ただごとではない一日  1999年7月20日を振り返る
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年8月1日】1999年7月の夏、私は2人の姉と地方から北方の省都である実家に戻って父に会いました。私たち姉妹3人とも法輪功学習者(以下、学習者)です。

  その頃は法輪功を修煉する人がとても多く、実家の近くにも煉功点がありました。北方の夏は、午前3時になると、もう夜が明けて、私たち3人は毎日3時に集団煉功に参加します。

 1999年7月20日、私たち3人はいつもの通り煉功点に行きましたが、一人の年配女性だけがそこに座っていました。不思議に思い尋ねると、他の人は皆省政府に行って、不当に連行された学習者の釈放を訴えに行ったと言いました。私たちもすぐに参加することにしました。父は年をとっていたので、姉は家に帰って父の世話をするようにして、私ともう一人の姉はすぐ省政府に行きました。

 省政府前の交差点に着くと、四方の歩行者道には学習者でいっぱいでした。私と姉はすぐに人の群れの中に入り、振り向くと道路にはたくさんのパトカーが配置されていて、多くの警官が道路を歩き回っていました。その後、四方の道は閉鎖され、人が出入りできなくなり、他の車両も入ることができなくなりました。さらに、警察は柵を設置して学習者を見物人から隔離し、最後には、学習者を中に取り囲むようにする状況でした。

 すべての学習者は、静かで穏やかな表情で、前の方は立っていて、後ろの方は地面に座っていました。声もスローガンもなく、指導する人もいないのに、とても秩序よく、平和的で合法的な方法で政府に自分たちの要求を表すだけでした。

 しかし、警察は大敵に立ち向かうように、数台のパトカーでやって来て、盾を持った多くの特殊警察部隊の警官が降りてきて、後ろにはプロの撮影者たちが現場で撮影していて、放送車からは全員解散するよう促していました。しかし、学習者たちは依然として動きませんでした。時間が経つにつれ、ますます多くの人と車両で渋滞となり、一部の群衆が警官ともみ合う場面もありました。

 間もなく、どこからか数十台もの大型バスがやって来て、警官らはすべての学習者をバスに押し込み、省体育館に連れて行き、観客の階段に座らせるよう手配しました。みんな静かにそこに座っていました。

 その時、学習者に住所地区によって座り分けるようにとアナウンスがあり、地区ごとに1つのプレートが設置されました。「動かない」、「動かない」と左右から小さな声が伝わってきて、何時間たっても誰も動かず、皆じっと座っていて、心がそろっていました。

 体育館の四つの門には警備員がいて、大勢の市民が外で様子を見ており、中には善良な人がたくさんの食品を買って門から渡し、少数の学習者は食品を取ってから、また元の場所に座りました。

 軍隊と警官は学習者を地区別に分けようとする企みに失敗しました。

 それから、警官らはまた別の手を使って、外部からたくさんの観光バスを手配して学習者を乗せました。一台一台、一目で終わりが見えないほどでした。いくつかのグループに分かれて、長い時間走り、それぞれ別の場所に移動しました。私たちのグループは十数台もあり、私たちは郊外の小学校に送られました。

 この過程で、バスの中で何人かの学習者が軍人や警官らに法輪功の素晴らしさなどを伝えていました。私は心の中で軍隊と警察のやり方に反感を持ち、恨みを抱いていたので「彼らに伝えても無駄だ」と思っていました。今振り返ってみると、他の同修は慈悲をもって彼らを救おうとしていましたが、それに比べて、自分の心性が低く、人を救うたくさんのチャンスを見逃したことが分かりました。

 十数台の観光バスが郊外の小学校に止まった後、私たちを一つ一つの教室に連れて行き座らせました。演壇にはパンなどの食品を置いていましたが、大部分の学習者はそれを取りに行きませんでした。中には食品を取った後、食品の代金を置いた人もいました。私の周りに座っている同修はリュックサックを背負っている人もいましたが、彼らはよその地域から汽車で来て、食料品を持っていたので、私たちに分けてくれました。食料品は市内に住む私たちより彼らにとってもっと重要なので、私は受け取りませんでした。

 警官らが私たちに大法を誹謗中傷するビデオや録音を流しても、私たちは誰も見たり聞いたりせず、それを信じませんでした。午後になると、サインして家族に連れて帰ってもらってもいいとアナウンスがありましたが、誰もサインしていません。日が暮れると、サインすればすぐに帰れるとアナウンスがありましたが、サインする人はわずかでした。最後に、ほとんどの学習者が一斉に玄関に行き、サインもせずにそのまま学校を出ました。軍人や警官らは、実際に一日の観察を通して、学習者が皆良い人であることを知っていました。ただ、彼らは上からの命令に従わなければならなかったのです。学校を出て、私たちは自分のお金でタクシーに乗って帰りました。

 私たちが朝早く家を出たまま連絡がなかったので、家族はとても心配していました。親戚や友人、同級生などは皆私たちの行方を探していました。私と姉が家に帰ったと知らせると、皆安心しました。

 当日は2つの不思議なことが起きました。一つは、86歳の父親が私たちから話を聞いた後、「中国共産党が反対することはすべて良いことで、学習者たちは本当に立派だ。今日から私もあなたたちと一緒に法輪功を修煉する」と意志を示したことです。

 もう一つは、当時60歳に近い私と姉は、その日、一日中食べたり飲んだりしていなかったし、トイレにも行っていませんでしたが、何の問題もなく、しかも元気いっぱいでした。

 24年前の出来事を振り返ってみると、その日の学習者全体がこのようなの状況でしたが、とても感動的で、奇跡的なことでした。これは正念の力であり、師父の加持と保護です。師父は「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」[1] と説かれました。

 この日、政府に正義を求め、大法の素晴らしさを伝えることで、より多くの人が大法を知り、そして、より多くの人が大法を修煉することになるに違いありません。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」

 (責任編集者:于悦)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/7/20/463197.html)
 
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