【明慧日本2022年6月20日】(内モンゴル自治区=明慧記者)内モンゴル自治区赤峰(せきほう)市の法輪功学習者・斉洪樹さん(以下、学習者)は、法輪功の「真・善・忍」の教えを堅持したとして、中国共産党(以下、中共)の裁判所から3回にわたり、合計懲役15年の実刑判決を不当に宣告され、公職も失ってしまった。生活と精神面でとても苦しんだ斉さんの妻は、今年5月に死亡した。享年60歳。
斉さんは赤峰市松山区紅花溝金鉱中学校の教師で、妻・劉桂英さんは、同区柴胡欄子金鉱の従業員だった。法輪功を学んだ斉さん夫妻は、道徳が向上し、心身ともに健康で、裕福ではないものの、むつまじい生活を送っていた。しかし、江沢民が率いる中共政権が法輪功への迫害を開始してから、斉さん夫妻の境遇は奈落の底に突き落とされた。
拷問の再現:スタンガンで電撃 |
2004年以来、斉さんは中共の裁判所から3回にわたって懲役3年、5年、6年6カ月の実刑判決を受けた。夫が公職も失い獄中におり、劉さんは夫の迫害を心配しながら、一人で子供を育て、家庭を守るために一生懸命に生きてきた。迫害の環境のなかで、彼女は精神的、物質的、社会的に打ちのめされ、不幸にも早世(そうせい:若死に)してしまった。
斉さんへの迫害を簡単に説明
2004年11月、斉さんは、学生に法輪功迫害の真実を語ったとして、赤峰市松山区公安局の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官・徐国峰に連行され、松山区留置場に5カ月間拘禁された。この間、斉さんは迫害に反対してハンガーストライキを行い、潅食された。潅食された時には、警官から排泄物も与えられた。
その後、斉さんは懲役3年の実刑判決を宣告された。赤峰市第四刑務所では、5、6人の受刑者が毎日斉さんを殴り、叱り、昼夜を問わず残虐な行為を行った。また、刑務所の警官らは斉さんを軍人の姿勢で立たせ、スタンガンで電撃した。
出所後2年未満の2009年9月8日正午、斉さんは再び連行され、その後、懲役5年の実刑判決を宣告され、再び赤峰市第四刑務所に拘禁された。
2015年7月22日午前2時、斉さんはオンニュド旗国保の警官・劉彩軍らに連行され、その後、法輪功への迫害で出世に燃える松山区国保の徐国峰らに渡され、松山留置場に拘禁されることになった。この間、斉さんは迫害に反対してハンガーストライキを行い、一度は保釈されたものの、その後再び連行されることになった。
2016年6月頃、弁護士なしで、斉さんは松山区裁判所から懲役6年6カ月と罰金2万元(約40万円)を言い渡された。斉さんの連行は今回で3回目であり、赤峰市第四刑務所で迫害された。斉さんは獄中で非人道的な拷問を受け、家族も面会を許されなかった。
2020年、中共は学習者に対する「ゼロ運動」を実施し、赤峰市第四刑務所も学習者に対する拷問を強化した。その中で、ユダ・張春艶は(ユダは裏切り者・邪に悟った学習者を指している)学習者を殴り、叱り、斉さんを強制的に「転向」させ、拷問を行った。