文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年7月6日】師父が私たちに教えてくださるのは宇宙の大法であり、大法大道を歩ませて頂いています。私たちが大法に同化し続けるにつれて、考え方が大きく変わります。それは一般の人々ほど複雑ではなくなり、単純になりますが、知恵が大きくなっていきます。
ある日学法をしていると、師父はこのように説かれました。「われわれの法門は、人心を真っ直ぐに指すもので、個人の利益や対人関係の軋轢において、それらのことを気にかけないでいられるかどうかが肝要です。」[1]
これを学んだとき、すぐに「気にかけないで」という言葉が目に入りました。私たちは常人社会で修行をしているのであって、常人の世界にある個人的な利害や対立、官職といった物質的なものの存在は、それ自体が意味するものではなく、それらに執着する心を捨て、「気にかけないでいられる」という態度で接するために存在していると、ふと理解しました。
それに気づいたとき、ある同修とのトラブルを思い出し、気にかけないでいようと思うと、本当に風のようにさっと流れていきました。最近、ある訪問者が1カ月以上家賃を払ってくれていないことを考え、私も「気にかけないでいられる」と、こう考えるだけで軽くなり、重要ではなくなりました。会社の職位評定のことや、子供の欠点などを考え、それも気にかけずにいられる、要するに、個人的な利益に伴うすべての問題を「気にかけないでいられる」という法理で扱う必要があります。
この時、私は一瞬部屋の中にいて空中の最高点にいるような気がして、体が軽くて、美しくなったような気がしました。大法に身を委ねられることの素晴らしさを実感しました。
「気にかけないでいられる」の法理に対する認識の向上と感じたこと、師父が説かれた「大道は至簡至易である」[2]の意味を悟りました。一見シンプルな言葉ですが、私たちの修煉の指針となるのは、本当にその通りだと思います。常人のすべてを「気にかけないでいられる」。ここまでできれば、それはもはや人間の領域でしょうか?
学法する過程のちょっとした体験談です。 不適切なところがあれば、ご指摘いただければと思います。
ありがとうございます。合掌!
注:
[1] 李洪志师父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志师父の著作:『大圓満法』「一、功法の特徴」