師父が僕の運命を変えて下さった
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文/陝西省の大法弟子

 【明慧日本2022年11月11日】少年時代の僕は身の程知らずで生意気で、親同士が決めた縁談にずっと反対していました。相手の女性が可愛くないと不満に思ったり、嫌ったりしていましたが、彼女はいつも僕に親切にしてくれました。結婚した後、彼女は僕のため、家のために尽くし、僕はかえって会社の同僚とあいまいな関係を続けました。

 当時、大法が伝えられたばかりの時に、妻の一家全員が修煉を始めました。ばかばかしいと思っていた僕も、義理の父が日に日に健康になっていくのを見て、徐々に抵抗しなくなりました。しかし、僕は社会道徳の低下に逆らえず、結局、妻との離婚を決心しました。

 双方の両親が離婚協議について話し合う約束をした前日の晩、妻は静かに自分の荷物を片付けていました。そして、僕の物がどこに置いてあるのか、いつ何を着るのかを伝えながら、以前妻に貸していたお金を全額返してくれました。

 妻の後姿を見つめながら、ふと自分の過ちに気づき、離婚する気がなくなり、この心優しい女性と一生をともに過ごそうと思いました。

 結婚して何年にもなりますが、子どもはできませんでした。両親は焦り、様々な病院に通い、妻も多くの薬を飲みましたが、効果はありませんでした。しかし、修煉を始めた妻は薬を止め、師父の按排に従うことにしたのです。そして、翌年、妻は妊娠しました。男の子が生まれましたが、先天性心疾患と診断されました。長年、家族全員の期待の中で生まれた子どもなので、権威のある児童病院に行きました。しかし、絶望的なことに、先天性心疾患の他にも様々な病気がわかりました。あまり裕福ではないため、お金持ちで心の優しい家庭に引き取ってもらおうと決めました。当時、妻はまだ出産して間もないため、入院していました。

 叔父と母親が事前に子どもの引き取り先宛てに手紙を書いている時、奇跡が起きたのです。その日の深夜、生まれた時から飲まず食わずの赤ん坊が突如食道内の汚物を吐き出し、大泣きしてからなんとミルクを飲み始めたのです。これを見た叔父と母親は少し様子を見ようと、再び権威のある病院に行きました。検査の結果、心室中隔欠損でした。7歳までに自然閉鎖する可能性はあるが、同時にさらに広がる可能性もあると言われました。

 そして、子どもは7歳になりました。当時のレントゲン写真を持って同じ病院に行き、再検査してもらったところ、完全に閉鎖していました。この交流文章を書くまでに20年経ちましたが、息子は非常に健康であるうえ、一流の大学にも合格しました。修煉者の家庭で育った息子はもちろん、若い青年弟子です。

 慈悲深い師父の救い済度に感謝いたします!

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/12/7/434432.html)
 
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