文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年9月6日】私は1997年に法輪功の修煉を始めました。刑務所内で修煉を始めてから健康の改善と、道徳の向上を遂げた経過を皆様と分かち合いたいと思います。
1、4冊の大法書籍を手に入れる
法輪功の修煉を始める前の私は非行青年でした。罪を犯して無期懲役を言い渡され、刑務所に収監されました。長い刑期に私は大きなショックを受け、それまでの失敗した人生を反省しました。私は、「人間はなぜ生きているのか、自分はどう生きていくべきか」を自問自答しながら本を読み始めました。そして、その本の中から答えを探そうとしました。しかし、刑務所の中で借りられる本は全部読んだのですが、期待した答えは見つかりませんでした。
1997年7月のある日、仏教を信じる同室の彼が2冊の本を渡してくれました。手に取ってみると、それは『法輪大法 シドニー法会での説法』と『轉法輪(巻二)』でした。本の中に師父の写真があって、優しくて親切そうだったので、私は好感を持ち、すぐに一気に本を読みました。師父は人体、生命、宇宙、気功と修煉の関係を論じておられ、ここ数年間知りたくても答えを得られなかったたくさんの問題が、たちどころに分かるようになって、とても嬉しかったです。
この2冊の本は、もうすぐ釈放される刑務所仲間のもので、彼のところにまだ2冊あると聞いた私は、すぐに彼の部屋に行って、4冊の本を25元(約500円)で買いました。あとの2冊は『轉法輪』と『法輪大法義解』でした。4冊の貴重な本を手に持って、私は厳粛にあの仏教を信じる同室の彼に「これから私は一筋に法輪功を学びたいので、ほかの本はもう読みません」と言いました。そして私は、その日から法輪大法の修煉に入りました。
法を学ぶことで、師父が説かれた因果応報の法理、良いことをすれば善の報いを受け、悪いことをすれば悪の報いを受ける、自分の場合は悪い報いを受けていると分かりました。師父は、「悪者は嫉妬心によって、私のため、怒りのために、自分が不公平だと言います。善人は慈悲心が常にあり、憎むことなく、恨むことなく、苦をもって楽とするのです。覚者は執着心がまったくなく、幻のために迷っている世人を静かに観ています」[1]とおっしゃいました。私は今まさに悪者であり、これから大法の中で修煉し、悪を捨てて善に向かう善人になり、合格した大法弟子になりたいと思いました。
2、獄中の気風が良くなった
私がいる管区は200人以上おり、当時は私一人で法輪功を学んでいました。やがて1998年になると大法の普及に伴い、多くの囚人が私のところに、大法の本を尋ねたり、法輪功を習いたいといって集まってくるようになりました。1999年「4.25」までに、私のいる管区で法輪功を学んだ人数は、すでに数十人に達しました。私たちは師父の説法の録音を聞き、グループ煉功もしました。その壮大な光景を、看守も見物に来ました。
大法が持っている力がすぐにその威力を現しました。修煉を始めた囚人たちは、体が健康になり心性を高め、タバコ、酒、ギャンブルを止めて、よく罵詈雑言を言っていた人は言わなくなり、仮病を使って仕事をさぼっていた人もしなくなりました。修煉をした囚人たちの働きぶりはとても良く看守に褒められました。
ある日、管区の刑務官は私を呼び出して、「今、この管区に法輪功をやっている人は何人いますか」と聞かれたので、私は人数を報告しました。そして刑務官は「あなたたちはよくやっているので、もっと多くの人を集めて法輪功をさせませんか」と言いました。私は「修煉は自らの意思によるもので、無理やりさせることができません」と答えると、刑務官は頷いて、励ましの言葉を言って私を帰らせました。部屋に戻ってこのことを話すと、みんなが喜びました。
3、迫害と反迫害を経験する
1999年の「4.25」が発生した後、刑務所はいち早く対応しました。囚人が法輪功を学ぶことを禁止し、すべての大法書籍を没収すると言いました。当時、刑務所で修煉する人は200人余りに達していましたが、それを聞くとほとんどの人は修煉を止めました。そんな中、私は「止めた人は手に持っている本を、上の者に渡さないで、私に売ってください。元々の値段の1冊10元で買い取ります」と言いました。私はかばん二つ分の本を買い取って作業場に隠しました。
その時、外にいる同修が師父が発表された新しい経文の『位置』、『安定』を刑務所内に差し入れてくれました。2篇の経文を学んだ後、私は師父の要求に従い真相を伝えなければと思って、刑務所と管区、それぞれに手紙を書きました。大法の素晴らしさと、自分と管区の40数名の囚人が法輪功を学んだ後に、心身両面に起きた変化を述べ、事実に基づいて客観的に法輪功を評価し、私たちに正常な修煉の環境を与えるようにと願いました。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「境界」
(明慧ネット第24回世界法輪大法デー入選文章)
(続く)