【慶祝5.13】潰れていた1袋のインスタントラーメン
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年5月19日】スーパーに行って棚に並んでいるインスタントラーメンを見るたびに、何年も前のことが頭に浮かびます。袋がしわしわで潰れていたインスタントラーメンは、人生のどん底で長い間拷問を受ける中で、私に温かさと希望を与えてくれたのでした。それは私が迫害で投獄された後にもらった最初の誕生日のプレゼントだったのです。

 これは、私が中国共産党(以下、中共)に連行され、不法に留置場に入れられたことから語らなければなりません。

 正直なところ、私のことをよく知っている人は誰もが、私の人生がどうして留置場や刑務所、それに長時間の拷問とつながっているのか理解できず、ため息をつきます。私は幼い頃から物知りで、周りの人に心配をかけたことがないので、小学校、中学校、大学と順風満帆でした。法輪大法を修煉した私は、より人を理解するようになり、明るい人生を歩み始めました。しかし、私が大学に通っている時に、中共が起こした法輪功への残酷な迫害は、私と家族の幸せな生活を終わらせました。私は華やかな年齢で公職を剝奪され、拷問を受け、不法に重刑を宣告され、刑務所で悪夢のような日々を強いられました。

 しかし、どんな暗くて厳しい環境の中でも、どんなことがあっても、私は自分が法輪大法の弟子であることを忘れず、自分が倒れないだけでなく、「周りの人にも光を与えなければならない」と覚悟していました。

 2輪の大きな赤い花と小さな銀の馬

 留置場の中で、さまざまな境遇の巨大な異変と予測できない未来に直面している受刑者は、悲しみと悲観と絶望に苦しんでいます。私は自分の境遇を考えず、できるだけ彼女たちのために考え、互いに気にかけるようにしました。世間話で私の過去を知り、今の私の態度を見て、彼女たちは皆感心しました。私は彼女たちに法輪大法の素晴らしさと迫害の実態を伝えました。

 私の開廷前に、受刑者の一人が、「遠くから2輪の大きな赤い花が飛んでくる夢を見ました」と言いました。私は「それは、北京の2人の人権弁護士が、信仰は合法であり、迫害は犯罪である角度から、私のために弁護してくれることを意味します」と話しました。

 開廷の前夜、同じ部屋の受刑者たちは私のことに期待とともに、心配もしてくれました。宇さん(仮名)はそっと私のそばに来て、純銀の馬のペンダントを私の手に押し付けました。「あなたは午年生まれだと聞きました。この銀の馬をプレゼントします。明日の成功を祈ります」と言ってくれました。これはここでは珍しいものです。これは、宇さんの家族が留置場の警官に彼女の世話を頼んでお金を渡したので、警官が彼女にくれたものです。そばにいた輝さん(仮名)が、「明日必ずつけて法廷に行ってね」と喜んでくれました。「どうやってつけたらいいかしら?」と、輝さんは玉さん(仮名)と相談した結果、ネックレスにして首にかけることにしました。輝さんは「そうですね。鮮やかで縁起のいい明るい色を使うべきです」と言って、自分たちのピンクの服から糸を外しました。玉さんが紐にすると、輝さんがそれを馬のペンダントに通してネックレスにすると、宇さんは、自ら私の首につけてくれました。

 開廷の日、珠さん(仮名)は私の長い髪をアップにして美しい髪型を作ってくれました。そして、以前誰かにもらっていた新品のアディダスのきれいなスポーツウェアを着て、馬のネックレスをつけて、堂々と監禁されている部屋を出ました。そして、歩いて数歩しか離れていないいわゆる法廷に着きました。私が再三正規の法廷での開廷を要求したにもかかわらず、彼らは留置場の簡易法廷で密かに開廷することにしました。

 法廷の前に行くと、私を迫害した省庁、市局、支局のほとんどの人が来ていました。手段を尽くして法輪功の学習者を迫害する彼らの目の前には、大きな困難の前でも依然として信念を堅く守り、特に生き生きとしている一人の若い女性、つまり私がいました。

 潰れていた1袋のインスタントラーメン

 輝さんは農村出身です。18年前、彼女の家族は、村の悪漢の長年のいじめに耐えられず、間違ってその人を殺してしまいました。輝さんが知らせを聞いて現場に駆けつけると、なんと従犯にされてしまったのです。輝さんの家には、病気の年寄りとまだ小さい子供がいて、生活に苦しんだ輝さん自身も病気になりました。常に呼吸困難に陥り、意識を失うほどひどく、生きる勇気を失いました。死亡した悪漢は地元の公安局長の親戚でした。それに対して、輝さんの家にはお金がないので誰にも相手にされず、彼女に重刑が下されると、人々はほぼ100%そうなるだろう思っていたのでした。

 輝さんは私に会ってから、私と話したがりました。私が何も言わなくても、私のそばにいるだけで「楽になる」と言ってくれました。

 私は、大法から学んだ法理で輝さんを慰め励まし続けました。この世にはすべて因縁があり、人にはそれぞれの運命があることを伝えました。彼女は次第に自分の感情をコントロールできるようになりました。危機に遭うたびに「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と唱え、師父の『洪吟』の中の多くの詩句と数編の短い大法経文を覚えると、次第に恨みなどの感情を淡々としていられるようになりました。

 あと3、4日で年越しを迎えるある日の昼、昼寝から目覚めたばかりの輝さんが、「とても大きくて、周りに金色の光を放つ大きな馬が飛んでいる夢を見ました!」と話してくれました。午年生まれの私が彼女の力になる人だと信じていた輝さんは、この夢を見てとても喜びました。

 みんなが昼寝の布団を畳んでいたところ、警官はドアを開けて、輝さんの名前を呼んで、彼女の釈放を言い渡しました。普段は誰にも相手にされなかった輝さんが、正月の前に突然釈放されるとは、誰も予想していないことでした。

 輝さんが家に帰ったことを、私は心から喜びました。その時、数カ月前彼女が私に貴重なインスタントラーメンをくれたことを思い出しました。

 輝さんは、普段の生活が苦しかったので毎月数十元しか使わず、必要な日用品以外はほとんど何も買いませんでした。留置場の食事はとてもひどく、毎日午前9時過ぎの食事は、油も野菜もないスープが出されます。24時間水しかないので、この熱いスープでラーメンを作るのがごちそうになっていたのです。

 ある朝、食事が始まると、輝さんはゆで卵1個と、1袋の潰れていたインスタントラーメンを持って私の前に来ました。そのインスタントラーメンの袋がしわしわで、ずいぶん前から保管されていたのが分かりました。彼女は私に「お誕生日おめでとうございます!」と言った後、袋を破って、その麺とゆで卵の殻をむいて私の丼に入れながら、「食事が始まったら、熱いスープをかけて食べてね」と言ってくれました。私は卵と麺、またそのしわしわの袋を見て、輝さんが自分も惜しんで食べなかったものを私にくれたこと、そして、その日が私の誕生日だったことを覚えてくれていたことにとても感動しました。実は、私は自分の誕生日のことを忘れていたのでした。

 留置場に伝わる祝福の言葉

 刑務所に入れられていた時、一人の新しい受刑者が遠くから私の名前を呼びながらやってきました。当時、ほかの受刑者が警官の指示に従って私を厳しく監視している中でも、彼女は全く恐れていませんでした。「面識がないが誰だろう?」と思っていると、彼女は「あなたは○○さんですね。私はあなたと同じ留置場から来ました。あなたが書いた手紙を読んだことも、あなたのことを聞いたこともあります。それで、とてもあなたに会いたくなりました。今日やっと会えました! ぜひ自分のことを大事にしてください!」と言ってくれました。

 「そうだ、思い出した。あの手紙だ!」。私は投獄される前日、一晩かけて、心を込めて受刑者たちに祝福の手紙を書き残していたのでした。

 まずは、彼女たちが共通の苦しみの中で私を助けてくれたこと、特に私の修煉を支持してくれたことに感謝しました。そして私は彼女たちに、誠実、善良、寛容の心でお互いに優しくすることを学ぶよう励ましました。最後に、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」という心からの九文字を唱えることで、人生の危機を乗り越え、災難から逃れることができると伝えました。

 この手紙は、彼女たちが読んだだけでなく、長い間留置場で回っていたのでした。

 不当な監禁から解放された後も、この感動的な場面を思い出すたびに、このような縁で大法弟子と出会い、大法の素晴らしさと迫害の実態を知った人々を本当に心から嬉しく思いました。

 (明慧ネット第24回世界法輪大法デーの入選文章)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/5/16/476271.html)
 
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