修煉して成長する私に、明慧ネットがお供をしてくれる
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年2月17日】20年近い修煉を振り返ると、感謝の気持ちでいっぱいになります。 法輪大法は、人生の意義を知らない常人の私に、この世に生まれて来た目的を理解させ、返本帰真の道をしっかりと歩む大法弟子へと変えてくれました。

 ドイツ製万年筆が2つに折れる

 1998年、大学時代の親友であるLさんは、私に一冊の『轉法輪』を渡し煉功を勧めました。当時、娘がまだ小さかったし、勤務先の娘の学校も自宅からは遠くて、毎日とても疲れていました。 「子どもが小さくて手が離せないから時間がないでしょう」と言って、姑は私の煉功に反対しました。私は本を一度読んだだけでそのまま棚の上に置いていました。当時はよく理解できず、少し疑問に思った内容もあり、迷信だと思ったのです。

 1999年7月20日、江沢民を党首とする中国共産党(以下、中共)は法輪功への迫害を発動しました。Lさんは北京に行って陳情したことで連行され、その後刑務所に入れられました。一番親しい友人のLさんが、テレビで宣伝されているような人だとは思っていませんでしたが、真実はどうなのかも分かっていませんでした。これは私を非常に混乱させ、無力を感じさせました。

 夫は大学の同級生です。結婚して娘が生まれ、新しい家庭に多くの喜びをもたらしました。しかし、夫は仕事のほかに食べたり遊んだりしているばかりで、育児や子どもの教育にあまり関わってくれませんでした。その不満から、夫婦喧嘩がだんだんと冷戦状態になってしまい、私は自分の結婚にとても失望していました。

 2002年の初め、私はDさんと浮気をしてしまいました。Dさんは私が勤める学校の先生で、とても知識が豊富で才能があり、私は彼に惚れました。彼は誰かがドイツから持ってきた万年筆を私にプレゼントしてくれました。私はずっとそれを大切に鞄に入れて持ち歩いていました。

 2002年10月、刑務所を出たLさんは、私を訪ねてきました。Lさんは私に法輪功迫害の実態を伝え、自分自身の修煉体験も聞かせてくれました。私はやっと中共の誹謗中傷と黒を白と言いくるめ、法輪功に無実の罪を着せた真実が分かり、大法弟子は皆良い人であると分かりました。Lさんは迫害を受けて仕事を失い、夫も中共の圧力で彼女と離婚したため、Lさんをしばらく私の家に泊めさせました。Lさんは数冊の大法の本を持って来ました。私は好奇心によって全部読みました。読み終わると、私はまるで目覚めたように感じました。師父の説かれた法を正すことについて、まだ深く理解していませんが、師父はこの世で人々を済度してくださっていると分かり、この大切な機縁を失ってはいけないと思いました。私はLさんから五式の煉功動作を習い、大法を修煉することになりました。

 Lさんは帰る時、大法の本を残してくれました。私がこれらの本を何度も何度も読んでいるうちに、人生のすべての疑問と困惑は大法の中で答えを見つけることができました。世の中に生まれて来たのは、大法を探すためであると感じ、それを見つけるためで、人生の意義が分かってきました。

 修煉を始めて間もないある日、私は鞄を開けると、Dさんが私にくれた万年筆が二つに折れているのを見つけました。万年筆の中にインクが入っていましたが、鞄の中にはインクの痕跡がありませんでした。その万年筆はドイツ製で、普通の万年筆より太くて、持ってみると重く感じ、非常に丈夫なのに、なぜか二つに折れていました。これは、師父が私にDさんと別れるようにヒントを与えてくださったと気づきました。

 翌日、私はDさんを食事に誘いました。私は彼に「私は法輪大法を修煉しています。師父は私たちに良い人になり、他人を傷つけ、道徳に背くようなことをしてはいけないと教えてくださいました。私たちのこのような付き合いは、人倫に反するので、誰のためにもなりません。今から別れましょう」と言いました。Dさんは理解してくれ、同時に、とても感動しました。それ以来、彼とは何の付き合いもありませんでした。

 師父の導きで真実を伝えるVCDを作成する

 大法を修煉し始めた頃、今ほどパソコンが普及していませんでした。師父の法を正す進展に遅れずについていくためには、パソコンを操作する必要があると思い、2003年に初めてのパソコンを購入しました。明慧ネットを通して、私は法輪功迫害の実態を知り、大法弟子は人々に真実を伝えなければならないと分かりました。「誰が、これほど多くの法輪功学習者が迫害を受けている現状を世間に発信するのか?」と思い、自ら真実を伝えようと決めました。

 私は明慧ネットの記事を真相資料として作り、人々に配ろうと思いました。しかし、私はパソコンとプリントの技術もないし、教えてくれる人もいなかったので、自分で模索するしかありませんでした。私はパソコンとプリンターを揃え、明慧ネットで提供されている技術に従って、少しずつ試してきました。その後、明慧ネットで大法の真実を伝えるドキュメンタリー映画『天地をめぐる勇気の旅』を見て、深く心を打たれました。「この映画を大勢の人に見てもらいたい」と思いました。2004年当時、パソコンを持っている家庭はそれほど多くありませんでしたが、VCDプレーヤーはすでに普及していました。私はパソコンに書き込んでVCDを焼こうと思いました。しかし、操作方法が分からなかったため、とても困っていました。

 不思議なことに、私は書き込みソフトを開くと、まるで誰かに一歩一歩指導されているかのように、スムーズに書き込みができました。「きっと師父が私に人を救いたい心があるのを見て、導いてくださったのだ」と思いました。それから私は大量にドキュメンタリー映画『天地をめぐる勇気の旅』のVCDを作り始め、出来上がったらすぐにあちこちで配っていました。

 私は外に出て法輪功迫害の実態についての資料を配布するたびに、師父が守ってくださり、順調に終わって、無事に家に帰ることができました。ある日、私が昼休みの時間を利用して、あるマンションで真相資料を配ろうとしました。入口の防犯ドアが閉じていたため、外から勝手に入ることはできませんでした。設置されているユニット棟の下に来ると、昼時間で皆休憩していたためか、マンションに出入りする人がいませんでした。「中に入って、住民に真相資料を届けないといけない」と少し焦りました。しばらく待っていると、「パチッ」 という音がして、なんと防犯ドアが自分で開きました。私は急いで中に入って、無事に資料を配った後、仕事に行きました。

 修煉して成長する私を、明慧ネットがお供をしてくれる

 私が2002年に大法を修煉し始めた時、中共による迫害はすでに残酷になっていました。Lさんと私は同じ都市に住んでいなかったので、私は集団で法を学ぶ環境がありませんでした。20年近くの間、ほかの同修にも接触しましたが、様々な理由で一緒に修煉することはできず、ほとんど1人で修煉する状態でした。明慧ネットがなければ、私は今日まで修煉を続けることはできなかったと思います。

 私は心の中で、明慧ネットは大法弟子の精神的な故郷であり、乱世の中の浄土であり、修煉者の無限の宝だと思っています。私は前に進めないと感じ、くじけそうになる時、明慧ネットの交流文章を読んだり、同修が師父のご恩を偲ぶラジオを聞いたりすると、元気が湧いてきて、自分がとても幸運だと感じます。また、私は自分の問題の原因を見つけられなくて困惑しているたびに、明慧ネットを開くと、それに関する内容を見ることができます。師父がいつも私のそばにおられると感じました。

 明慧ネットを通して、大法弟子が比して学び比して修し、励まし合い、共に向上することができます。この素晴らしいプラットフォームを与えてくださった師父に感謝いたします。そして、明慧ネットのために力を惜しまずに貢献してくれる同修たちにも感謝します。あなたたちは明慧ネットをこんなに立派に運営して、内容がこんなに豊富で、大法が世界中で広まっていく盛況と法輪功迫害の実態を伝えています。人々は、大法弟子が迫害を受けた時に顕われた大きな善良と大きな忍耐、そして、困難に直面した時も諦めず、人を恨まず、正しい念と正しい行いを保つことに感動しました。明慧ネットから、私は自分と同修の差を見つけ、そして精進して追いつくことができました。

 この20年余り、中共が狂ったように大法弟子を迫害し、真実を封じ込め、人々を害する中で、明慧ネットが一日も封じ込められなかったこと自体は大きな奇跡です。明慧ネットは、邪悪を滅ぼす剣のように、闇を突き破り、夜空を明るくし、大法弟子に方向を示し、人類に希望をもたらします。

 以上は私の体験です。正しくないところがあれば、ご指摘をお願いします。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/2/4/456149.html)
 
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