名利を放下し、真に修める弟子になる
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2022年10月31日】私が法輪大法法輪功)を修煉し始めたのは1996年からで、その時、副県級機関で副リーダーを務めていました。長年の修煉の道のりを色々と振り返ると、感慨無量です。修煉する前、胃腸病、結核、リウマチ、頭痛、目の痛み、鼻炎、中耳炎、子宮筋腫、貧血、そして血栓など、多くの病気に悩まされていました。修煉した後、師父は全ての病気を取り除いてくださったため、今、70歳近くの私は病気がなく体が軽くなり、歩きも軽やかになりました。

 長年にわたり、職場や家族、友人、近所の人たちは皆、「あなたは素晴らしい人だ!」と褒めてもらい認めてくれました。 私は「これは全て師父の教えのお陰だ。法輪大法は素晴らしいからだ 」と言ったのです。

 1、横領や欲も出さず、食事に誘われても断る

 さまざまな人が管理職を食事に誘うことが多く、私は副リーダーとして、ときどき一緒に行ったことがあります。大法を修煉しているため、大法の理で測ると、これは間違っていると思いました。「自分は食事会に行って楽しんだが、他の人は損をした。これは大法が要求することに反しているのではないか?」と思い、何をすべきなのかがわかるようになりました。

 例えば、私は部下に対して昇給や業績の評価をする時、昇給や昇格された部下は、感謝の意を伝えたいので、贈り物をくれるか食事に誘われることが多くあったのですが、私はいつも「ありがとうございます。お気持ちだけ受け取ります。昇給や昇格できたのは、あなたがよくできていたからです。それを正しく公平に評価するのは私の仕事です。ですから、私に1銭も使わなくていいのです」と柔らかにお断りすることにしていました。すると、部下たちは「どうしてそんなに良い人なのでしょうか? 今、あなたのような良い人を見つけるのはとても難しいのですよ」と言い、私は「そうですね、良い人になろうとしているからこそ、全ての贈り物や食事のお誘いをお断りしています」と言いました。

 それ以降、チームメンバーや部下からのもてなしや食事の誘いには参加しませんでした。時には他の数人で食事に行き、私は一人で仕事をすることもありました。ある日の退勤時間後、経理の担当者が私の事務室に入ってきて、私がまだそこで資料を作成しているのを見て「すごいですね! みんなは食べに行ったのに、あなただけ食べないで働いている。他の誰にもできないことです!」と声をかけてくれました。私は「励ましのお言葉ありがとうございます。修煉者としての基準があるので、容易にうまい汁を吸うことはしません」と言いました。

 1998年春のある日、管理者が私に省内の大きな市場で衣類を買わせるため、1人の従業員を同行するように言われました。そこで安くて質の良い服をたくさん購入したため、会社の出費をかなり抑えることが出来ました。帰りにその従業員が「今回、我々2人でこれだけ会社のために節約したのに、いくらかかったという領収証もないので、会社に多めに精算し、その差額を2人で分け合ったらどうですか?」と言いました。私は「それはだめです! 私はいわゆるクリーンな幹部になりたいわけではない。私は法輪大法を修煉していることを知っているでしょう。大法弟子として、そんなことをする人はいないことを知っておいてください」と言いました。そして、彼女に師父の『転法輪』での説法、「失と得」の関係について話しました。「失わなければ得られず」 [1]という宇宙の理は、すべてを制約しています。自分のものでないものを無理に取ろうとすると、そのものを得た同時に一番大切なものである「徳」を失うことになります。そのような愚かなことをしてはならならないのです。師父の仰る通りにし、法の基準に従って測らなければなりません。古人も「君子は良心に背いて金儲けをしてはならない」と言っています。お金がなくなったら、正しい方法で稼ぐことができますが、徳を失ってしまえば、永遠に見つけることはできないのです。

 私はその従業員に「私の言った話は正しいでしょう?」と尋ねると、彼女は私に深くうなずいて同意しました。二人とも朝早く行き遅く帰ってきて大変でしたが、充実感があり、心性を高める事が出来ました。

 2、名利を捨て、真に修める弟子になる

 私の職場では、幹部チームは、幹部リーダー1名、副リーダー3名の計4人で構成されており、私は副リーダーを務めていました。17年間の福リーダー職の間、私は幹部休暇という特別休暇を取ったことがありません。会社の物事は比較的煩雑であるため、私は良い仕事をするために自分のベストを尽くす必要があったからです。そのため、毎年年末の評価では、私が上級者(優秀)の第一候補として認められていました。そのたびに、私は率先してチームミーティングで「上級者になりたくない由」を述べ、第一線の中堅幹部にその枠を譲りました。優秀と評価できるかどうかが、昇給や昇進の肩書きに必要な第一条件だからです。チームは私の影響を受け、みんながお互いに譲るようになりました。

 もう一つの出来事があります。2000年頃、上からチームリーダー4人に一つの昇給する枠を割り当てられました。チーム内で相談した結果、私が最も多くの仕事をし、最も貢献し、最も優秀なので、私がこの枠をもらうべきであると、チームで一致しました。「師父は弟子に高い基準で自分を律し、何事も相手のために考えるべきだという教えがあるので、この枠をもらえない」と思ったのです。そして幹部リーダーに「私にはこの枠がいらないので、万さんに譲りたいのです。彼は私より年上で、家庭も大変で、奥さんも失業中なので、私より必要だと思います。万さんの申請資料は私から作成して上に提出します」と言いました。私の話を聞き、幹部リーダーは笑顔で「いいですよ! あなたは本当にあなたの師父の真の弟子ですね!」と言ってくれました。私は「そうですね。もし私が法輪大法を修めていないなら、どうして与えられた利益を手放すことができるでしょうか?」と言いました。

 3、早期退職 

 今までの幹部リーダーが定年になり退職したため、新しい幹部が就任しました。半年もしないうちに、新しい幹部リーダーに「若手をリーダーチームに入れたいから、問題ないでしょう?」と提案され、私は即座に「問題ありません」と答えました。そして、早期退職届けを上に提出しました。

 その届けは、なかなか承認されていなかったので、幹部リーダーは不安になり「なぜ、まだ承認されていないのか?」と聞いてきました。それで、私は幹部を管理する局長に電話をし「私の早期退職届けについて、承認結果が出ているかどうか、お聞きしてもよろしいですか?」と聞いてみると、局長は「まだだ! 53歳に早期退職という政策は、誰が出したのですか? よく仕事をしているのに、なぜ辞めなければならないのですか? おかしくないですか? 早期退職というのを諦めてください」と言われました。その返事を幹部リーダーに伝えましたが、彼は上でコネを使いたいと言い、どうしたらいいのか、と聞いてきました。彼の意味は、私にもう一度、早期退職届を提出させることで、私はそうしました。それで、2009年3月1日、2度目の早期退職届を上に提出し、今回は、すぐに承認されたため、退職年齢の55歳まであと2年でしたが、2009年3月末に職を譲り早期退職しました。

 私が退職すると聞き、従業員は皆が事務室から出てきていました。私の手を引っ張って「本当は別れるのがつらいです。お体に気をつけてください 。さようなら!」と言ってくれた人もいます。そこで、私は無条件に、黙々と38年間も働いていた職場を離れ、その幕を閉じました。

 私は早期退職して間もなく、友人に誘われて送別会に参加したところ、会社の経理担当者も出席し、演説もしました。「あなたはなぜこのようなバカなことをしたのでしょうか? お金をかけても買えない職位を無条件に他人に譲るのは馬鹿でしょう。以前、早期退職したある人が、給与が2等級も上がったのです。ある人が1等級に昇進してから早期退職しました。あなたは数十年、コツコツと働き、毎年優秀や先進と評価され、会社のお金を少しでも欲張らず横領もせず、最終的には何の利益も得られなかったのです。本当に不公平だと思っているのですよ!」と言いました。私は「あなたの正直なお気遣いに感謝します、しかし、私は修煉者ではないのですか? 他人と同じように名声や富を競うことができるのでしょうか? 大法の師父は「修煉者は本職の仕事をきちんとこなすこと以外、政治、政権などに興味を持つことはありません。そうでなければ、決してわたしの弟子ではないのです」 [2]と教えてくださったのですから、私は師父の弟子として、師父の言うことを聞かなければならないのです、そうでしょう? 私が大法を修めなければ、仕事はうまくいっているし、ミスもしていないのに、なぜ早期退職をしなければならないのでしょうか? ありえないことですよね!」と言うと、経理担当者は「なるほど! そういうことだったのですね、分かりました!」と言いました。

 退職後、新任の幹部と2回も会いました。彼女は「お姉さん、ありがとうございました!」と、とても丁寧に言ってくれました。私は「私に感謝するのではなく、法輪大法の師父に感謝してください!」と言いました。

 26年間の修煉を経て、法輪大法は善を益し憂いを除き「真善忍」という宇宙の法理が華麗に開花し、道に迷った人は法を知って恵みを受け、善良な人は法を学んで天国に帰るのです。我々には、師が法を正すことを手伝う使命があります。真相を伝えることによって、衆生は喜んで救い済度されるのです。

 修煉の道のりでは、まだまだ手放せない執着や不足がありますが、師父の教え通りに、これからもしっかり3つのことを行い、着実に自分自身を修めるようにしていきたいと思います。

 法に背き不適切なところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いいたします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「修煉は政治ではない」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/10/14/448253.html)
 
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