心を静めて学法してこそ初めて新しい法理が見えてくる
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文/古光

 【明慧日本2022年8月16日】90歳の父は、2020年の後半ころから、自力で生活ができなくなったので、一人っ子の私は自然と扶養と介護の責任を引き受けました。2020年10月以降、父の体調は次第に悪化し、旧正月になると小便もベッドで済ませるようになり、しかも毎日3時間の点滴をしなければなりませんでした。

 父は2021年2月11日に点滴を止めた後、今年の4月まで痛み止めの注射を打っていました。その間父はずっと、「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」という心からの九文字を唱え続けていたので、体の痛みは次第に軽くなっていきました。しかし、まだ寝たきりで、一日中看病が必要な状態でした。

 このままでは、学法煉功に支障があるので発正念をして妨害を取り除きましたが、ほとんど効果がありませんでした。5月になって、私は心を静めて内に向けて探した結果、「妨害はあくまで外的な原因であって、内在的な原因は自分の学法、煉功と発正念がすべて形式上にとどまっており、任務を完成するためのものになっている」ということに気づきました。

 その時、同修から聞いたある出来事を思い出しました。同修の夫は炭鉱従業員で、会社から給料を支給できない状況が数カ月間も続いたので、家に食料がなくて大変困っていました。同修はやるべき仕事を終えると、足を組んでしっかりと学法を始めました。するとその姿を見た夫が、「お前は本当によくやるね、昼に食べるものもないのに、なんで勉強する気になれるの?」と言ったそうです。しかし、同修は「困難な状況であればあるほど、心を静めて学法すべきです。考えすぎても意味がないからです」と言って、引き続き学法しました。同修の夫は落ち着くことができなくなり、家の中を動き回っていたそうです。

 同修は一講を読み終えた後、夫に「早く給料を取りに行ってくださいね」と言いました。 夫は「あり得ないだろう…」と言いましたが、同修は「教えてあげたのですが、行くか行かないかは、あなたが好きなようにすればいいのです」と言いました。それを聞いて、夫はバイクに乗って炭鉱に行きました。炭鉱に着くと、炭鉱の責任者が「ちょうどいいところに来たね、君の家には米がないと聞いていたから、君の給料を先に渡しますから、眼の前の困難を解決しなさい」と言いました。夫は嬉しそうに給料を受け取り、家に帰りました。この話を聞いた他の従業員も、急いで会社に行きましたが、責任者はすでに帰っていたのでした。

 上記の話から私は、父を看病することと学法することは、矛盾しないことが分かりました。まず、父の生活のスケジュールを整えました。日中は大法弟子の歌を聴かせ、心からの九文字を念じるように教え、それから心を静めて学法と煉功をしました。最初はなかなかできなかったのですが努力して続け、同時に発正念で心を強めると、徐々によくなっていきました。

 心を静めて学法した後、人間の観念や経験を取り除くことができました。例えば、私は4コアに住んでいますが、ある日、2コアと6コアにもカメラが設置されました。家に来た同修は、「棒でカメラを上に押し上げると、撮れなくなりますよ」と言いました。

 同修が帰った後、師父の法の一節が頭に浮かんできました。「煉功者の場合は、意念が功能を支配して働かせます。一方、常人の場合は、意念が四肢や感覚器官を支配して働かせるのです」[1]。私は人間の手でそれを動かしたことはなく、「それは機能しないものだ、ダメなやつだ」と思っただけでした。

 3日目、ちょうど私が通りかかった時、2人の男性がやってきてカメラを撤去していました。ある住民が2人に、「どうして撤去するのですか?」と聞くと、「工事費を払うと言ったのに、取りに行ったら再三理由をつけて支払ってくれないんだ、撤去したら気持ちもスッキリしたよ」と怒りながら話しました。

 それまでは、私は「生死を放下する」という法理を理解していなかったのですが、主な原因は「死」という文字だけを重要視していたので、「生」という文字を重要視していないことでした。ある日、「生きて求めるもの無く 死しても惜しまず」[2]を読んだとき、突然ひらめき、「生死を放下する」というのは、まず「生」を放下することが非常に重要なことであると悟りました。普通の常人が追い求めている精神的、物質的なものはすべて「生」のためであり、死後には役に立たないのです。徳と業だけが死後に持っていけるものです。

 私は1999年7月20日以前に大法の修煉に入ったのですが、学法と煉功をあまりしていないうちに、迫害が始まりました。北京に陳情するどころか、家にいるだけでも怖くてどうしようもありませんでした。特に「偽りの天安門焼身自殺」事件が放送されてから、家族は様々な手段や方法で私に信仰を放棄させ、離婚するとまで脅してきたのです。

 そして、冷静に考えた結果、修煉を貫くことにしたのです。その頃、現地の同修が連行されたので、家族も大変怯えていたのですが、最後に「修煉を続けたいのなら、とりあえずどこかに隠れてみたら」と言ってくれたので、私は同意しました。

 2002年の夏、私は山地の農場に住んでいる親戚の家に行き、山菜取りや薬草とキノコを採ったりしました。最初は学法と煉功を続けていたのですが、だんだんと緩んであまりしなくなりました。山を走り回る過程で、現地の30数カ所の団地やいくつかの営林場のルートをはっきりと把握しました。

 2004年の秋、家に戻ると学法グループや迫害の実態を暴露するプロジェクトに参加しました。年末には『共産党についての九つの論評(以下、九評)』が出版されました。私の地域の同修はみな精進しているので、2006年末には基本的に地域全体で『九評』を一通り配布しました。

 その当時、以前の農場の同修に連絡を取ったところ、同修の地域では『九評』を少ししか配れず、そこは基本的に空白の地域であることが分かりました。その同修と交流した結果、同修は費用とパフレットを出してくれて、私たちはレンタカーを借りて『九評』を配ることにしました。そして、私は「案内役」となり、詳しく地図を作って、3人の同修の協力を得て、農場の全戸に『九評』を配りました。

 この過程を書いたのは、転んだとき、そして全体から離れたとき、そこに転んだままにしないで、奮い立って追いつけば、師父は挽回のチャンスを与えて下さるのだ、と言いたいからです。

 また、「ゼロ行動」や「ドアノック」、あるいは他の方面で関を乗り越えられなかった同修と交流をしたいです。関を乗り越えられなかった、あるいは完璧に乗り越えられなかった時、負担にならないように、決して全体と同修から離れてはいけません。また、師父が自分を捨てられたのではないかと考える必要もありません。そのような考えと行動は、まさに旧勢力と邪悪が望んでいることです。 このとき、関を乗り越えられなかった原因は何なのか、また何に執着しているのかを真剣に振り返って考えるべきです。そして多く法を学び、内に向けて探し、それを取り除いて心性を向上させます。これは根本から旧勢力を否定することであり、口先で言うだけではできないことだからです。

 私たち一人一人の同修はみんな、妨害と関難の中で修めて抜け出したことがあり、このすべてが私たちの次元を向上させる良いチャンスだと思います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「無存」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/8/1/442974.html)
 
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