文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年7月26日】私は1999年3月に法を得ましたが、修煉の過程は順調とは言えず、辛くて苦しく、私自身も原因が分かりませんでした。問題にぶつかると、常人の考え方が浮かんで、大法がどのように要求しているかを思い出せなくて、つまり正念がなく、大法の基準で自分を要求していません。
2021年6月から、座禅をする時に両足が組めなくなってしまい、片方の足がよく落ちます。上にあげても、またすぐ落ちてしまいます。仕方がないので片足を組んで煉功することにしたら、入定もできなくなりました。歩く時、足が重く感じて、階段を上がる時に息が切れます。このような現象は一度もありませんでしたので、自分の修煉に問題が起きたと分かりました。内に向けて探してみましたが、何も探し当てられませんでした。「3つのこと」をずっと続けて、『轉法輪』の一部は暗記までしていたので、自分の修煉には問題がないと思っていましたが、いったいどこに問題が存在しているでしょう。
師父のご教示を頂き、突然頭の中に「よく相手を責める」の言葉が浮かびました。問題が起きる時、私はいつも相手を責めています。自分は正しく、すべては相手に問題があるからと思って、相手の言動を鏡にし自分の不足を見る意識がずっとありませんでした。それから闘争心、名利心、嫉妬心、負けず嫌い、上から目線、私心、恐れる心、安逸心、自分を守って相手を警戒する心、嘘をつくなどなど強い人心が見つかりました。
「また低下した道徳水準で自分の言動を判断し、他人よりましだと思っている人もいます。判断の基準まで変わったからです。しかし、人類の道徳基準がどんなに変わろうとも、この宇宙の特性は変わることはなく、それが良い人と悪い人を量る唯一の基準です。ですから、修煉者としてはこの宇宙の特性に照らして、自分を律しなければならず、常人の基準で自分を律してはいけません。返本帰真を願い、上の次元へ修煉しようとするには、この基準に従って行動しなければなりません」[1]を何度も読み直しました。
20年以上修煉して、今日、初めてこの部分の意味を理解したかのようです。師父は私に観念を変えるように教えているのではありませんか。大法の要求に従って自分を修めて、人心と観念を放下してこそ、初めて大法の真義を得られるのです。
家庭も私の修煉環境になります。強い性格の持ち主で物事が私の思う通りに運ばないと気が済まないことが多く、よく息子夫婦のあらを探します。特に嫁に対して不満はとても多いです。怠け者で何の家事もしなくて、孫の面倒を見ることも私に押しつけてきているとずっと思っていました。彼らと喧嘩をしていませんが、いつも怒っている顔をして、家の空気を緊張させています。今は自分が間違っていると分かりました。現したのは悪い人間性ばかりで、修煉者らしくありません。表現しているのはすべて悪であり、真善忍の特性の基準からあまりにも遠く離れています。息子夫婦の言動は私を高めるためで、私に執着心を取り除くために現れたことではありませんか。
私は考え方を変えると、家の環境も変わりました。特に嫁は勤勉になり、積極的に家事をやって、家の雰囲気も明るく良くなりました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』