文/石辰
【明慧日本2023年8月27日】大学教師でメンタルヘルス・カウンセラーでもある葉蕾さんは、最近、中国共産党(以下、共産党)とその関連組織を脱退することを決意しました。
「若い頃、私は共産党の甘い言葉に騙され、共産党の精神を崇拝していましたが、恥ずかしいとは思わず、誇りに思っていました。ある学生が私のところに来て、家計が苦しいので学校を辞めたいと言ってきました。さらに話を聞くと、彼の父親は政府を批判したために逮捕されました。政府に賄賂を贈るために、家族は貯金をすべて使い果たしてしまったのです。彼は『政治的背景の調査』に合格せず、奨学金を受ける資格がなかったので、学費を払うことができなかったのです」と葉さんは「三退声明(共産党、共産主義青年団、少先隊からの脱退)」の大紀元ウェブサイトで公開した声明の中で述べています。
「彼の話を聞いて、私は党員であることを恥じました。私はここに、共産党とその関連組織からの脱退を宣言し、自分の罪を償います」と述べています。
葉さんと同様に、多くの中国人はかつて共産党が自らを「偉大、栄光、正義」と宣伝するプロパガンダを信じていました。彼らは党員であることを誇りに思っていました。しかし、共産党の残虐性を目にし、耳にし、個人的に体験して初めて、自分がずっと騙されていたことに気付き、党を辞めて、共産党との関係を絶つことを選んだのです。
以下は、大紀元の「脱退」のウェブサイトに掲載された彼らの心のこもった言葉です。
一、このジェノサイドの行為を暴く
四川省成都の笑川(仮名)さんは、2020年3月7日にこう書いています。「私は四川省衛生局の幹部である笑川です。職場で最近、リーダー同士の秘密の会話を耳にしました。共産党の高級幹部は、いつまでもコントロールを維持するために、高級幹部に移植するための人間の臓器を一括して収穫する準備をしています。実際には、省内でコロナに感染している人はほんの一握りですが、『治療』の実態は、共産党が健康な臓器を集める機会となっているのです。また、指導者たちは、200個の臓器というノルマを達成するためには、同省で1000件以上の『症例』を確認する必要があると強調しました」
「私は共産党の幹部ですが、この話を聞いたときはショックを受けました。共産党がいかに邪悪な存在であるかがよくわかりました。私の年配の母は、コロナと診断され、今は『治療』のために病院に閉じ込められていて、帰ることもできません。私は非常に辛いです。私は共産党を脱退し、この機会にこの大量虐殺行為を暴露したいと思います」
二、今日だけは6月4日の真実を伝える勇気がある
1989年の6月4日の天安門大虐殺を目撃した遼寧省の胡舒悦さんは、2020年1月8日に共産党とその組織を脱退する(三退)という声明の中で、虐殺の最中に北京の軍隊にいて、共産党軍が学生たちに何をしたかを、直接、見たことを明らかにしました。彼が目撃したのは、氷山の一角に過ぎません。
「天安門広場から出ようとしないデモ中の学生たちを軍隊が戦車で粉砕した後、地面には死体とその持ち物であふれていました。兵士たちはトラックで遺品を運び、ヘリコプターで遺体を運んでいました。その後、何十台もの消防車が天安門広場の血を洗い流しに来ましたが、当局は誰も真実を語ることを禁じていました。軍法の下では、事実を話した者は厳しく罰せられます(『口を塞ぐ』か、あるいは『失踪』させる)」
「私は軍を退役して数十年経った今、あえて今日、法輪功学習者に少しだけ真実を話したいと思います。ある法輪功学習者が自分の信仰に対して迫害されたことの話しを信じ、彼女のアドバイスを受けて共産党とその組織を脱退しました。神が私たちの生活に平安と幸運と苦難の時の安全を与えてくださいますように」
三、村の委員長の家で見た光景に唖然
2021年3月13日、広西チワン族自治区南部の全小将さんは、「私はいつも、共産党が私たちを豊かで強い国に導き、中国が外国人にいじめられることがなくなると信じていました。私は共産党が、私たちを豊かで、強い国に導いてくれると信じていました」
しかし、最近、村の委員長が私を自宅に呼んで会議を開きました。党の指導の下では、党員は皆、正直で誠実な人ばかりだと思っていたのですが、委員長の家のドアを開けたとき、私は目の前の光景に唖然としました。部屋は豪華絢爛で、ランジェリー姿の若い女性が何人も委員長を取り囲み、露骨な発言をしていました。私を見た委員長は、その中の1人に『ご奉仕させてください』と言ってきましたが、私は断りました。
「私は委員長にとても失望しました。このことを入党した友人たちに話したら、みんな同じような経験をしたと言っていました。それを聞いて、私は党への信頼を失い、党が人々を騙してきたことを恥じました。党の暗黒の歴史についてもよくわかりました。私は今、党を辞めて自分の人生を取り戻すことを選びました。私の経験が、より多くの人に共産党の悪の本質を認識させることを願っています」
四、私は組織の責任を負いたくない
2020年3月9日、共産党とその組織から三退声明を書いた王天真さんはこう語っています。「私は医療従事者です。私は卒業後、もっぱら就職のために共産党に入党しました。党員であることと家族の絆のおかげで、理想的な仕事を見つけることができました。働き始めて1年が過ぎた頃、職場での激しい個人的な争いに気づきました。指導者は党の理念を語りながら、部下を好き勝手に虐げ、迫害していたのです」
「私の同級生2人は、同じシステムで働いており、同じ党員でした。彼らの上司は権力を乱用し、賄賂を受け取り、物事がうまくいかない時には責任を負わせました。その結果、2人とも刑務所に入ることになりました」
「私は、党が長年にわたって、あまりにも多くの不正行為を行ってきたことを目撃しました。私はここに、共産党からの脱退を宣言し、今後はこの悪党組織との関係を断ち切ります。私は、組織の責任を負いたくありません。彼らのために刑務所に入りたくないし、生活のために一日中戦いたくもありません。早く党の存在しない、新しい中国ができることを願っています」
五、親友が党幹部に凌辱された
2020年10月16日、24歳の田という名の学生は、共産党を辞める声明の中で次のように書いています。「私にはサッカー選手の親友がいました。彼は党幹部の高級車に突っ込んだため、裸にされ、犬のように吠えさせられるという屈辱を味わっていました。迫害を受けた人をたくさん知っています。私の家族も迫害を受け、その結果、191万元の損失を出しました。私は今日、共産党の組織から脱退することを宣言します」
六、彼らはただの嘘つき
劉新さんは、2020年12月17日、共産党の脱退声明でこう述べています。「私は若い頃、村の書記として何年も働き、生涯を通じて党のためにかなり働いてきました。今は年老いて健康状態が悪く、働くことができなくなりました」
「去年、村や町の幹部がみんなで私のところに来て、私の家を率先して取り壊すように頼んできました。政府は、老朽化した家を改築したいと言い、私に新しい家を建ててくれると約束してくれました。しかし、家はなくなってしまったのに、誰も家を建てに来ないし、誰も責任を取らなかったのです。私には住むところもありません。今、私は悪の党であると見抜きました。彼らは嘘つきです。私は悪の党を辞めて、もう関わりたくありません」
七、労働者の叫び
2020年12月19日、安徽省出身の肖恩さんは、農村で育った頃、村の幹部が低所得者層の補助金を横領し、公金を私利私欲のために使っていたと語っていました。
「子供の頃からこの不公平な世の中に戸惑い、小学生の時には無理やり『若き先駆者たち』に参加させられたこともありました。先生は何度も青年団に入るように勧め、「『応募しなければ、これまでの賞を失うことになる』と脅したこともありました。私は、共産党の洗脳的な教育方法に納得できず、中学校を退学しました」
「私は低学歴のため、主に肉体労働をしています。上司が給料を払ってくれないので、警察や市長のホットライン、労働局などに連絡しましたが、誰も相手にしてくれませんでした。私は上司にお金を払ってくれるよう頼んだところ、上司は自分のコネを使って、私を1日警察に拘束しました。出所した後、私はこの不正に深く憤慨しました。この共産党の腐敗した政府は、庶民の血を一滴残らず吸い取っています。共産党の労働法はただの空文です! 中国人は目を覚ますべきです!」
八、子供を失ったあと
2020年3月、喬さんは自分のためにも、亡くなった子どものためにも「三退」の手続きを行いました。小学生の頃から、政治の授業はおかしいと思っていました。中学生になると「天安門事件」が起こり、共産党の組織的な嘘を知リました。高校を卒業して仕事に就いてからは、共産党にとても嫌悪感を抱いています。
「去年、私の8歳の子供が公立学校で事故に遭いましたが、教師、看護師、学校管理者の誰も彼を助けませんでした。看護師は無免許で、看護について何も知りませんでした。学校は集団で命を無視し、責任を回避したため、私は結局、愛する子供を失いました。私は自分のために青年団や少先隊を辞めたいし、死んだ子供のためにも、洗脳しようとする、命を無視した悪の少先隊を辞めたいのです!」
九、国民が監督した途端、「トラブルメーカー」のレッテルを貼られた私
広東省のバン(Bang.Z.Yu)さんは、2021年3月20日の脱党声明で、「私は子供の頃、共産党に洗脳され、青年団や党に入れば栄光を得られると思っていました。大学時代、インターネットのファイアウォールを回避できず、限られた情報しか入手できなかったので、共産党の党員に入りました。
共産党は、民衆に監督されることを恥ずかしげもなく受け入れていますが、一旦、人が指導者を監督する権利を行使した途端に『トラブルメーカー』のレッテルを貼られてしまうのです」
を脱退声明を出しました。彼によると、1990年代に軍隊にいたとき、会社の教官から「850元を払えば簡単に入党できる」と内緒で言われたことがあります。呉さんはショックを受け、父親にどうしたらいいのか尋ねました。父親は、「絶対に共産党に入ってはいけない 」と言ったそうです。しかし、退役後、知らない間に青年団のメンバーとして登録されていたのです。
十二、息子は海外のウェブサイトを見て尋問された
2020年11月18日、四川省成都の尧さんは、共産党を辞める声明の中で、「私は古い党員であり、定年を迎えようとしています。私は、いわゆるベトナムへの自衛反撃に参加し、砲兵部隊に所属し、現在は公的機関で働いています。今日、私はもう遅れることができず、党を辞めなければならないと感じています」
「この党はますます独裁的になっています。経済的には国は進んでいますが、国民は後退しています。以前よりも悪化しています。私の息子は、インターネットの検閲を回避して海外のウェブサイトを見たため、国家安全保障局に尋問されました。それは私たち家族全員を恐怖に陥れました。幸いなことに、彼を起訴する証拠は何もありませんでした」
十三、ウイルスを恐れて共産党を脱退
2020年1月24日、王勇さんは「私は20年以上のベテラン党員です。早く昇進して、より多くの恩恵を受けるために入党しました。今、私は飛行機の機長です。今回の武漢肺炎は猛威を振るっており、多くの人が亡くなっています。私の業界はリスクの高い職業です。乗務員は多くの乗客と接触し、簡単に感染します。私は非常に心配しています。しかし、党書記の前で、私は自分の意志に反してこう宣言しなければなりません、『私は共産党員です。どこへでも飛べます。党の命令に従うのです』。実は、私は仕事を休みたい、感染するのがとても怖いです」
「共産党の組織から脱退すれば、身の安全を守ることができます」と助言してくれた人に会いました。私は喜んで共産党から脱退しました。以前、党書記に脱退の手続きをしようと伝えましたが、彼は同意しませんでした。