悪の味方になり、同修の執着や欠点を探し、しかもそれを同修の間で広める同修がいます。一部の同修は、何かの良くない要素に邪魔されるのを恐れて、魔難の中にいる同修と接触せず、魔難の中にいる同修を見下す心を持ちながら同修を敬遠してしまい、全体を成し遂げることができなくなります。

 三、
 不平不満の心、自分が同修より優れているという心で、魔難の中にいる同修の執着と不足を指摘し、自分の境地で、このようにすべきであり、あのようにすべきであり、はじめて法に符合するのだと同修を要求して、魔難の中にいる同修はそれを受け入れられず、それ以来、同修間の隔たりが形成してしまいます。

 四、
 時には同修の間で広まったものが、魔難の中にいる同修の昔の欠点であり、後に魔難の中にいる同修がすでに変わったため、それによって同修の救援と手伝いに支障をきたすこともあります。

 五、
 性格が短気な同修もおり、怒ると大きな声で自分の感情を発散し、甚だしきに至っては汚い言葉まで口にしてしまいます。

 六、
 自分自身の修煉を第一に考えず、怨恨心を抱いて手伝いや救援に関わっている同修に対してうっぷんを晴らし、自分の修煉をおろそかにする同修がいます。救援に参加する同修はもともと圧力と難度があるのに、さらに障害を加えられてしまいました。

 七、
 何でも気軽に話す同修もおり、同修と一緒にいるととても親しくなり、誰々から何枚の真相資料をもらったか、その数や、いつどこで会ったか、誰が資料を作っているか、誰々にいくらの資料費用を渡したか、とにかく何でも非常にはっきりと話します。

 私たちの同修の多くは、「口を修める」ことを修煉の現れとして捉えがちですが、口を修めないことは、徳を失うことでもあり、業力を作ってしまい、その償いとして苦しみに耐えなければならないことでもあることに気づいていません。現地では、噂話を広めるのが好きな同修がおり、それも様々な程度の身体の迫害を受けました。

 これらの「口を修めない」現象は、自分の人心をも見つけさせました。同修の欠点を見る習慣、他人を責める心、自分のしたことを同修に認めてもらい、協力してもらいたい心などです。同時に、その地域の修煉状態の現れでもあります。私たちは師父の要求される通り、多く法を学び、しっかりと学び、同修の長所を見るべきです。

 何といっても、私たちは皆1999年7.20の迫害を乗り越えて今日まで歩んできたのであり、ここまで来るのは容易なことではありません。大法に対する強い信念がなければ、ここまで来ることはできないのです。私たちは互いに助け合い、全体を成し遂げ、一つになって全体の力を発揮し、邪悪を解体し衆生を救うべきです。

 「口を修める」問題について、私たちの一人一人が自分のこととして考え、自分を修煉者としてその中に身を置き、自分を探し、何かうまくいかないことがあれば、みんなが自分のどこに問題があるのではないかと原因を探し、次はうまくいくように努力すべきです。

 今日、この問題を書き出したのは、誰かの責任であることを言うのではなく、私たちの地域の三つのことをよりよく行い、神の道をしっかりと歩むためです。

 以上、現段階での私の浅い理解であり、不足な点があればご指摘いただければ幸いです。

 【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/4/2/440770.html)
 
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