【日本語明慧】根本から自分の心を変え、より良く衆生済度する
■ 印刷版
 

文/日本の大法弟子  

明慧日本2022年10月4日】

 尊敬なる師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は2001年7月、明慧日本の設立当初から校正者として携わってきました。当時は大学生で、時間的な余裕もありましたが、仕事を始めてからは毎日とても忙しく、全く校正ができない日もありました。その後、毎日1日10篇を掲載することになり、掲載前の「最終チェック」を担当しました。翻訳文が足りない日には寝ずに待機する日もあり、なぜ翻訳者はシフトを守らないんだとか、もっとしっかり校正できる人がいればなど不満たらたらでした。今振り返ってみると、当時はただ仕事として一生懸命にやっていただけで、それほど「衆生済度するため」という目的を強く持ててはいませんでした。それから、他のメディアでさまざまな経験をすることになりました。

 一、メディアでの経験を明慧に活かす

 数年前、他のプロジェクトの人手が足りないということで日本語のウェブサイトの運営に携わることになりました。そこで初めて、Facebookの投稿と広告を経験しました。また、「いかに常人に興味を持ってもらい、読んでもらえる記事を書くか」について深く考え、経験を積みました。その後、別のメディアに移ることになり、動画の制作を初めて経験しました。動画は、FacebookやYouTubeで反響が大きく、記事や写真よりもっと効果や影響を出せることを実感しました。

 その後、縁あって再び明慧日本へ戻って来ることになりました。久しぶりに明慧の翻訳文の校正をすると、以前と違って常に常人という読者を意識している状態が自然に身についていたのです。このような言葉遣いは時事ニュースにはふさわしくない、このような表現だと日本人の常人は本当に分かるのだろうか? と考えながら校正をすることで、いろいろな問題点や改善点もどんどん見えてきました。明慧は、修煉者向けの体験談以外は常人向けで、ダイレクトに真相の内容が書かれているので、常人がよく理解できる文章にすれば、衆生済度にさらに大きな効果をもたらすことができます。

 まもなくして、明慧日本のメディアチームが結成され、FacebookやYouTubeを始めることになりました。そして、明慧ラジオと明慧ビデオも始まりました。またしても、以前のメディアで経験した全てが、ここで生かされることになりました。どの仕事も非常にスムーズに進みました。長年続けてきた明慧を辞めるときは心苦しく感じていましたが、戻ってきてみて、まさか5年間経験したことが明慧日本で生かせることになるとは、師父のご按配に本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。

 他のプロジェクトでは特に、心性の摩擦や試練が多くありました。久しぶりに明慧に戻ってくると、もう以前のような翻訳者に対する不満とか、他の校正者のミスを細かく気にする心が、かなり減っていると自分で実感できました。校正しづらい難しい文章でも、イライラすることが減りました。心性のぶつかり合いや、同修から責められたり批判されたり、つらい事を乗り越えてきたことで、同修に強く自己主張するとか、周りの同修に不満を持つ心が、かなり改善されました。自分でも、心が寛容になれたと感じており、相手の不足を薄く見れるようになりました。これらは私にとって長年の課題でしたが、少しずつ成長してこれたと思っています。

 二、家族の同修の魔難を通じて、心性を向上させる

 昨年、同修である父が突然、大きな病業による魔難を受け、当初はとても動揺してしまい、よく眠れない日々が続きました。恐怖と不安によりマイナスの考えがたくさん出てきて、情も出てきて、常人の心が一気にあぶり出されました。精神的苦痛は大きいのですが、これらの心が表に出てきたのは良いことで、少しずつ削り落とさなければなりません。それは分かっているのですが、どうすれば乗り越えられるのかと毎日ため息ばかりついていました。

 この過程で一番力になったのは、経文を学ぶことでした。今まで経文を学ぶことを重視していなかったため、法理の理解が浅く、いざという時に正念を強く保つための、法の支えが不十分だったことに気づきました。毎日時間をかけて経文を読み、重要だと思ったところはメモをして、後で繰り返し読みました。師父が法を正されることと旧勢力の関係、病業と妨害の見分け方、情と慈悲の違いなど、徐々に理解が深まりました。また、心性の試練に直面したとき、いかに1つ1つの出来事に対して、法理に沿って考え、判断することができるかが本当に重要であると痛感しました。そして、今回は自分自身ではなく家族に来た魔難であっても、これほど動揺するという正念の弱さが露呈され、今まで自分は修煉を頑張ってきたつもりでしたが、このままではいけない、自分の修煉に対する姿勢を根本的に見直す必要があると思いました。

 修煉はこの三界を抜け出て神になるためであり、そのためには自分の心性レベルを真・善・忍に少しでも近づけるように努力しなければなりません。しかし今までは、自分の心をいかに変えると努力するのではなく、表面的に三つのことを一生懸命にやっているだけの状態でした。心が変わらなければずっと同じ次元のままです。まず、長年にわたって関係の悪かった同修Aさんとの事にちゃんと向き合おうと思いました。Aさんとの間にいろいろありすぎて、Aさんの名前を聞くだけでも不快感が湧き出る状態でした。この状態でどうやって神になれるのか、すぐにこの物質を消去したいと思うようになり、その原因を探しました。Aさんを極度に嫌う情と、父を極度に心配する情は、両極端に位置しており、どちらも強い情であり、必要以上に気にしすぎること、法理からするとこうなるべきだと絶対視していることに気づきました。

 自分の考えの中の問題が見つかると、この法理からズレた考えを少しずつ変えていけば良いと分かりました。父に対してもAさんに対しても、その他大勢の同修と同じように薄く見るようにしました。そして、1人の修煉過程にはいろいろな状態や按配があり、それは師父が管理されていることなのに、自分が勝手にこうすべきだ、ああなるべきだと評論したり押し付けたりするなんて、自分はいったい何様でしょうか。しかも人のことばかり気にして、自分の心性は一つも変わっていません。これのどこが修煉なのでしょうか? もう人のことはどうでもいいので、自分の心を変えることに集中すべきです。このようにして1つ1つ、自分が感じたことや考えの中から、法理に合わないと思う部分を見つけて、原因を分析して、その考えの根源がどこから来ているのかを探して、真・善・忍に近づけるように自分を変えていきました。

 数日経って、Aさんの名前を思い浮かべても、何の感情も出てこないことに気づきました。自分でも少しずつ変化を感じていたところ、同修である主人が、「あなたは最近、あれこれ要求してこなくなったね。前と変わっているのが分かるよ」と言ってくれました。私は「最近気づいたのは、執着心をなくすということは、自分を変える努力をするうちに、自分がそのことを強く感じていた状態から、少しずつ薄くなり、最後にはほとんど感じなくなることで、つまりその物質の居場所が自分の中でなくなることなんだね」と返事をしました。今回の試練でなかなか悟れない私に、客観的かつ本質的な視点でアドバイスをしてくれ、大きな手助けをしてくれたのは同修である主人でした。主人は何年も前からずっと同じことを言ってくれましたが、納得できず自分は間違っていないと思っていました。今回、とても苦しんで自分が本心から変わろうと思えたため、やっと指摘を受け入れることができました。今は、不安や心配になる心がまだ残っているので、少しずつ薄くしていっているところです。

 このたびの試練を経て、自分の修煉状態を徹底的に見直すことができ、自分の考え方、感じ方、視点を変えることによって心性向上につながることが分かりました。また、明慧の校正者チームのリーダーとして、校正のスキルアップだけでなく、心性向上の面を重視してしっかり交流を行ってきました。最近のチームメンバーの交流内容を聞くと、1人1人が真剣に自分の不足を探し、改善するために考えて努力している様子がよく分かります。これからも、着実に心性を向上させることで、より良く衆生済度ができるようにしていきたいと思います。

 以上、法に適さない部分がありましたら慈悲なるご指摘をお願いします。

 師父ありがとうございます! 同修の皆さん、ありがとうございます!

 (2022年明慧多言語部門法会発表原稿)

 
(中国語: https://www.minghui.org/mh/articles/2022/10/1/450129.html)
 
関連文章