5,000人以上の法輪功学習者が中共に迫害され死亡(三)
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 【明慧日本2023年12月12日】(前文に続く)

 2、致死された学習者の一部の実例

 ◎貴州省黔南県都匀市の姜玉蓮さん 羊艾刑務所で迫害され死亡

 貴州省ミャオ族自治州都匀市の姜玉蓮さん(64歳女性)は2013年6月、法輪功迫害の実態を人々に伝えた時、再び連行され、懲役4年の実刑判決を言い渡され、貴州省第一女子刑務所(羊艾刑務所)に拘禁された。

 羊艾刑務所で姜さんは様々な拷問を受けた。2017年4月になってようやく、羊艾刑務所は瀕死状態の姜さんを2カ月早く帰宅することに同意したが、残念ながら、姜さんは2017年11月12日午前1時頃亡くなった。

 ◎浙江省楽清市の黄慶登さん 杭州第二刑務所の迫害より死亡

 浙江省楽清市の黄慶登さん(83歳男性)は2019年4月17日、自宅に侵入してきた警官に身柄を拘束された。

 黄さん夫妻は楽清市留置場に拘禁され、2020年3月12日、黄さんは楽清市裁判所に懲役7年の不当な判決を宣告された。数日後、黄さんの妻は解放された。

 2021年3月、刑務所側は黄さんの家族に電話をかけ、黄さんが病院で救急処置を受けていると告げた。同月26日午後2時ごろ、酸素吸入をしていた黄さんは家に戻されたが、全身が黒紫色で毒物を注射されたと思われる。その夜に黄さんは他界した。

 ◎吉林省松原市の董鳳山さん 四平市刑務所で迫害され死亡

 董鳳山さん(男性)は2007年10月13日、松原国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)と松原寧江支局の警官らに連行され、家宅捜索を受けた。董さんは松原市善友留置場に拘禁され、その間ずっと拷問を受けた。その後、松原裁判所により懲役9年の実刑判決を宣告され、2008年10月23日に吉林省四平市刑務所に収監された。

 2008年10月29日午後7時、9人の受刑者が董さんをトイレに引きずり込んで殴り、夜9時になってから董さんを監房に担ぎ込んだ。

 翌日の10月30日、警官6人と4人の受刑者が、董さんを労働現場の二階まで引きずり、董さんが死亡するまで電気棒やその他の器具で董さんを拷問し続けた。警官らは責任を負いたくなかったので、受刑者3人にそれぞれ5万元(約100万円)を渡し、董さんを撲殺したことを認めさせた。

 ◎河北省保定市の韓俊徳さん 刑務所で拷問を受けて死亡

 河北省保定市の韓俊徳さん(77歳男性)は2019年8月30日、保定市蓮池区公安局の警官らに連行される最中、突然意識を失った。医師は即時入院するよう勧告したが、蓮池区公安局は韓さんを保定留置場に拘禁した。

 2020年2月1日に不当な裁判が開かれた時、韓さんは車椅子で法廷に運ばれたが、車椅子に腰をかがめて首を伸ばすことができなかった。家族が何度も尋ねた結果、韓さんはすでに自分自身の世話をすることができないことが分かった。

 韓さんはひょうたんに「真・善・忍は素晴らしい」という文字を彫ったとして、2020年2月に保定市高陽県裁判所に懲役8年6カ月、罰金1万元を宣告された。唐山冀東刑務所に拘禁された後、韓さんは何度も罪を認めるように強いられたが、転向しないという理由で、手紙も、電話も、面会の権利も奪われた。

 韓さんの妻・付桂さんは韓さんの安否を心配し、一時出所ができるように駆けずり回った。2021年8月23日、冀東第五刑務所は韓さんの一時出所の手続きの書類を保定市競秀区司法局に郵送した。しかし、当司法局は韓さんの妻が長年、自宅に住んでおらず(妻は高齢のため、娘宅に在住)、家族の言動は韓さんの「転向」に不利との理由で手続きを拒否した。その後、韓さんは刑務所で亡くなった。

 ◎黒龍江省ハルビン市の王徳臣さん、呼蘭刑務所で迫害され死亡

 ハルビン市阿城区新華鎮の王徳臣さん(50歳男性)は2016年5月6日午後1時頃、勤務中に警官により連行され、家宅捜索を受けた。その後、阿城第二留置場に拘禁された。王さんの妻は連行の現場を目撃した後、恐怖のあまり精神異常になった。

 2016年12月28日、阿城区裁判所は「王徳臣に懲役10年の実刑判決と2万元の罰金の支払いを命じた」と家族に通告した。

 2019年11月17日、王さんは呼蘭刑務所の残忍な迫害によって死亡した。全体の過程、呼蘭刑務所は家族を王さんの遺体に近づけさせないようにし、家族に急いで火葬することに同意するように強制した。王さんの遺体については多くの疑問点が残された。

 ◎労働教養所、戒毒所で迫害され死亡

 3、労働教養所、戒毒所で迫害され死亡状況分類

労働教養所、戒毒所で迫害され死亡した学習者の状況分類

省、直轄市、自治区 労働教養所(戒毒所) 総計
拷問 毒針、毒薬
教養所 教養所
安徽 3 5 0 0 8
北京 28 14 3 0 45
福建 3 1 0 0 4
甘粛 8 4 0 0 12
広東 9 4 1 0 14
広西 2 1 0 0 3
貴州 6 3 1 0 10
河北 47 12 3 0 62
河南 13 5 0 0 18
湖北 9 6 4 0 19
湖南 21 9 2 0 32
黒龍江 87 34 5 1 127
江蘇 7 0 0 0 7
江西 10 4 0 0 14
吉林 86 24 0 0 110
遼寧 83 21 3 0 107
内モンゴル 13 0 0 0 13
青海 3 1 0 0 4
山東 39 17 1 0 57
山西 4 1 0 0 5
陝西 7 4 0 0 11
上海 2 2 1 0 5
四川 20 12 3 0 35
天津 16 9 0 0 25
新疆 4 5 0 0 9
雲南 1 0 0 0 1
浙江 2 0 0 0 2
重慶 26 7 3 1 37
  559 205 30 2 796
総計 796  

 労働教養所での迫害による死亡者数の多い地域の順位は、黒龍江省127人、吉林省110人、遼寧省107人、河北省62人、山東省57人、北京市45人、重慶市37人、四川省35人、湖南省32人、湖北省19人となっている。

 4、致死された学習者の一部の実例

 ◎重慶市の周良珍さん 重慶女子労働教養所の迫害により死亡

 重慶市南岸区の周良珍さん(51歳女性)は2004年3月5日、法輪功師父の経文をコピーしに行ったところ、南岸区龍門浩派出所の警官に連行され、南岸区留置場に拘禁され、周さんの自宅が荒らされた。半月後、龍門浩派出所と南岸区公安局の警官は周さんに労働教養2年を科し、周さんを重慶女子労働教養所に連行した。

 重慶女子労働教養所では、周さんは毎日10時間以上立たされ、11日間トイレにいくことを禁じられた。暑い日に警官が周さんにセーターと冬着を着せて日光の下に立たせたため、周さんは汗をかき、服は汗でびっしょりになった。警官と受刑者らが周さんに拷問を加えた結果、周さんは危篤状態に陥った。彼らは虫の息になった周さんを家に送ったが、周さんは2005年2月28日午後2時頃亡くなった。

 ◎山東省泰安市の徐桂芹さん 省第一女子労働教養所で迫害され死亡

 徐桂芹さん(38歳女性)は2001年の旧暦12月、市場で果物を売りながら法輪功迫害の実態を人々に伝え、資料を手渡した。政府の嘘の宣伝を信じた人に通報されたため、徐さんは連行された後、1年間の労働教養を科され、済南市にある山東省第一女子労働教養所に拘禁された。

 徐さんは釈放の2日前、刑務所の王課長に「保証書」を書くよう強制されたが、徐さんは拒否し、毅然とした口調で王課長の行為を非難した。王課長は徐さんを数時間にわたって殴り、徐さんは打撲傷だらけになった。

 犯罪の事実を隠蔽するため、警官は徐さんに中枢神経系を破壊する薬を4本注射した。徐さんは顔が腫れ上がり、舌が硬くなって身体が麻痺し、食欲不振で記憶力が著しく低下した。徐さんは帰宅後、徐々に精神異常になり、9日目の2002年12月10日に亡くなった。

 ◎広東省東莞市の頼志軍さん 三水労働教養所で迫害され死亡

 広東省東莞市鳳岡鎮の元副鎮長兼全国人民代表大会副主任の頼志軍さん(30代男性)は1999年12月、単身北京に行き法輪功の無実を訴え、天安門広場で煉功した。その場で警官によりひどい暴行を受け、東莞市に送還され、市の留置場に拘束された。

 頼さんは留置場で3~4カ月間拘禁された後、2000年3月に三水労働教養所に送られた。3月29日、警官は頼さんに電気ショックを与え、走ることを強制した。頼さんは断食して迫害に抗議したが、数日後に死亡した。労働教養所は頼さんの家族に対し、頼さんが心臓発作で死亡したと告げ、解決金として400元を渡し、誰にも言わないようにと言った。

 ◎江西省高安市の劉朝暉さん 迫害され死亡

 劉朝暉さん(30歳前後男性)は2001 年の旧暦12月の終わりに、再び連行され江西省第二労働教養所(高安労働教養所)に送られた。劉さんはすぐに断食して抗議した。しかし、旧暦の大晦日の直後、劉さんは死亡した。労働教養所は全力を尽くして情報を封鎖し、受刑者たちに「情報を広めるな」と脅迫した。

 ◎陝西省西安市の陳建生さん 棗子河労働教養所で迫害され死亡

 陝西省西安市の工商銀行職員の陳建生さん(49歳男性)は、 1999年7月20日以降、法輪功を放棄しないとして、何度も連行され洗脳班に送られた。

 2004年12月3日、陳さんは市街地で法輪功の資料を配布中に連行され、家宅捜索を受け、パソコンを押収された。留置場に1カ月以上拘禁された後、陳さんは1年6カ月の労働教養を言い渡され、2005年2月3日に悪名高い棗子河労働教養所に拘禁された。

 2005年9月、労働教養所の迫害に抗議するため、陳さんは断食した。警官と受刑者らは陳さんを「死人ベッド」に縛り付け、強制灌食を行い、陳さんの鼻と口は血で充満した。彼らは意図的に超濃度の塩水を陳さんに注ぎ込み(水にはまだ溶けていない塩があった)、その結果、陳さんの唇は荒れて出血し、胃には灼熱のような激しい痛みが生じ、陳さんは危篤状態に陥った。

 2005年10月11日、麻薬中毒者の谷愛民は自分の尿を点滴に混ぜ、「死人ベッド」に縛り付けられ体を動かすこともできない陳さんに注射した。その結果、陳さんは苦痛の中で死亡した。

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/11/30/468757.html)
 
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