文/中国甘粛省の大法弟子
【明慧日本2023年4月3日】最近のある出来事から、師父の説かれた「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり」[1]というお言葉の意味を本当に体得し、大法弟子は他人を思いやる境地まで修める必要があると認識できました。
3月20日、我が地域は汚染指数500を超える砂嵐に見舞われました。空いっぱいの黄砂をみて出かけることを躊躇してしまいました。天気がこれほど悪いと、人通りもないだろうと思い、真相伝えに出かけませんでした。その結果、夜になると喉が痒くなり、咳が出てきました。翌日には、頭痛や、悪寒、関節痛、不快感がありました。スーパーに買い物に出かけ、回って見ましたが、三退しようとする人には出会いませんでした。
帰宅してから私は反省しました。私は12年間も修煉しており、これは大法弟子のあるべき姿ではない、悪天候だからといって、どうして風邪のような状態になってしまったのだろう。この現象は数年前から起きていませんでした。数カ月前に封鎖が解除された時、周りの人がみんな中共ウイルス(新型コロナウイルス)に感染したのを見て、焦りだし、世の人々を救い済度しようとほとんど毎日出かけて、しかも出かけると縁のある人に出会っていました。(出かける前に発正念し、師父にご加持にお願いしました)
昨年12月から今年2月にかけて、248名を三退させることができました。一度、サラリーマンの若い女性から「あまり近づかないでください」と念を押されたことがあります。彼女は中共ウイルスに感染したばかりで、まだ咳き込んでいました。私は、「大丈夫です、私は怖くありません」と言いました。 私はその女性に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」という心からの九文字をいつも唱えれば、ウイルスが身体に侵入できない、侵入してきたとしても素早く回復すると伝え、「三退」を勧めました。他人を思いやり、他人を救いたいという気持ちで、パンデミックという厳しい状況のなかでもまったく影響を受けず、家族6人誰1人として感染しませんでした。なぜ今、私の体調が悪くなったのでしょうか。一言でいうと、出発点が異なっていました。空気が汚いから出かけることを恐れるのは自分のことを考えすぎて、救われようとする衆生のことを考えていなかったからであり、この一念の差でまさに異なる結果がもたらされました。大法弟子は、他人を思いやる境地まで修めるべきです。
この2日間の静功する際、今までめったに起きなかった現象が現れました。座禅をする時、足を片方の足の上にのせた途端に痛くなり、1日目の最後の5分間は耐えられず、足を下してしまいました。2日目は、「絶対に持ちこたえなければならない」と自分を戒め、歯を食いしばって最後の5分を乗り切りました。煉功音楽が終わった後は、ベッドの上に倒れてしまい、まったく動けない状態でしたが、煉功後は関節が痛くなくなり、風邪の症状もなくなって、全身軽やかになりました。なるほど、すべて虚像でした。自分が正しく悟り、痛みに耐え、業力を転化させたため、師父は悪いものを取り除いてくださったのです。
わずかな浅い悟りです。不適切なところがあれば、ご指摘ください。合掌。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
(編集担当者:文謙)