小道を捨て大法を着実に修煉する中で不思議を体験する
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文/中国甘粛省の大法弟子

 【明慧日本2023年10月2日】私は農民で今年71歳です。知識レベルは非常に低く、知っている文字の数にも限りがあります。法輪大法を修煉する前、私は道教で十数年間修行していました。その一門で真の伝授を受けた弟子だったのですが、その十数年間でいくつかの小さな技しか教えてもらえませんでした。

 1997年1月、高齢の父が重病になり、私は弟と一緒に父を看病していました。弟は長年にわたり病弱で、常に薬を持ち歩いていました。ある日私は、弟が夢中になって一冊の本を読んでいるのを見ました。私は好奇心から弟に、「何の本を読んでいるの? 見せて欲しい」というと、弟はその本を渡してくれました。書籍の名は『轉法輪』でした。私は真剣に読み始め、数ページ読んだ時、私は師父のわかりやすい言葉で説明された奥深い法理に感銘を受けました。お腹が温かくなり、全身も心地よい温かさになっていると感じました。

 当時、私は道教で十数年以上修行していましたが、身体は何の感覚もありませんでした。私は弟に、「この法輪大法こそ、本当の法です! 私もこの功法を学びたい!」と言いました。そして私は法輪大法の修煉を始めることにしました。

 私が、道教徒から法輪大法の弟子になる過程で、最初に直面した大きな関は「不二法門」の問題でした。当時、「法輪大法は非常に素晴らしい」と感じました。そのため、道教の師に法輪功の素晴らしさを伝えるために、『轉法輪』を手にして40キロほどの山道を歩いて、その師に会いに行きました。その師は、原始森林の山すそに住んでいましたが、人々はその場所を「小武当山」と呼んでいました。そこは松の木が生い茂り、山々が重なり合い、風景が美しい場所でした。道教寺院は、山々と青松の中に隠れていました。

 私は道教の師を見つけ、私の目的を伝えた後、『轉法輪』を渡しました。その師は少しめくってみては、「いいね」と言いました。しかし、彼の表情は非常に不機嫌そうでした。私が家に帰った後、その師は、私の知り合いで一緒に道を学んでいた人を介して、「(大法を)学ばないでほしい」と伝えました。また、何度か他の人を介しては、私の大法修煉を妨げようとしました。

 しかし、私は法輪大法の教えと大法師父の指導の下、同修たちの励ましを受け、大法修煉の道を揺ぎ無く歩みました。小道のあらゆる書籍を焼却すると、私は心から喜びを感じました。私は真の師父を見つけ、家に帰る道を歩み始めたのです。

 二十数年間にわたる大法修煉の中で、師父はいつも私を見守り、悟らさせてくださいました。また、私の心身を浄化し、思想境地を高めてくださいました。

 以下は、修煉中に経験したいくつかの奇跡的な出来事です。師父の偉大さと法輪大法の超常さを実証したいと思います。

 1997年に大法の修煉を始めた後、私は家から40キロほど離れた大山で羊を放牧していました。ある日、羊が数頭いなくなったので、私は山を越え、村を歩き回り、羊を探しました。一日中歩き続けたのですが、歩くときはまるで漂っているように軽やかに感じ、全く疲れませんでした。

 夜になって家に帰ると、他の放牧者たちに一日中歩き続けた話をしました。すると彼らは、「あなたは、今日少なくとも100キロ以上は歩いていますよ」と言い、皆非常に驚きました。これは、私の身に現れた大法の超常的な現れではないでしょうか? これは修煉していない人たちには、考えることさえできないことです。古代においても、馬が一日で奔れる最大の距離は一体どれくらいでしょうか。

 私が大法を修煉する前の性格はとてもせっかちでした。大法の修煉を始めてからは、常に耳元で「忍び難きは忍びうる」[1]という声が鳴り響きました。これは師父が無限の慈悲で私を見守って加持してくださり、身心を浄化され、私の心性を迅速に高めてくださるためだったのです。

 二十数年間、私は一度も薬を飲んだことがありません。私は人々に常に伝えています。「法輪功は人を救う偉大な法です。中国共産党のデマ、中傷、嘘に惑わされないでください!」

 2016年春のある日、私は四輪車に草を積んでいる最中、不注意で車から転落しました。私の息子と周りにいた家族は、無理やり私を病院に連れて行って検査を受けさせました。レントゲン写真を撮った結果、4本の肋骨が折れていることが判明しました。家族は、私を入院させて治療を受けさせようとしました。医師は「少なくとも1カ月は入院が必要です」と言いました。私は3日間入院しましたが、注射もせず、薬も飲まず、家に帰ると直ぐに法を学び、煉功しました。5、6日後、私は仕事ができるようになりました。近所の人たちは私に聞きました。「なぜこんなに早く回復できたのですか?」

 妻は、これらの出来事をしっかりと目にしていました。そして妻も大法の修煉を始めました。妻は文字が読めないので、師父の説法録音を聴いていました。妻に奇跡が現れました! 以前、妻は常に下腹部に不快を感じていたので甘粛省の病院で検査したところ、医師は妻の下腹部に腫瘍があると言いました。しかし、法を学び、煉功を始めて数か月後には、その腫瘍が消えていました。

 私たちは心から喜びました。命を救っていただいた師父に感謝の気持ちは、言葉では表現できません。私たちは遇う人々に、大法の実態を伝え、法輪大法がどれほど素晴らしいか、また病気治療と健康増進にどれほどの驚くべき効果があるかを伝えました。

 妻が大法の修煉を始めてから、生死の危機を2度と乗り越えました。1998年のある日、私と妻と子供、数人の家族が一緒になって洪水を防ぐ堤防作りに参加しました。人力では動かせない約2トンの大きな石があったので、私は鋼のワイヤーロープを使って石を固定し、2台の四輪車を使って石を引っ張りました。妻は石の後ろで、鉄の棒で石をこじ上げようとしていました。妻が力を入れて石をこじ上げようとしていた時、鋼のワイヤーロープが切れてしまいました。瞬時に、巨大な石が後ろに転がりました。妻が石をこじあげようとした鉄の棒が石の重圧を受けて、妻の太ももを圧迫しました。妻は一瞬で鉄の棒の下に倒れました。その場にいたすべての人々が驚きました! 皆は、妻の太ももは絶対に骨折したに違いないと思いました。鉄の棒は妻の太ももに深く食い込み、太ももは瞬時に黒く変色しました。私は妻を支えながら立ち上がらせたのですが、妻は痛みで歩けそうにもなかったのですが、「大丈夫です!」と言いました。

 妻は一晩中微睡む中で、「押し傷を負った太ももの部分が、まるで清水で洗われているような感覚があり、液体が流れ出ているように感じる」と話しました。なんと翌日には、妻の腿は回復していたのです! 師父が、妻のために大きな業力を取り除いてくださったのです。妻は、師父の保護の下、大きな難を乗り越えたのでした。

 2000年のある日、私は家で大きな鉄の箱を四輪車に吊り上げるためにウィンチを使用していました。吊り上げている最中、ウィンチの台枠が突然倒れ、そばに立っていた妻の頭に落ちました。妻は一瞬にして気を失いました。私はすぐに妻を病院に連れて行きました。検査の結果、妻の脳に出血があることがわかりました。しかし、妻は入院することなく家に戻りました。そして妻は、法を学び、煉功することで回復しました。妻はまた危険な難を一つ乗り越えました。師父は再び、妻の命を救ってくださったのです!

 二十数年間の修煉の中で、弟子が歩んできた一歩一歩は、師父の慈悲なる保護から切り離すことができません。師父の救い済度の恩に感謝します! 私たちは永遠に、その恩に報いることができません。ただ自分をより良く修め、縁のある人々に大法の真実を伝え、救われるように最善を尽くすしかありません!

 注: 
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 (編集責任者:ウ悦)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/9/20/465401.html)
 
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