探し求め続けて、やっと人生の目的を知る
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年6月17日】私は中国の北部にある都市で生まれました。この都市の人々はかつては、素朴で情熱的でした。伝統的な家庭で生まれた私は、家族から愛情いっぱい注がれて育ちました。両親は私に良い教育を受けさせるために、できる限りのことをしてくれました。

 新しいものへの好奇心が旺盛な私は、中学生の頃から世界の謎を探求したい、生きる意味を知りたいと考え始め、空飛ぶ円盤、バミューダトライアングルで生じた不可思議な失踪事件に関する本やSF小説を読むようになったのです。大学に入ってからは、さらに、歴史、文学、哲学、宗教などの本を多く読みましたが、やはり答えは見つかりませんでした。中国共産党の無神論教育で哲学や宗教に対して、人々は毛嫌いになり、疑問を抱かせました。

 大学受験を控えた頃、私は家庭の事情で尼僧になりたいという気持ちが芽生え、「出家すれば、この浮世から抜け出せる、情にとらわれることも無くなるだろう」と思いました。そして、家の近くの景勝地に尼僧になるつもりで出かけたのです。そこに着くと、廟の門番をしている若い尼僧が目を赤くして、泣いているのを見て、私は迷いました。「尼僧になっても解脱することもない」と思ったのです。そして、私はその山を下りて家に帰りました。

 1990年代に入ると、中国大陸で気功ブームが巻き起こり、さまざまな気功の流派が現れ、混在するようになりました。大学内にも気功が流行し、多くの学生が気功を学び、家族全員が気功を練習しているほどでした。しかし、私はそれらの気功が正しくないものだと感じました。1993年、大学の在学中の私は、書店で『法輪功』という本を見かけました。同級生も法輪大法を紹介してくれましたが、残念ながら、法輪大法とすれ違ってしまいました。

 「万巻の書を読み 千里の道を行く」という言葉がありますが、未来に夢を抱いて、私は家から離れたところの大学に入りました。専門的な知識を学び、技術を身につけ、社会に貢献できると思っていました。卒業後、自分の志を実現し、人生の帆を立てる時期であるはずでしたが、現実と夢とのギャップに、またしても戸惑いが生じてしまいました。仕事がうまくいかず、職場の人たちの冷たさと腹黒さに、私は適応することができませんでした。このようなストレスで、健康面に問題が現れたのです。

 私は再び、生きる意味を考えました。大学では常人の知識しか教えてくれませんでした。「私はどこから来たのだろう? 周りの人たちと同じように平凡に生きて、また静かに去っていくのだろうか。人に魂はあるのか、ないのか?」などと考えていました。この時点で、私は心身ともにすっかり疲れてしまい、双極性障害を患い、一晩中眠れなくなりました。

 私の病気は薬に頼るしかなく完治することはないと分かっていたので、母は、私のためにより能力の高い人を見つけたいという願望がありました。私は、3カ月間漢方薬を飲み続けた結果、眠れるようになりましたが、やはり精神状態がよくありませんでした。1995年、母は偶然にも法輪大法に出会い、宝物を見つけたように、すぐに家に帰り、私に教えてくれました。そして、早速私は、師父の大連での説法のビデオを観ました。その直後、熱が出始め、のどに小さな水ぶくれができました。病院で検査を受けましたが、特に問題は見つかりませんでした。私は法輪大法はとても良い功法だと感じたので、知人にも勧めました。

 1999年7月の前、中国のどの都市にも法輪大法の煉功点がありました。私は仕事のため、故郷から離れ、大都市に行きましたが、そこでも大法との縁が繋がれました。ある日、公園で法輪大法の功法を煉る人々を見かけ、「今回、大法とすれ違うことがないように」と、私は大法の修煉の道に入りました。暫くすると、心身ともに生まれ変わったのように感じた私は、人がこの世に来た目的は返本帰真するためだとわかり、法輪大法の修煉によって、生命の永久を獲得することができることを知りました。「これから、『真・善・忍』に従って良い人になる」と決心しました。

 私は些細なことにこだわらなくなり、人間関係で互いに腹を探り合って暗闘することもせず、誤解されたら我慢するようになりました。どこに行っても大法弟子がいるので、孤独を感じなくなりました。大法弟子たちと学法や煉功をして、生活の中でどのように良い人になるか、如何に人のためになれるかなど皆と一緒に切磋琢磨していろいろなところへ行って大法を広めていました。大法に興味を持つ人に出会うと、『轉法輪』を贈りました。その中の多くの人が大法の道に入ったのです。あのとき、私の生活は充実していて幸せでした。

 1999年7月に中国共産党が法輪大法への迫害を開始しましたが、私は依然として、しっかりと修煉の道を歩んでいました。当時、私は都市から遠く離れた会社に勤めており、休日に自分の給料で食材を買い、出稼ぎに来た労働者と一緒に料理を作ったりして、楽しく過ごしました。私はいつも、自分のお金で石鹸や常備薬を買って、会社の共有スペースに置き、誰でも使えるようにしていました。同僚が困っているとき、私は休日を利用して同僚に大法の法理を話してあげ、正しい行動をするようにと教えていました。同僚に大法の素晴らしさを感じさせました。「法輪大法は素晴らしい。師父が正しいことを教えてくださっている。大法弟子たちはみんないい人ばかりだ」とわかっているので、当局が大法を迫害しても、私は恐怖を感じることなく、質素で平和な生活を送っていました。

 その後、大都市で仕事をしていたある年、その都市に臨時人口調査がありました。こうして私は大法弟子であることが明かされてしまいました。それから、派出所の警官は絶えず勤め先の会社に行き、嫌がらせをしたので、私はこの10年以上勤めていた会社を辞めざるを得なくなりました。同僚たちは、法輪大法が中国共産党に冤罪を被され、弾圧されていることを皆知っていたので、私に同情してくれたのです。私はこのようなことに遭っても、落ち込むことなく大法弟子が持つべき道徳観と基準を守り、行動していました。

 現在、私は故郷に戻り、平凡な生活を送りながら、家族と仲良く暮らしています。周りがいくら賑やかになっても、私の心は水のように穏やかで、澄んだ泉に洗われたような清らかな気持ちです。世界に対する見方が変わり、人に優しくすることができ、私の人生は大法によって生まれ変わったのです。私の心の容量が徐々に大きくなっています。

 修煉の道のりで、迷いや苦しみ、荒れた時期もありましたが、大法は私の人生の道を照らしてくれる明るい光のようなものです。この道は、明るい黄金の道です。今後、迷わずしっかり自分の修煉の道を歩み続けていきたいと思っています。

 師父、ありがとうございます! 同修の皆さん、ありがとうございます!

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/3/23/439453.html)
 
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