5,000人以上の法輪功学習者が中共に迫害され死亡(四)
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 【明慧日本2023年12月12日】(前文に続く)

 (5) 精神病院、公安病院で迫害され死亡

 1、精神病院、公安病院で迫害され致死された状況

精神病院、公安病院で迫害され死亡した学習者の状況分類

省、直轄市、自治区 精神病院、公安病院 総計
薬物迫害
病院
安徽 4 0 4
福建 0 1 1
甘粛 1 0 1
広東 1 2 3
広西 0 1 1
海南 1 0 1
河北 3 2 5
湖北 4 2 6
湖南 1 3 4
黒龍江 3 2 5
江蘇 1 0 1
江西 2 0 2
吉林 2 0 2
遼寧 1 0 1
寧夏 1 0 1
青海 1 0 1
山東 8 3 11
陝西 1 0 1
四川 3 0 3
新疆 0 1 1
浙江 0 1 1
重慶 2 1 3
小計 40 19 59
総計 59  

 精神病院での迫害による死亡者数が最も多い地域は、山東省11人、湖北省6人、河北省5人、黒龍江省5人、安徽省4人、湖南省4人、広東省3人、四川省3人、重慶市3人、江西省2人、吉林省2人、その他の省は各1人となっている。

 2、致死された学習者の一部の実例

 ◎山東省平度市の于桂貞さん 同和精神病院に迫害され死亡

 山東省平度市城関鎮の于桂貞さん(55歳女性)は2003年の旧暦8月、市場で法輪功迫害の実態を人々に伝えていたところ、610弁公室の人員・代玉剛に連行され、淄博王村労働教養所に送られた。王村労働教養所は于さんを受け入れなかった。

 そのあと、代玉剛は于さんを同和精神病院に連行した。そこで于さんは毎日ベッドの上に「大」の字に縛り付けられ、強制的に正体不明の薬物を飲まされ、中枢神経を破壊する薬を注射された。そのため、于さんは自分をコントロールできなくなり、目の動きがにぶく、口がゆがみ、よだれを絶えず流し、一日中眠気がして意識がぼんやりになった。

 その後、家族は警官に1万元を支払い、于さんを家に連れ帰った。家に帰った後も、于さんは体中が痛くてたまらず、片足を引きながら歩くようになり、痛みにより毎日ベッドの上で寝返りを打っていた。それにもかかわらず、警官は頻繁に家まで来て嫌がらせを働いたり、脅したりした。于さんの夫は恐れて他人と接触することすら怖く感じた。2003年11月13日に于さんは死亡した。

 ◎陝西省高陵県の張金蘭さん 安康病院に迫害され死亡

 張金蘭さん(50代女性)は2002年9月20日頃、陝西省の学習者を迫害する場所である西安市の安康病院(公安病院とも呼ばれる)に連行された。

 警官は張さんに毎日不明の薬物を飲ませた。また、数人の男の受刑者を呼んで来て、張さんの首を締め付けたり、髪を引っ張ったり、鼻をつまんだり、押し倒したりするように指示し、張さんは危うく死亡するところだった。張さんは煉功を続けたことでよく殴られ、迫害に抗議するために何度も断食を行い、体は非常に衰弱していた。

 2002年12月、張さんは再び断食して迫害に抗議した。中共の関係者は安康病院の医師をコントロールし、張さんの胃に管を挿入し、不明な薬物を注入させた。注射された後、張さんは全身が麻痺して意識を失い、歩くことができなくなった。「大」字の形でベッドに固定され、毎日10時間以上点滴しなければならず、トイレに行けないため、尿をベッドの上で漏らしてしまった。数日間注射し続けた結果、張さんの下半身、臀部、腰に潰瘍ができ、意識が朦朧とし、生命の危険にさらされたため、安康病院は危篤通知を出した。高陵県関連部門の人員らは1週間以上延期し、張さんの家族に迎えに来るよう通知した。

 帰宅後、張さんはすでに動くことすらできなくなり、知人を認識することもできず、下半身の潰瘍が見るも無残な様子となった。それにもかかわらず、警官は張さんへの迫害事実が暴露されないように、張さんの自宅と電話を監視していた。2008年2月1日、張さんはこの世を去った。

 ◎湖北省襄樊市の劉偉珊さん 364航空病院で迫害され死亡

 襄樊市漢江机械工場所属学校の元教師の劉偉珊さん(51歳女性)は2002年9月14日、法輪功の資料を配布した際に、警官らに連行され、襄樊市第一留置場に拘禁された。これは劉さんにとって7回目の連行となった。留置場で警官は数人の受刑者を使って、劉さんの頭、手足を動けないように強く押さえ、劉さんの鼻から胃にチューブを入れて灌食した。また、受刑者らは警官の指示を受け、劉さんの体をつねったり、髪の毛を引っ張ったり、平手打ちをしたりした。警官はトイレに行くのに便利だという理由で劉さんの服を脱がせ、体にシーツを巻いただけにし、1日に2回も辛い灌食を行なった。しかも、胃に挿入したチューブをそのまま放置し、15日に1回しか取り換えなかった。チューブを取り換えるとき、チューブの下半分が黒く変色していたほどである。劉さんはこの状態で40日間も苦しめられた。

 2002年10月、劉さんは懲役4年の実刑判決を言い渡され、武漢女子刑務所に数カ月間拘禁された後、精神異常になり、危篤状態に陥った。2006年1月、劉さんは密かに襄樊市航宇系統364航空病院に移送され、「治療」を受けたが植物人間になった。

 2011年8月、湖北襄陽市610弁公室は364航空病院側と結託をして、生きている劉さんを火葬場に送るように命令を下した。しかし、火葬担当の作業員は、劉さんの心臓が動いているのを発見し、火葬を拒否したので、劉さんはまた364病院に戻された。2019年10月28日朝、劉さんは364航空病院で亡くなった。

 ◎重慶市の胡明全さん 強制灌食され死亡

 重慶市江北区の胡明全さん(63歳男性)は、2000年12月1日に北京へ陳情に行った。1週間後の7日、胡さんの家族は遺骨を引き取るよう通知された。家族は吉林省懐徳県病院で胡さんの遺体と対面した。息子が父の死因を尋ねたところ、医師は「高血圧で死亡した」と答えた。しかし、胡さんは従来、高血圧などの病歴はなかった。その後、胡さんの死因は「灌食されていた時に窒息死した」という情報が流れた。

 ◎山東省平都市の張付珍さん 平度市人民病院で毒薬を注射され死亡

 山東省平度市の張付珍さん(38歳女性)は2000年11月、上京して法輪功の無実を訴えたとして警官に連行された。平度市に連れ戻される途中、張さんは車から飛び降りたため腰を負傷した。平度市人民病院によると、腰は命に別状はなかったという。病院での治療中、張さんは頭脳明晰で、起き上がって坐禅した。その後、毒薬を注射され、ベッドの上でもがきながら死亡した。

 目撃者の孫付香さん(張さんの世話人として配置された)の話によると、張さんは服をすべて剥ぎ取られ、髪の毛もすべて切り落とされ、ベッドの上に「大」の字に縛り付けられた。不明薬物を注射された張さんは、狂ったようにもがき始め、そのままベッドの上で悶え苦しんで気絶し、死亡した。その場に居合わせた610弁公室の官員らは、これらの一部始終を監視していたという。

 (6) 派出所に迫害され死亡

 1、派出所に迫害され死亡状況分類

派出所に迫害され死亡した学習者の状況分類

省、直轄市、自治区 派出所 総計
拷問
派出所
安徽 1 3 4
北京 3 3 6
甘粛 1 0 1
広東 5 0 5
貴州 2 0 2
海南 0 1 1
河北 17 8 25
河南 3 3 6
湖北 7 4 11
湖南 3 2 5
黒龍江 17 8 25
江蘇 0 2 2
江西 3 0 3
吉林 15 12 27
遼寧 10 7 17
内モンゴル 1 1 2
寧夏 2 0 2
山東 18 15 33
山西 1 1 2
陝西 1 0 1
四川 4 8 12
天津 1 1 2
雲南 1 0 1
重慶 1 1 2
  117 80 197
総計 197  

 派出所の迫害による死亡者数の多い地域は、山東省33人、吉林省27人、河北省25人、黒龍江省25人、遼寧省17人、四川省12人、湖北省11人、北京市6人、広東省5人、湖南省5人、安徽省4人、江西省3人、貴州省、江蘇省、内モンゴル自治区、寧夏回族自治区、山西省、天津市、重慶市各2人となっている。

 2、致死された学習者の一部の実例

 ◎広東省茂名市の楊成さん 派出所の迫害により死亡

 広東省茂名市茂南区の楊成さん(35歳男性)は 2001年2月16日、袂花派出所の警官2人に連行され、法輪功を放棄しないとして激しい暴力を振るわれ、帰宅1カ月後の4月、亡くなった。

 ◎山東省膠州市の李啓勝さん 九龍派出所の迫害により死亡

 山東省膠州市九龍鎮の李啓勝さん(70歳男性)は2000年10月、法輪功の無実を訴え、政府に事実を説明したいという思いで北京に行ったが、警官に連行された。

 李さんは九龍派出所に連行された後、所長らにより拷問を受けた。その後、留置場に送られ、15日間拘束された。拘束期間を終えて、李さんは帰宅すべきだったが、再び九龍派出所に送られた。そこで李さんは鉄の柱に手錠で縛り付けられ、夜になって体が凍って動けなくなり、数日昼夜眠ることも許されなかった。拷問を受けた李さんはトイレに行った際に倒れてしまい、医者の診断によると、重体であることが分かった。その後、李さんは家に戻されたが、玄関に着く前に地面に倒れ、1週間後亡くなった。

 ◎重慶市墊江県の廖世凱さん 太平鎮派出所で迫害され死亡

 廖世凱さん(40代男性)は2001年末、太平鎮派出所の警官に連行され、翌日に死亡した。責任を恐れる警官は家族に遺体を見せることも写真を撮ることも許さず、直接廖さんの遺体を火葬した。

 ◎湖北省武漢市の呉山海さん 派出所の迫害により死亡

 湖北省武漢市の呉山海さん(男性)は2007年7月10日、公園で数人の学習者と修煉の体験を交流している時、派出所まで連行された。3日後、派出所の警官は家族に迎えに行くよう通知したが、当時呉さんは極度の衰弱で食事も取れず、拷問で瀕死の状態だった。1週間後の2007年7月19日、呉さんは死亡した。

 ◎河北省石家荘市の趙豊年さん 迫害され死亡

 河北省正定県南村鎮の趙豊年さん(48歳男性)は、石家荘市正定県工商管理局二十里舗支局の幹部であった。2001年4月29日、趙さんは法輪功の無実を証明するために北京に赴き、法律に基づいて陳情したが、ひどい暴行を受け負傷し、地元に連れ戻された。

 5月5日夜、趙さんは突然職場から姿を消し、間もなく家族は趙さんが殺害され埋葬されたことを知った。そのときになって初めて派出所は家族に通知した。派出所は趙さんを自殺の濡れ衣に仕立て上げた一方で、家族に遺体を見せないよう密かに埋葬した。趙さんの勤務先と派出所が厳重に情報を封鎖し、家族に対して脅迫や誘導を行ったため、被害の詳細は依然として謎のままである。

 (7) 公安局に迫害され死亡

 1、公安局に迫害された死亡状況分類

公安局に迫害され死亡した学習者の状況分類

省、直轄市、自治区 公安局 総計
拷問
現場
安徽 1 2 3
北京 2 8 10
福建 0 3 3
甘粛 3 5 8
広東 0 2 2
広西 1 0 1
貴州 0 3 3
海南 1 0 1
河北 9 12 21
河南 6 7 13
湖北 1 8 9
湖南 9 6 15
黒龍江 10 21 31
江蘇 3 1 4
江西 1 5 6
吉林 6 36 42
遼寧 8 33 41
内モンゴル 3 4 7
青海 1 0 1
山東 5 23 28
山西 2 8 10
陝西 1 5 6
上海 3 1 4
四川 5 22 27
天津 1 1 2
新疆 0 4 4
雲南 0 1 1
浙江 1 0 1
重慶 6 6 12
小計 89 227 316
総計 316  

 公安局の迫害による死亡した学習者が最も多い地域トップ10は、吉林省42人、遼寧省41人、黒龍江省31人、山東省28人、四川省27人、河北省21人、湖南省15人、重慶市12人、北京市10人、湖北省9人である。

 2、致死された学習者の一部の実例

 ◎吉林省舒蘭市の孫建華さん 警官に包囲され死亡

 吉林省舒蘭市の孫建華さん(34歳男性)は2002年3月中旬、舒蘭市駅で警官に包囲された。当時、孫さんは法輪功の書籍『轉法輪』を持っていた。警官が大勢いるため、警備員も交代し、双方は7日7晩対峙したが、孫さんは7日間、食べず、飲まず、眠らなかった。夜はとても寒かったが、孫さんは薄着でなんとか乗り越えた。警官らが撤退した後、孫さんはすでに瀕死状態になっていた。

 2002年3月23日、孫さんは路上である学習者に出会い、車で別の学習者の家まで連れて行き、迫害の経緯を話した。その2時間後、体力が限界になった孫さんは亡くなった。孫さんが亡くなった後、「舒蘭新聞」は事実を歪曲し、孫さんは心臓病を患い、治療を受けずに死亡したと報じた。

 ◎湖南省邵陽市の唐満元さん 大祥区公安支局に迫害され死亡

 湖南省邵陽市の唐満元さん(65歳女性)は2002年夏、警察への通報があったという理由で、勤務先の治安課および大祥区公安支局の関係者らにより拘束された。そして拘禁場所を何回も変え、繰り返し殴られた。2002年末に唐さんが帰宅したとき、頭と顔は腫れ上がり、内臓も損傷していた。2003年の春、唐さんは死亡した。

 ◎河北省河間市の顧亜楼さん 任丘公安局に迫害され死亡

 顧亜楼さん(31歳男性)は2001 年旧暦 8月10日午後11時、外出して法輪功の資料を貼り付けたところ、李趙庄で連行され、北漢派出所に送られた。顧さんが連行された後、家族は何度も面会を求めたが、拒否された。8月13日正午、家族は人脈を使って、午後、顧さんに対する尋問が行われることを知った。その際に、警官は尋問のあと釈放に同意し、2万元を要求した。8月14日、家族が金を工面して顧さんを迎えに行く準備をしていたとき、2人がやって来て、急いで任丘市へ行くように告げた。公安局に到着すると、家族は3階の会議室に連れて行かれ、局長が事前に用意した原稿を家族に読み上げた。前日の午後7時30分頃、顧さんが5階での取り調べ中に飛び降りて死亡したという。

 現場を確認すると、建物全体で窓が1カ所しか開いておらず、5階の地面には少量の血痕があった。滄州市の法医学者が遺体を検査したところ、頭部は鈍器で傷つけられ、へこんでおり、顔は血まみれで、左肩には電気棒で電気ショックを与えられた二つの黒い跡があった。お尻より上の部位にはゴムで殴られた痕跡があり、右ふくらはぎに1.5インチの深い穴があった。両かかとの肉が外側に向いて骨が露出しており、両足は紫色で重度の骨折を負い、仰向けになって地面に接触した。

 家族が遺体を見てから30分以内に、警察は火葬するよう促した。家族はまだ到着していない親戚がいるからもう少し待ってほしいと言ったので、任丘市検察庁と公安局の局長と副局長、滄州地域の指導者全員も現場に来て監督し、家族に誓約書に署名して火葬するよう強制した。顧さんの遺体が火葬された後、家族は骨壷さえもらえなかった。

 ◎山西省朔州市の楊艶英さん 電気棒で拷問され死亡

 山西省朔州市の楊艶英さん(50歳女性)は2002年10月24日、他の学習者と一緒に省政府部門の地域で法輪功の資料を貼り付けたが、午前9時に連行された。 午後4時、楊艶英さん、張愛花さん、李美蘭さん、邢引弟さんの4人が電気棒による拷問で死亡した。史素萍さん、王明霞さん、王英香さんは懲役15年の実刑判決を宣告された。

 ◎湖南省祁東県の匡素娥さん 警官に撲殺された

 匡素娥さん(女性)は2001年の冬のある日、街に行って法輪功の資料を配布し、ステッカーを貼り付けたとして、警官に撲殺された。警官はすぐに遺体を焼却し、交通事故だと嘘をつき、県交通警察部門が出動してその後の始末をした。

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/11/30/468757.html)
 
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