1999年「7.20」のとき 警官たちは我が家で明慧ネットを見ていた
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年7月29日】1999年7月19日の朝、地元の警官が私の家のドアをノックしました。私は出て「何事ですか」と尋ねると、警官は「派出所に来てください」と言いました。その日、我が家に何人かの子供が来ていて師父の説法のビデオを見ていたので、その間に私はすぐ警官について派出所に行きました。夕方、私は解放され家に帰ったあと、また学法グループに行きました。そこで、一緒に学法していた2人の輔導員も、私と同じようにその派出所に連れて行かれ、夕方に解放されたことが分かりました。私たち3人は派出所で3部屋に分かれて取り調べを受け、聞かれたことも同じでした。私たちは主に地元公安局のある年配警官から質問を受けたのです。

 翌日、子供たちが私の家で師父の説法のビデオを見続けていると、昨日来た警官が再びやってきて、続いて別の警官も来ました。二人の警官は、子供たちが師父の説法を見ているのを見て、びっくりした様子でした。しばらくすると、昨日来た警官が「電話をしてくる」と言って、外へ出ていきました。我が家に電話があるのに、わざわざ電話をするために外へ行くのは、少し不自然な感じがしたので、子供の親たちに「すぐに子供たちを連れて帰るように」と連絡しました。みんなが帰ってから数分後、数多くの警官がやってきて、「みんなはどこに行った? 」と聞くので、「今日は一番短い第5講を見終わったので、みんな帰りましたよ」と私は答えました。昨日、私に尋問した年配警官も彼らの中にいました。 

 翌々日、つまり7月21日、近所の親子たちだけが家に来て、師父の説法のビデオをずっと見ていると、ドアをノックする音がしました。ドアに覗き窓がなかったため、私はドアを開けると、見慣れない顔の2人の警官が立っていて、彼らは家に押し入ろうとしました。私は2人に向かって「あなたたちは後ろに座って、見てください。音を立てないでくださいね」と言いました。2人は黙って座り、子供たちと一緒に第六講を見ました。見終えると、警官たちは「別に、何でもないね」と話しました。親たちはそれを聞いて、「何でもないでしょう。ただ善い人になることを教えているのですよ。どうしてこんなに騒ぐのですか」と言いました。

 しかしその後も、警官は私の家を離れることはなく、我が家で交代勤務を始めました。警官9人が交替して我が家にいるので、私は警官9人の名前を記録しました。私が明慧ネットを見ると、警官たちも一緒に見ていました。明慧ネットに掲載された豊台競技場の実際の出来事を見たとき、私は涙が出るほど感動しました。なぜなら大法輪がその競技場の上空に現れたからです! このニュースを見た警官たちは、急いで事を書き写して派出所に走ったのです。このようにして、警官たちは明慧ネットの報道記事を派出所に届けるために走り回りました。当時は携帯電話はまだ普及しておらず、ほとんど固定電話だったので、警官は我が家の固定電話を使って派出所に電話する勇気がなかったのだと思います。 

 7月22日午後3時、中国共産党(以下、中共)はテレビで法輪功への弾圧を開始するというニュースを流しました。10件の死亡事件を無理やり法輪功に被せ、師父の経文『わたしの感想』も改ざんしました。私は、師父の『わたしの感想』の原文を警官に見せ、中共が公表した改ざんされた偽りの経文も見せましたが、警官たちは皆黙ってしまいました。 

 法輪功迫害が開始された後、最初に我が家に来たその警官は何度も私を守ってくれました。その後、その派出所の警官の多くは、正しい立場を選びました。何年もの間、私が知っている警官が、明慧ネットで法輪功迫害に加担したという報道を見たことはありません。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/7/1/462530.html)
 
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