文/南アフリカの大法弟子
【明慧日本2025年2月20日】1995年初め、『轉法輪』という大法の著作が発表されると、多くの縁のある人々がこの本を読み、修煉の道に入るようになりました。今日は、ある南アフリカの法輪大法学習者が『轉法輪』を読み、人生が変わった物語です。
南アフリカのヨハネスブルグ出身のアンデリスさんは、「私は魂を見失ったかのように、妄想の中で転びながら歩んでいましたが、法輪大法が私を救い、永遠に私の人生を変えてくれました。李洪志師父の慈悲に感謝いたします。師父が無私で大法を世界に伝え広めてくださったお陰で、私は修煉を始め、そして家に帰る道を見つけることができました」と語りました。
人生のどん底で 錬金術にのめり込む
2014年、私の人生はめちゃくちゃでした。当時、音楽の教師だった私は、離婚や失業など様々な挫折を経験しました。自分がこの世界とはもはや何の関係もないように感じ、私はどん底に落ちていました。
行き詰まったときに、偶然インターネットでいわゆる神秘学に触れました。私はそれにのめり込み、自分が神になり、輪廻から解放されたいと強く願い、さらに高みへと、精神的錬金術や神秘学を学び始め、どのようにして炉を作り、霊薬を培養するのかを学んでいきました。私は本を次々と読みましたが、修煉の答えを得ることはできませんでした。私は再び暗闇に陥り、神や道徳、正義、伝統、それに社会に対して良い影響を与えるというすべてのものを信じなくなり、自己崇拝に走り、自分のために生きるようになりました。
このような考えは私の人生に破壊的な影響を与えてしまいました。私は他人のお金を騙し取るようになりましたが、自分の行為を非常に恥ずかしく感じていました。
『轉法輪』を読み、師父の導きに感謝
2016年、私はインターネットで法輪大法が迫害されている記事を見ました。私は法輪大法のウェブサイトを開き、李洪志師父の説法と『轉法輪』を読み始めました。師父の説法録画映像を見終わった後、私は選択を迫られました。それは、以前学んでいたものを離れ、法輪大法に従うべきかどうかということでした。私の心の中では法輪大法が真理であることを理解していたものの、まだ決心がつきませんでした。
2024年になったある日、私は祈りました。「どうすれば精神的な巨人になれるのでしょうか? どうすれば来世で滅びずに生き続けることができるでしょうか?」
翌日、私は法輪大法のウェブサイトで再び『轉法輪』を読み始めました。読み進むにつれ、それが私にとってどれほど意義があることかがわかってきました。私は、自分がこの常人の世界に堕ちてきたのは、何らかの理由で悪くなってしまったからだと気づきました。もし自分の行為を変えなければ、死後、私の魂は滅ぼされてしまうと理解しました。師父は私を見捨てることなく、私に道を開いてくださっていたのです。2016年に『轉法輪』を読み始めてから、師父が私のために道を整え、私が執着を捨てて修煉できるように導いてくださったと、はっきりわかりました。師父が私を見捨てられず、他の誤った道から救い出してくださったことに心から感謝しています。
私はようやく修煉を始めることにしました。その日から、私は毎日『轉法輪』を読み続け、そして煉功と三つのことを行うようになりました。
修煉を始め、体を浄化し病が治った
2016年に初めて『轉法輪』を読み始めたとき、私は赤痢から回復するところでした。その年の初めに私は食中毒になり、命の危険にさらされました。医者が赤痢と診断し、薬を処方してくれたおかげで命は救われましたが、腸の出血と不快感はずっと続いていました。私は『轉法輪』を読むことで、完全に治るとは思っていませんでした。私が本を読んだ理由は精神的な問題の答えを探すためでしたが、驚いたことに、病気が治ったのです。それだけでなく、私は色情への依存も消えました。
ある時、『轉法輪』を読みながら、私はベッドに横たわっていました。すると、師父の法身が現れて、私の身体から厚みのある黒い物質を引き抜いてくださるのを感じました。それはまるで身体から剥がされていくようで、私は一瞬にして身軽さを感じました。
修煉を始めて約1カ月後、師父の法身が私に近づいてこられるのを感じました。師父は手を伸ばして、私の額に触れ、長く黒い蛇を引き出してくださいました。そしてその蛇を手でつぶされると、それはすぐに解体されました。
その日から、私は何か懐かしい感覚を持つようになり、まるで子供のころの自分に戻ったかのようでした。私は本当の自分に戻ったと感じましたが、その感覚は言葉では表現し難いものでした。
奇跡的な変化
大法を修煉してから、周りの人々が私の大きな変化に気づきました。その変化は昼と夜ほどの違いがありました。私が驚いたのは、街を歩いていると、通り過ぎる人々が私に微笑んで挨拶をしてくれるようになったのです。最初はその変化に慣れるのに少し時間がかかりました。
もうひとつ、奇跡的な出来事が起こりました。ある日、私と母が街を歩いていると、誰かが芝生を刈っていて、草刈り機の刃が石の破片を巻き上げ、それが私の目に飛んできました。その破片が目に当たり、跳ね返ったのですが、私はまったく痛みを感じませんでした。母は自分の目を疑いました。私はただ静かに微笑んで、何の問題もないと伝えました。これは本当に不思議でした。石はかなりの勢いで私の目に命中したように見えたからです。このような事故に遭った人は死亡したり、目を失ったりしていました。しかし私には傷一つありませんでした。これは業の返済であり、すでに清算されたと分かっていました。
また、ある時、私が椅子に座っていると、椅子が突然倒れました。私は羽の上を踏んでいるように感じ、軽く地面に落ちました。しかし、周りの人々には、私がひどく転んだように見えたと言われました。私はただ微笑んで肩をすぼめ、「大丈夫、擦り傷もありません」と伝えました。
ある日、ベッドに座っていると、突然ある光景が現れました。師父が私を連れていかれ、何層もの関門を通り抜けてある場所に着かれたのを見ました。そこで私は一枚の書類に署名し、いくつかの誓いを立てました。これは、私が人間界に来る前に立てた誓いであり、大法を修煉し、師父を助けて人々を救いたいという願いでした。