【ヨーロッパ法会】 戦争の中で衆生に真相を伝える
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文/ウクライナの大法弟子

 【明慧日本2022年10月12日】私は65歳で、大法を修めて8年になります。修煉前、オデッサとキーウで2回法輪功のチラシをもらいましたが、その時は読んでいませんでした。

 私の人生は親に育てられず、寄宿学校で育ちました。成長には多くの苦難があり、飢えを我慢しなければならない時もありました。先生は私たちを体罰する時もあり、その中から私は我慢することを覚えました。それでも、私はずっと人に優しくしようとしました。学校の教育は共産主義イデオロギーに基づいたもので、私たちは競争、嫉妬、利己主義の中で成長し、嘘をつくのも日常茶飯事でした。子供の頃から多くの本を読んで、真面目に勉強し、いつか特殊部隊で奉仕することを望んでいました。その目標のために、私はずっと健康な生活習慣を維持しました。

 法輪大法を修煉した後、他の気功を全部やめ、体がすっかり健康になりました。私は師父を信じて、法輪が体を清めてくださっているのを煉功の時に感じます。坐禅は私にはとても難しいことで、膝の古傷のため足を組むことができませんでした。最初はあぐらをかいて、1年後には徐々に足を組むことができるようになり、膝の痛みもなくなりました。

 師父と大法に対する確信があるため、煉功時のすべての困難を克服できました。師父が要求しておられるように、私はすべてのことを真剣に責任を持って行っています。何年も毎日『轉法輪』を二講読み続け、最初の一講は正座して読み、次の一講は足を組んで読みます。師父の各地での説法も何回も読みました。1日に2回煉功して、第二功法を1時間やります。

 師父は「真相を伝え、衆生を救い、これはすなわちあなたが行うべきことです。これ以外に、あなたが行うべきことはなく、この世界であなたが行うべきことはありません」[1]と説かれています。法を得た後、私はすべての人に法輪大法の良さを伝えたくて、『轉法輪』を買って前の同僚にあげて、私の子どもたちも『轉法輪』を読みました。

 私はキーウのヘレシャティク街の煉功場の担当者です。キーウの行政棟があるこの通りはとても重要な場所で、多くの観光客が訪れます。私はここで煉功し観光客から署名を集めます。私はキーウ郊外に住んでいて、週に5回煉功場に行き、片道2時間かかりますが、一度も休んだことがありません。

 真相を伝える当初、私の話し声はとても大きく態度も大きかったのですが、同修に指摘されてから、声量を抑えることができるようになりました。

 ヘレシャティク通りはウクライナで最も重要な真相拠点で、同修同士で意見の食い違いが起こると、そこに良くないことが起きます。ある日、私は前の同僚に真相を話していた時、何人かの同修が議論していました。振り返ってみると、ちょうど問題を起こした同修は道端のネズミを見ていました。ネズミは階段をゆっくり下りてきて、その同修のそばで止まりました。ネズミは怒りや争いの象徴です。他の同修は第二功法をやっていたので、私はネズミに「私たちの活動を邪魔しないで、ここは神聖な場所です」と言うと、ネズミは去りました。しかし、すぐにある宗教団体がやってきて、私たちの場所を使い、音楽のボリュームを最大にしました。

 自分にはまだ私心、闘争心、顕示心と熱狂的な執着心を完全に取り除いていないことに気づいています。ある日、チラシを配っていた時、あるヨーロッパ人が近づいてきて、首に動物の形のアクセサリーをつけて、歩きながら口で何か唱えていました。「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」のチラシを渡すと、彼は表情を変え、何かを恐れているようでした。同伴していた女性は彼の変化に驚きました。師父が私を邪悪なものから守って下さったと思います。

 師父はまた私たちの煉功場を守ってくださっています。動物の角と蹄を身に着け、長い爪の模様の手袋をはめた男が、煉功場の周りに何日もいました。ある日、男性がスピーカーを持って私たちの近くで変な音楽を流していたので、私は彼に近づいてチラシを渡すと、彼はとても怖がり、何かの言葉を口にしながら去ってしまい、それ以来二度と現れませんでした。

 ある日、トラックが、いつも煉功する時に私たちが立っている階段にぶつかり、当時そこには誰もいなくて、けが人は出ませんでしたが、修理のためその後の何日もそこで煉功することができませんでした。純粋な心と正念で大法のことを扱わなければならないと私は悟りました。多くの宗教団体が真相を知って署名をしてくれ、また共産主義は悪魔だと言って、私たちに感謝しました。

 体の業力が消去される時はたいていそれほど辛くないのですが、特殊な時もあります。ある日腎臓が痛くて、その痛みを克服するために、私は出かけてチラシを配ることにしました。家に帰れないほど痛かったのですが、帰ってから師父の説法の録音を聞いて、師父に助けを求めました。それから2日後に痛みが消えました。内に向けて探して、自分の欲望と色欲の心を見つけました。修煉する前に私はとても不道徳な生活をしていて、多くの不道徳な関係を持ちました。苦を嘗めることで、その方面の業力は師父がたくさん取り除いてくださったと思います。

 最大の魔難は妻の浮気でした。しかし私は妻とその相手に怒りを見せず、家庭を壊さずに済みました。その難によって私は嫉妬心、メンツを重んじる心、自惚れる心を除去しました。妻の友人は私の冷静な対応に驚きました。こんなことをこのように処理できるのは大法弟子だけです。

 戦争の中で法輪功の真相を世に伝える

 私は軍隊に入った経験があり、治安機関とも多くの関係を持っているので、一般市民にも高官にも法輪功の真相を話しています。今はロシアとウクライナが戦争をしている時期ですが、私はキーウ付近の軍事検問所でチラシを配って迫害停止を求めるための署名を集めています。

 師父は「法輪大法を修煉する学習者の中には、戦争時代に、戦場に行ったことのある人がいるかも知れません。あの戦争は大きな天象変化によってもたらされた状態で、あなたはその状態の中の一分子に過ぎません」[2]と説かれています。

 今年2月24日にロシアがウクライナを攻撃し、戦争が始まりました。私が住んでいる町ではほとんどの人が法輪大法を知っていて、死傷者も家の被害もほとんどありません。夜間外出禁止時間以外の時間帯に私はポストにチラシを投函し、この町を離れなかった人たちから迫害反対の署名を集めています。ある日、検問所でウクライナ側の指揮官に会って、大法の真相を話すと、彼は署名をしてくれました。翌日、彼は私が軍隊に入った時の装備を取りに我が家に来て、私も彼に作戦の経験を伝えました。

 キーウへの橋が爆破された後、私は自転車で村々へ行くことにしました。ある日、男性にチラシを渡した時、彼は私を攻撃しました。チラシ配りのことを熱狂的にやってはならず、適度にやらないといけないと私は認識しました。

 村々にチラシを配っていきたい熱意は消えず、領土防衛を担当する司令官にパスをもらえたらいいなと思って行きました。しかし私は拘束され尋問されて、その後釈放されました。防衛省の事務所で偶然に昔の生徒に会い、彼に真相を話して署名をもらいました。

 検問所での遭遇もさまざまです。私を怒鳴る職員もいれば、疑って私に身分証の提示を求める職員もいて、何も言わない人もいます。ある日、一人の指揮官が突然出てきて、私を厳しく問い詰めました。彼に真相を話す前に師父に助けを求め、私は『論語』を暗唱して、顕示心と闘争心を取り除くことを試みました。

 爆撃がそれほどひどくなかったころ、敵地に近い町に行き、郵便受けにチラシを入れました。ある家族が私を家に招きお茶を入れてくれましたが、別の家の前では、住民は私に住民登録証の提示を求めてパトロール隊を呼びました。私がスパイかどうかを確かめるため、パトロール隊は1時間以上細かく尋問し、最後に身分証とヘレシャティク通りでの煉功許可証を返してくれました。彼らは私に謝り、ここで戦闘が起こる可能性があると教えてくれました。

 他の地域と同様に空襲警報と夜間外出禁止令が続き、キーウはロケット弾で爆撃されましたが、ヘレシャティク街での週5回の煉功、およびボヤルカで週2回の煉功は中断したことがありません。すべての同修はチラシを配り、真相を語り、台湾の同修が作った蓮の花を配り、中国共産党崩壊を呼びかけるための署名を集めています。戦争中でも、同修はみな衆生を救い済度し続けています。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十五』『二〇一五年ニューヨーク法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 (2022年9月ヨーロッパ法会原稿)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/9/26/449945.html)
 
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