5,000人以上の法輪功学習者が中共に迫害され死亡(七)
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 【明慧日本2023年12月16日】(前文に続く)

 (15) やむを得ず家を離れ、放浪生活の中で死亡

 1、やむを得ず家を離れ、放浪生活の中での死亡状況分類

やむを得ず家を離れ、放浪生活の中で死亡した学習者の状況分類

省、直轄市、自治区 放浪生活 総計
   
安徽 0 3 3
北京 0 2 2
甘粛 0 2 2
広東 0 4 4
貴州 0 2 2
河北 3 17 20
河南 2 4 6
湖北 3 10 13
黒龍江 2 18 20
江蘇 0 2 2
江西 1 0 1
吉林 4 29 33
遼寧 2 20 22
内モンゴル 1 3 4
山東 1 10 11
山西 1 2 3
陝西 0 1 1
上海 0 2 2
四川 3 7 10
天津 0 1 1
新疆 0 1 1
重慶 0 2 2
小計 23 142 165
総計 165  

 2、致死された学習者の一部の実例

 ◎四川省攀枝花市の杜仙華さん 放浪生活後に自宅で死亡

 杜仙華さん(49歳女性)は2000年2月、法輪功の無実を訴えるため北京に行ったが、警官に連行され15日間拘束された後、洗脳班に送られた。2000年7月、杜さんは屋外で煉功したとして更に1カ月間拘禁されたため、2002年末には放浪生活を余儀なくされ、帰宅後の2003年3月に死亡した。

 ◎山東省東営市の王連忠さん 放浪生活後に死亡

 山東省東営市勝利油田の王連忠さん(70代男性)は2018年11月24日、同市公安局の警官に連行された後、「保証人を立て尋問を待つ」条件付きで保釈されている1年間、裁判所や勤務先の関係者から頻繁に嫌がらせを受け、放浪生活を余儀なくされた。2021年3月初旬に家に戻ったとき、王さんはすでに自力での生活ができなくなっていた。それにもかかわらず、勤務先および派出所の関係者による嫌がらせは絶えなかった。王さんは2021年の端午節前後に亡くなった。

 ◎貴州省貴陽市の呉澤秀さん 放浪生活中に死亡

 呉澤秀さん(75歳女性)は、かつて5年間にわたって洗脳班に3回監禁され、労働教養所に2回送られ、肉体的、精神的な拷問を受けた。 2001年、呉さんは法輪功の資料を配布したとして2年間の強制労働を言い渡された。 2004年1月4日、呉さんは貴州省清鎮市で迫害を暴露する資料を配布中に連行され、4日目に懲役3年の実刑判決を宣告され、貴州省女子労働教養所に拘禁された。

 二度目の労働教養から解放された後、呉さんは国家安全局、公安派出所、地域委員会による嫌がらせや脅迫を受け続けた。平穏な生活ができず、心身を大きく傷つけられた呉さんは家を離れ、転々と放浪生活を送っていたが、2013年12月20日早朝に亡くなった。

 ◎湖北省黄梅県の費明山さん 放浪生活の中で死亡

 湖北省黄梅県劉佐郷の費明山さん(59歳男性)は、かつて先天性心疾患を患っていが、法輪功を学んだ後に回復したことは村では知られていた。2004年6月末、費さんは地元で法輪功の資料を配布していたとき、迫害の実態を知らない人に通報された。7月初旬、鎮派出所の警官数人がパトカーでやって来て、費さんをパトカーに押し込んだ。それに気づいた村民たちはパトカーを阻止した。村の副書記(費さんの弟)は警官に対し、「私の兄がどの法律を犯したのか? もし兄の心臓病が再発したら、あなた達には責任があるはずだ!」と厳しく問い詰めたため、警官らは立ち去るしかなかった。

 迫害を逃れるため、費さんは身を隠すしかなく、家に帰ることもできず、精神的プレッシャーの中で、同年7月10日に亡くなった。

 ◎河北省張家口市の王連栄さん 迫害され家に帰ることができず死亡

 河北省懐来県辛堡郷の王連栄さん(65歳女性)の4人の子供たちは、迫害開始から2004年11月5日まで、3人が迫害されて死亡し、長女は刑務所に拘禁された。迫害を避けるため、2005年1月、母親の王連栄さんは放浪生活を余儀なくされた。2006年8月4日、この圧力のもとで重度のプレッシャーを感じ、健康状態が悪化し、肉体的・精神的にひどく疲れ果て死亡した。 

 四、生きたまま臓器を摘出された疑いのある学習者

生きたまま臓器を摘出された疑いのある学習者の状況

省、直轄市 総数
北京 1   1
広東   1 1
遼寧   1 1
河北   1 1
江蘇 1   1
吉林 1   1
黒龍江 50 29 79
山東 1 1 2
小計 54 33 87
総数 87  
 
图3:疑似被活摘器官法轮功学员的年龄段分类

生きたまま臓器を摘出された疑いのある学習者の状況分類

 生きたまま臓器を摘出された疑いのある学習者の年齢層分類

年齢層 人数 割合%
20-29 4 5
30-39 28 32
40-49 27 31
50-59 14 16
60-69 6 7
未知 8 9
総計 87 100

 ◎黒龍江省の高一喜さん 牡丹江留置場で生きたまま臓器を摘出された

 黒龍江省牡丹江市の高一喜さん(45歳男性)は2016年4月19日深夜、妻と共に警官により自宅から連行され、牡丹江留置場に8昼夜拘束された。留置場によると、高さんは尋問記録への署名と食事を拒否し、胃管から2回強制灌食を与えられ、2016年4月28日に牡丹江公安病院に送られたという。公安病院の高さんに対する身体検査報告書によると、すべての指標は正常で、高さんの健康状態は良好だった。しかし、点滴を続けられた結果、徐々に言葉を失い、動けなくなった。4月30日朝、病院は高さんが急死したと発表した。警察は高さんの遺体を四道火葬場に運び、強制解剖をした。

 解剖室で高さんの兄は、高さんの目尻に涙の跡があり、それが濡れているのに驚いた。家族が解剖の署名を拒否したにもかかわらず、第二留置場の主任・田瑞生は、直ちに解剖しなければならないと決定したと言い、 午後7時過ぎ、高さんは強制的に解剖され、大脳、小脳、心臓、左右の肺、肝臓、胆嚢、脾臓、左右の腎臓がすべて収奪され、内臓は空になったが、解剖はまだ終わっておらず、医師は途中で現場を離れた。目撃者によると、4台のパトカーが猛スピードで葬儀場から狂ったように走り去るのを見たという。遺体は縫合されて美容室に移されたが、化粧をすると大量の血が流れ出した。出血の量に家族はショックを受け、解剖した時にはまだ生きていたのではないかと疑った。

 さらに衝撃的なのは、牡丹江市の610弁公室の課長・朱家濱が、国際追跡調査組織の電話を受けた際に、高さんの臓器を生きたまま摘出し、売った事を認めただけでなく、「俺は肉屋だ、臓器摘出の専門家だ!」と暴言も吐いた。

 ◎貴州省開陽県の傅可妹さんは「行方不明」にされた

 貴州省開陽県第一小学校の退職教師あった傅可妹さん(54歳女性)は、2005年11月16日、親戚の徐根礼さん、65歳の女性と3人で井岡山に到着し、その夜は個人経営の「永新」旅館に宿泊した。翌日、傅さんと徐さんは外出中に「失踪」した。家族は11月29日に茨坪公安局に通報した後、井岡山テレビやメディアを通じて尋ね人の広告を出すと同時に、周辺の各観光地に赴き、問い合わせや行方不明者届の掲示をし、地元の山、潜在的に危険な水域、洞窟などの場所をも探した。

 家族が捜索している間、井岡山市国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の関係者が何度も家族と話しに来た。ある公安人員によると、17日と18日ごろ、黄洋界で法輪功の資料を配布した人がいたという。2006年5月中旬、井岡山五指峰で傅さんと徐さんの遺体が発見され、死亡者の臓器がなくなっていることが確認された。 傅さんの遺体は上半身裸で、綿のズボンと靴下を履いていた。外のズボンは少しぼろぼろになっていた。また、足とふくらはぎは少し乾燥して縮んでおり、足の指はまっすぐ伸びていた。遺体は腐っておらず、頭は剃られ、眼球はなく、眼窩の周りが腐っており、鼻には黒い穴が二つあった。警察は2人が自殺したと発表し、遺族のさらなる捜査要請を拒否したが、遺族は2人の死因や死亡時間、死亡場所などに多くの疑問があると判断した。

 ◎江蘇省徐州市の朱向和さん 県洗脳班に撲殺され内臓紛失

 江蘇省徐州市睢寧県官山郷の朱向和さん(64歳男性)は、2005年4月14日ごろ、不当に連行され睢寧県洗脳班に拘束された。わずか5日間後の4月19日、朱さんは打ち殺された。目撃者によると、朱さんの手足の指は真っ黒になり、目はえぐり取られ、内臓も取り出されていたという凄惨な状態だった。朱さんの息子は警官に細工され、内臓の一部が切り取られただけで、目は取られていなかったと言った。 真実を隠すために、警察は自然死であると主張した。

 ◎牡丹江市の王小忠さんに 打ち殺され臓器を摘出された形跡

 黒龍江省牡丹江市愛民区の王小忠さん(36歳男性)は、2001年8月17日夜9時、陽明公安局の警官らにより連行され、樺林派出所(郊外の比較的辺鄙地にある)に拘束された。13日後の8月29日、派出所は王さんが死亡したことを家族に告げた。牡丹江興隆留置場の関係者によると、王さんは深夜に頭蓋内出血を起こし、病院に搬送されたが、助からず死亡したという。しかし、彼らは王さんの心臓、肝臓、肺などの内臓を取り出して冷凍した。臓器狩りの形跡があると判明した。

 王さんが亡くなる前日、王さんの妻が面会に行った際に、「警官らに電気棒で苦しめられ、食事も極めて劣悪だ」と王さんが妻に話した翌日に王さんは死亡した。死因は脳出血で、留置場は責任を負わないと告げられた。王さんを知る人たちは皆、王さんが生前非常に健康だったと言っており、留置場で病死したとは誰も信じなかった。 牡丹江市公安局は、家族に数千元を渡しただけで、急いで事件を終わらせた。

 ◎遼寧省葫芦島市の李淑媛さん 撲殺され臓器を摘出された

 遼寧省葫芦島市連山区大荒地村の李淑媛さん(51歳女性)は、2002年7月6日夜、李さんは他の学習者と一緒に連山区金砬子村で法輪功の資料を配布した。翌日の午前5時頃、金砬子村の鄭世忠さんの家の玄関前で、両手を後ろに回し、口と鼻に土汚れがあり、身体には掴んだり、蹴ったり、もみ合ったりした痕跡傷痕のある李さんが横たわっているのを村民が発見した。村書記の鄭広野は現場に到着後、警察に電話した。鎮派出所、法医医師、公安らが現場に到着した後、鄭広野に李さんの遺体を金砬子村と臥佛寺村の間の川辺に運ぶよう命じた。そこは最初の殺人現場から約500メートル離れた所にある。

 李さんは川辺に運ばれた後、鎮派出所は各村の学習者の家族に対し、身元を確認するよう通知した。午前8時頃、李さんの家族が現場に駆けつけた時、川辺には「公安」と書かれた2台の白いパトカーが停まっていた。李さんは裸で地面に横たわっており、近くには警察、派出所の関係者と法医学者が取り囲んでいた。200~300人の村民が外側で見ていた。白昼、李さんは胸から下腹部にかけて切り裂かれ、肉と皮膚が露出し、白い肋骨が突き出ており、心臓、肺、肝臓、腸、胃などの内臓がすべて取り出されて空になり、血が地面に大量流れており、家族は恐怖のあまり、その場で倒れてしまった。

 解剖が完了した後、李さんの家族は警官に、火葬に死亡証明書が必要かどうか尋ねたところ、警官は「死亡証明書をもらう必要はない。私が渡した『窒息死』の解剖報告書を使えばいい」と答えた。彼らはまた、「心臓異常なし、脳も異常なし、これらの臓器を検査してみる」と言い、2台の白いパトカーが李さんの臓器を持って現場から急いで立ち去った。

 2人の目撃者によると、2002年7月6日の夜11時頃、李さんが資料を配布していたとき、村の入り口に大男が立っているのが見えたという。資料を配布した他の学習者もこの人物を見たことがあると話したことがあり、この大男はおそらく尾行する私服の警官だった。李さんの死後の姿勢を分析したところ、警察は手を後ろに回して掴む姿勢がよくあるようで、通常、人が転んだとき両手を前に出して転倒を防ごうとし、手を後ろにすることは不可能だと考えられる。この人物は派遣された私服殺人犯ではないかと疑われている。

 7月7日午前8時前、警察は身元を確認することなく、現場に到着した家族の同意もなしに、臓器と脳を採取し、急いでパトカーで運送した。これは臓器の生存時間内に間に合うようにするためではないか? 警察はまだ検査していなかったのに、その場で「窒息死」の「解剖証明書」を発行した。

 その後、李さんの家族は葫芦島市司法局に盗まれた臓器の返還を求めたが、無視された。2回目は、李さんの兄夫婦が知人と共に尋ねたところ、「ない、臭いから捨てた」との返事が返ってきた。臓器検査後の結果も証明書も何もくれなかった。

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/11/30/468757.html)
 
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