文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年2月12日】夫との縁は、どのような因果関係によるものかは分かりませんが、私の修煉の道のりにおいて、夫は私が乗り越えられない障害物のようなものになりかけていました。しかし、大法の佛光に照らされて、この障害物はついに変わりました。以下では、私は修煉中のわずかな経験をもって師父にご報告し、同修の皆さんと交流したいと思います。
一、頑固な障害物
大法を学び始めて間もなく、私の多くの持病が治ったのを見て、夫はとても支持していました。しかし、1999年に大法が迫害されるようになってから、彼は敵意を剝き出しにして、私の修煉に猛反対するように変わりました。夫の機嫌を損なわないように、私は夫の目を盗んで行動し、師父の経文でさえ布団に潜り込んでこっそりと読み、大法が迫害されている実態をなおさら伝えることができませんでした。このままではいけないとも思いました。師父は私たちに正々堂々と修煉するようにとおっしゃいました。それが分かっているがゆえに、とても焦っていました。しかし、法輪功を耳にするや否や彼は怒り狂い、私を罵りながら物を投げつけるときもありました。会話では無理だと見て、私は手紙を書くことにしました。
ある日、彼は怒りに任せて大法の本を破って5階から投げ捨て、香炉を落とし、師父の写真も燃やしました。とっさの出来事にびっくりした私は、青ざめた顔で地面に倒れました。これを見た夫は階下に駆け下りて、大法の本を拾ってきました。私は20日ほどかけて、大法の本を1ページ1ページと張り合わせましたが、指の腹ほどの大きさのページが欠けてしまいました。当時の私は、自分に漏れがあるとしか悟ることができませんでした。その時は、邪悪が夫を操って悪いことをしたとは知らず、彼自身がそうしたと思い、彼に対する怨恨心と闘争心を抱くようになりました。何を言っても聞こうとしない夫を前にして、私は法に則って自身を向上させるしかないと思いました。
絶え間ない学法と同修との交流を通じて、私は自分の情に対する執着(夫が怒ることを恐れ、夫がああすること、こうすることを恐れるなど)が最大のネックだと気づき「恐れる」執着を取り除く努力をし始めました。
二、理屈が通らない二面性のある人
夫は普段私を大切にしてくれていますが、修煉のこととなれば別人になります。夫が大法のことをよく知らないから、悪い態度を見せてしまうのだと私はずっと思っていました。その後、ある出来事がきっかけで、本当に大法を拒んでいるのは夫の背後にいる邪悪な生命だと分かりました。
ある時、夫の友人のパーティーで、私は夫がトイレに行った隙に、夫の友人に大法の真相が書かれたCDを渡したとき、タイミングわるく夫に見られてしまいました。家に帰ると、夫は大暴れして、酒を飲みながら私を罵り、窓を指さして「飛び降りなさい」と言いました。この一言で、私は突然目が覚めました。いくら私の修煉に反対しているとは言え、夫は絶対にこのような言葉を口にする人ではありません。
そのとき、夫の背後には私を破滅させようとする邪悪な生命がいるに違いないと気づき、私は早速正念を発し、夫を操っている邪悪な生命を解体することにしました。私は衆生を救うために世に来ているのであって、衆生に罪を犯させてはならず、衆生を毀(こわ)すわけにもいきません。と同時に、私は心の中で「師父、これは私が大きな忍の心を持つための試練なのでしょうか?」と問いつつ「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」 [1]と心の中で唱え続けました。唱えているうちに、私の心は超然として平和になり、怨恨心などは微塵もなく、慈悲に満たされるようになりました。夫の言動を見ていると、バカバカしく思い、シャワーを浴びに行きました。私が反応しないのを見て、彼は浴室の引き戸を開けて罵声をあげ続けました。
浴室から出た後、私は「もう寝るよ」と夫に言いました。何を言ってももう無駄だと分かった夫は、車のキーを持って家から出て行きました。私は彼の飲酒後の運転を心配して、すぐに下まで追いかけていきました。すると、彼が車のそばでタバコを吸っているのが見えました。私が下りてきたのを見て、夫は何事もなかったかのように、車内から座布団を取り出して地面に置き、座ってから穏やかにこう言いました。「あなたがついてくるとは思わなかった。もう私のことを気にしていないのかと思った」。私はこう返事しました。「あなたはお酒を飲むと冷静さを失い、衝動的になる。私はあなたと同じになってはならない。もし私が大法を学んでいなければ、あなたを許さないだろう。私の性格はあなたが一番よく知っている。以前は、先ほどのように当たられたら絶対に黙っていなかったはずよ」。この時点で、夫は完全に目が覚めました。私は邪悪な生命が解体されたことを知りました。ほんの数分間で、彼はまるで別人のように変わり、理性的に私と話し始めました。私も少しずつ彼の思いが分かってきました。彼は私が迫害され、この幸せな家庭を失うことを恐れていたのです。私たちは午前4時まで話し続けていました。
翌朝、彼は出勤してから電話をかけてきて、こう言いました。「昨夜言った言葉だが、どうも私自身が言ったようには思えない。もう完全に分かったから、今後、あなたが修煉することには口を出さない」。理屈が通らない二面性のある人が邪悪の按排から抜け出し、理性的に考え始めました。
三、大法の奇跡が頑固さを退ける
軍人出身の夫は、中共にひどく洗脳されている上に、思い込みも強いため、夫の考えを変えるのはとても難しく、夫に迫害の実態を話す度に反論されていました。しかし、大法による奇跡を前にして、その頑固さも消えつつありました。
ある時、同修一家と一緒に海水浴をしに行くことになり、パーゴラ(日よけ座敷)を借りました。貸主から「お姉さん2人(同修と私を指す)の体から光を放っていて、着いた途端に強く私に当たっています。私は長年佛を修めていて、6時間も座禅できます」と言われました。私は早速「私たちは法輪大法を学んでいます」と伝えました。それを聞いた賃主はすかさず「なるほど! いいですね。私はすでに三退しました。法輪大法は良いものです! 応援していますよ!」と言いました。横にいる夫は黙って聞いていました。このことが私の口から出たものなら、夫は絶対に信じません。
ある時、姑が入院して、夫と一緒に看病しに行った私は、姑に九文字の真言を心から唱えるように教えました。そこで、本当に不思議なことが起きました。2日連続で、姑は午前3時過ぎに白衣の天使が病気を治しに来てくれたと言いました。手術の当日、3本の心血管ステントを行う予定でしたが、1本で済みました。このことで夫も考えさせられました。
別の日の夜中2時に、私は突然体中が痛くなり、痛くないところがないほどでした。不安そうな夫を見て、私は「大丈夫だよ。少し煉功すればよくなる」と言い、座禅しに行きました。2時間ほどの座禅を終えたところ、体が軽くなり、何事も起こっていなかったようでした。私は夫に「ほら、良くなったでしょう。修煉者は常人と違って、体の調子が悪いのは功が伸びていることかもしれないし、業を滅してるのかもしれない。きっと大丈夫よ」と言いました。夫は先ほど見た夢を教えてくれました。夢の中で、夫は一緒にいる神仙たちに、妻の全身が痛いのはどういうことなのかと尋ねたところ『それが変身なのだ』との答えを得ました。そこで夫は神仙たちの言葉を信じて、安心して眠りにつきました。
別の日に、夫はまた夢を見ました。夢の中で、夫は占い師のところへ行き、自分の将来について尋ねました。占い師は「さらに何を求めるのか! 君は奥さんにしっかりとついていけば、幸せを享受することになる!」と言いました。夫は、夢の中の情景がはっきりしていて「人間はやはり縁を信じるべきで、すべては決まっているのだ」と言いました。
四、細かなことを通じて大法の純粋さを実感
夫は真面目かつ善良な人で、今の社会のモラルの低下や、人心が純朴でなくなっていることを知っています。その中で、夫もできる限り流されないようにしています。夫は、私と生活している中で少しずつ大法の純粋さと素晴らしさを実感し、徐々に大法に対する態度を変えたのです。
1.利益を重んじる心を放下し、他人のために考える
姑が入院して手術費が必要になったとき、私は夫にこう言いました。「現金7000元(約13万円)のほかに、私は銀行カードも持ってきました。今回はいくらかかっても、全部私たちが負担しましょう。彼ら(夫の4人兄妹)にはお金のことを言わないようにしましょう」。夫は感動しました。夫は心底から大法弟子を尊敬していることが伺えました。同じ病室の人たちはみな、お見舞い袋のことで議論していました。大法を実証する機会が来たと思い、私は夫にこう話しました。「提案があります。親のことは一番大事なので、いくら使っても構わない。しかし、私は何と言っても修煉者なので、修煉の基準に従わなければならない。ここで私が医者に礼金を渡せば、医者と同罪になる。大法の超常はあなたも何度も目にしたはずです。心を正しく持てば、大法による奇跡がまた現れます」。彼は「君の言うとおりにしよう」と言いました。結果的に親の手術は順調に進み、最も権威ある主任が執刀してくれました。
同じ病室の89歳の高齢者は「私の心臓バイパス手術もこの医師が行いました。私は全国で2番目、市内では1番目のバイパス手術でしたよ。あなたたちは本当に運がいいですね。きっとコネを使いましたね。しかも強いコネでしょう」と言いました。手術の後、私は夫にこう言いました。「今度はあなたが医師に感謝を伝えに行って。あなたが決めて。何を渡しても私は文句は言いません。これは私たちが感謝の気持ちを伝えるのであって、手術前に礼金を渡すこととはまったく違うことです」
その後、私は89歳の同室のお爺さんに事情を話しました。お爺さんは古参の幹部で、順調に三退しました。今回のことで夫も大きな衝撃を受けました。夫は大法による奇跡を再び目にしただけでなく、大法修煉者が最も正しい道を歩んでいることも分かりました。それ以来、お正月となると、夫は自ら私の実家の年長者たちにご祝儀を渡すようになりました。これは今までになかったことです。
(続く)