諦めない心を持つ
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年7月15日】私は1996年から法輪大法を学び始め、二十数年経ちました。修煉の道のりにおいて、少し遠回りしたり転んだりしましたが、師父の保護の下で今日まで来られました。私は師父の写真の前で跪き、修煉してきたことを振り返りました。いろいろな思いが次々と浮かんできて、「師父、弟子として恥ずかしく思うこともありますが、何があっても師父についていきます。この諦めない心を師父に捧げたいのです」と師父に話かけました。

 修煉の道に戻り 家庭の関を突破する

 大学在学中のある日、国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官が実家に来て、私を連行しようとしましたが、師父の保護の下で連行できませんでした。しかし、警官に「明日、国保へ顔を出すように」と言われました。恐怖心と名利心に駆られて、私は本当に翌日、国保に行きました。しかし、そこには前日家に来た警官らが居なかったので、他の警官から「明日また来ればいい」と言われました。

 悟りの悪い私は、警官の言う通りに、また国保に行きました。その結果、その場で連行されました。それから、数日間睡眠をはく奪され、私は本意に反する「三書」にサインをしました。

 解放された後、しばらくの間、私は自暴自棄になりましたが、大法のことを忘れることはありませんでした。しかし、家族に知られないように、こっそり大法の本を読みました。この状態が2015年まで続き、「もうこのままではいけない。煉功したい。正式に大法の修煉の道に戻りたい!」という思いがこみ上げてきたのです。

 当時、家が小さかったので、朝起きて台所で動功を煉っていました。妻が起きて台所に来て朝食を作り始めると、私はベランダに移動し、静功を煉ることにしていましたが、妻は嫌な顔をしていました。妻は私に、「大法を諦めるか、それとも離婚するか」と、どちらかを選択するように言いました。私は大法を諦めるようなことは考えたこともなかったので妻に、法輪大法が迫害されている事実を伝え、何度も話しました。しかし、妻は「それはすべて、あなたたちが自分から言ってることです」と言いました。つまり、私から伝えたことはすべて嘘だという意味でした。「天安門焼身事件」の疑惑などを話すと、妻は「あなたはそこにいなかったのに、なぜわかるの!」と言うのでした。

 当時、妻は度々私を叱ったり、追い出したりしていました。そのため、私は勤め先に泊まることもよくありました。1人になったとき、「もういい、離婚したほうが楽だし、そのほうが大法をよく学べる」と婚姻関係を解消しようと思ったりしました。しかし、家族のことと、子どもたちへの影響を考えると、決心がつきませんでした。

 師父は「あなたが煉功していても、あなたの配偶者は煉功していないという場合、煉功が原因で離婚してしまってはいけません」[1]と説かれました。妻とのトラブルは、私の修煉がよくできていないからだと考えました。「これからは妻に大法弟子の善の心を見せたい」と、自ら家事をやるようにしました。

 家庭の雰囲気は少し改善していきました。機会があれば妻に法輪功迫害の実態を明らかにし、『偽りの天安門焼身事件』の映像を見せたりしました。妻は少し、大法のことを理解したように見えたのですが、共産党を恐れてまた離婚を求めてきました。

 そのため私は「明慧ネット」で、私と同じような境遇の同修の修煉体験文章を、しっかりと読むようにしました。家庭内の「関」に対して、徹底的に放下したある同修の文章を読みました。自分も同じように家を出て解放されたいと思っていたのですが、妻がひどく騒ぎ立て、私を家から身一つでたたき出す契約書まで作成したのでした。その翌日、会社からの帰り道、「もうすべて諦めよう。家が二軒あるので自分は一軒もらえば、安定した修煉環境が手に入る」と私は真剣に考えました。そして家に帰って妻に「家一軒、欲しい」と伝えると、それを聞いた妻はなぜか騒がなくなりました。

 「何も持たずに家を出たいという私の考えは、法を学んで出た『念』ではない。それは、ただ人としての『念』であって、しかも顕示心であり、法に則っていないからだ」と気づきました。その後、私は理性的になり、自分の考え方が正しくなった時、魔難が軽減され妻が騒がなくなりました。

 その後妻は、私を説得するために姉と妹を呼んできました。義姉と義妹は教育を良く受けており、もともと優しくて素朴な人たちなので、せっかくのチャンスだから、大法についてしっかり伝えようと考えました。義姉が帰る際、ネットからダウンロードした映像の『偽りの天安門焼身事件』、『1400人死亡の真相』、『私たちは未来へ告ぐ』を義姉に見せながら、法輪功迫害の事実を詳しく伝えました。義姉は理解し、自分のニックネームで共産党組織を脱退しました。義姉は家に着くと、逆に妻を説得しました。自分のやり方が通用しなくなったと思った妻は、家族の前で再び離婚を口にしました。妻はどうしても離婚すると決心したようでした。

 このような長期的な家庭の魔難を経て、私はもう「情」というものを感じなくなり、心が空っぽになりました。その時のただ一つの思いは、「絶対に大法修煉を諦めない!」ということでした。しかし、思いもよらずこのタイミングで妻は、「あなたはこんなにも意志が強いのですね、もう忘れましょう」と言い出したのです。つまり、もう離婚はしないという意味でした。

 私は驚きながら、大法と慈悲なる師父の力を実感しました。今まで妻との会話の中で「意志が強い」という言葉を聞いたことがなかったので、「これは明らかに妻の口から出た言葉ではない」と感じたからです。

 最初、義妹も妻と同じ態度で、法輪功迫害の事実を伝えても聞く耳を持たなかったのです。うまく伝えられなかったと思った私は、『共産党についての九つの論評』をプリントして義妹に見せたりしました。ある夜、私たちは言い争いの末、「脱退しなければ、共産党と一緒に地獄に落ちるぞ」と私は義妹に言ってしまいました。義妹は、「ならば、私は地獄に落ちてもいい」と言い返しました。私はすぐに言い方が悪かったと気づき、義妹のことを可哀そうだと思うと同時に、「人を救うことは本当に難しい」と感じました。

 しかし、思いもよらず、その翌日、義妹から突然、「脱退したい。私の名前で脱退する」と言ってきたのです。

 今、私は家で自由に法を学び、功を煉ることができます。妻は大法を認め、共産党への入党をしないようにしています。

 家族が変わっていく過程を振り返ってみると、すべて師父の慈悲によるもので、私の心性が向上すれば、師父は家族を救ってくださるのだと思いました。

 常人の心を放下し 家庭が和やかになる

 子供が生まれた後、私の母が家に来て面倒を見てくれることになったのですが、家族の間で大きなトラブルが起きてしまいました。最初は嫁姑問題だったのですが、次第に私もその中に巻き込まれてしまいました。私は母に対して怨恨心が増し、昔のことを思い出し、すべて母のせいだと思うようになったのです。私は、「何で母は一歩も譲らないのか、嫁と争わなくても良いのに直ぐに争ってしまう。『いつも孫のことを心配している』とか、『面倒を見にきているのに』とか言いながら、楽をしているじゃないか。しかも小さな孫を1人にしたりする、危ないじゃないか」と、母に対して不満ばかり考えるようになりました。

 その後やっと、「このようなトラブルが繰り返し出てきたということは、きっと私に修めなければならないところがあるからだ」と悟りました。

 師父は、「われわれは常人の社会の中で修煉をしているので、親孝行をするのも、子供をしつけるのも当然です。どんな環境の中でも人には親切にしなければならず、まして自分の身内のものの場合はなおさらです。親だろうと子供だろうと誰に対しても同じように、何事につけてまず人のことを優先に考えるならば、それはもはや私心ではなく、慈悲心によるもので、慈悲そのものです」[1]と説かれました。

 私は、「師父の要求に従っているだろうか? 自分のことばかり考えて、何でも人のせいだと思うことは、間違っているのではないだろうか? 修煉者としては、どんな状況でも良い人間であるべきなのに、私は良い人間だろうか?」と考えました。確かに自分が間違っていたとわかっているのですが、直ぐには正すことはできませんでした。電話で母に、「ごめんなさい」と言うことさえできませんでした。

 学法を続けるうちに、悲しいことや手放せないことに関係なく、ただ母に優しくしてあげればよいと思えるようになりました。そんなある日、私の妹から電話がかかってきて、「兄さん、お金を渡すから、お父さんとお母さんに何か好きなものを買ってあげて欲しいの。でも、私が買ったとは言わないでね。お父さんとお母さんは、まだ私のことを怒っているみたいなので、後からお父さんとお母さんの怒りが収まってから、私から電話します」と言いました。

 現在、うちの大家族は和気あいあいです。帰省した時、母がこう言いました。「あなたの言った言葉は何だったかな? 紙に書いてくれたら毎日唱えるよ。私はもう主(キリスト教のこと)を信じない。あなたが言ったことを信じるよ」、私はこの言葉を聞いて「師父が今日まで法を正してこられたように、世人は本当に目覚めつつあるのだ」と、感無量になりました。

 私はよく明慧ラジオを聞いており、素晴らしい修煉体験をよく耳に入ります。「この世での、あれやこれやの理屈はどうでもいい。考える必要すらない。それらの理は常人の理なのだから常人を許さないのだ」と思うようになりました。

 師父は、『轉法輪』の第九講で、人が苦の中の苦を嘗める例を挙げられました。これは人間の苦の一つの表現であり、修煉者の私たちに向上させるためのものだと思います。師父の詩に「苦を嘗めるをもって楽とす」[2]とおっしゃっています。私は本当にそこまでできていたでしょうか?

 執着心を取り除き 衆生を救う

 私の仕事は週6日で、週末を除き、平日に残業しなければなりません。とても忙しいので、友人などに会う機会も少ないのです。ですから、主にメールで大法について伝えることにしています。

 最初は、直接人に会って法輪功迫害の実態を伝えることが、人を救うことになると思っていました。しかし、メールで真実を伝える方法は、「人を救うことになるのだろうか」と疑問に思っていました。繰り返し師父の経文と同修の交流文章を読んで、市場や駅に行って迫害の事実を伝え人々を救うことは、とても良いことなのですが、多くの人は殆ど一日中会社にいたり、週末に家族と出かけるとか、家にいても、ほとんどパソコンや携帯電話に向かっている若者もいるのです。そのため、その人たちにメールで法輪功迫害の実態についての資料を送り、真実を知ってもらう方法は、直接会って真実を伝えることの補助的作用になると思うようになったのです。メール1通送るやり方は、法輪功迫害についての資料を配ることと同じであり、同時にインターネットの封鎖を突破するソフトも一緒に送れるからです。

 明慧ネットで、三退を勧めて脱退させた1日の人数の修煉体験文章を読んで、とても嬉しく思うと同時に、「私も同修と同じ人数を脱退させることができたらどんなにいいだろう」と思いました。そこで、相手に送るメールに「もし共産党から脱退したいのなら、私に返事をください。お手伝いします」という一文を付け加えました。しかし、結果的には、誰1人として返事を書いてはくれませんでした。後になって「これは汚い心で、天の功徳を得ようとすることだ。人を救うのは師父と大法であり、私たち弟子は真実のことを伝えるメールを送るだけでいいのだ。たとえ一回でその人を救えなかったとしても、真実を知り、次に同修と会う機会があれば、救われるかもしれない」と悟りました。大法弟子は一つの全体を成しているのですから、各自にやるべきことをやって人を救える以上、誰が救っても同じではないでしょうか! なぜなら、そのために私たち大法弟子はこの世に降りてきたからです。

 私が考えを改めると、「ありがとう!」といった返信をもらうようになりました。しかし、中には悪態の人もいますが、それらの人には、また他の資料を送ったりしています。

 武漢肺炎が発生した後、私は明慧ネットで、肺炎の特集号をメールで大量に武漢地区の人々に送るようにしました。また直接、法輪功迫害の実態を聞くチャンスがない司法関係者には、明慧のニュースなどを送りました。アメリカは、人権迫害に参与した者のビザを拒否することを決定した内容とか、大法弟子たちが集めた、迫害に関わった者のリストをアメリカや西側民主主義国の政府に提出するなど、師父の法を正す進展について行けるようにしました。また、地元の大法弟子への迫害に関する情報を整理してチラシを作成し、地元の人たちに配ったりしました。

 修煉の道のりで、法をよく学んでいるからこそ、「三つのこと」を良く行うことができ、正しい修煉の道を歩むことができるのだと実感しました。最後になって、もっと精進して師父について本当の家に帰りたいと思います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「その心志を苦しめる」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/6/13/444671.html)
 
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