文/遼寧省の大法弟子 如玉
【明慧日本2023年12月26日】私は1999年以前から法輪大法を修煉している中年の大法弟子です。20年以上の修煉の中で、さまざまな困難や苦難を経験しました。以下で、私はここ数年の法を暗唱した経験について、同修のみなさんと交流したいと思います。
一、個人での法の暗唱からグループでの法の暗唱へ
私は2017年から法の暗唱をしています。1999年、法輪大法が迫害される前、私は『轉法輪』の21ページまで暗唱したところで中断しました。数年前、私は21ページから再び暗唱を始め、67ページまで暗唱しましたが、また中断しました。今回、67ページから再び暗唱を始めました。
その時の私の考えは「私は、この法輪大法を、完璧に、一字一句間違えずに、私の天国世界に持ち帰りたい。私は、衆生を救い済度する使命を担っている。私が法を暗唱し、大法に同化している時、私の天国世界の衆生も、法輪大法に同化している。そして、彼らも法輪大法によって救い済度される。この大法を、一字一句間違えずに暗唱できたら、どれほど素晴らしいだろう!」というものでした。この願望はすばらしいことでしたが、実行するのはそれほど簡単ではありませんでした。最初は、同修と集団学法の前に互いにチェックし、その週の法の暗唱が正確かどうか、熟練しているか(訳注:流暢に暗唱できるか)を確認しました。早い時は、1週間で5〜6ページ暗唱でき、遅い時は、3〜4ページ暗唱できました。家で暗唱する時はとてもよく暗唱できるのに、人前で暗唱すると緊張して、間違ったり、詰まったり、忘れたりすることがよくありました。
よりよく暗唱し、自分自身を完全に法の中に溶け込ませるために、私は散歩している時、バスに乗っている時、真相を伝えに行く時も帰る時も、常に暗唱していました。その後、私は同修と一緒に、毎週『轉法輪』を一通り通読しました。集団学法に参加しない時は、自分で法を暗唱しました。同修間の督促(訳注:同修間の励まし合いと支え合い)がなくなっても、私は自分で法を暗唱し続けました。私は3年かけて『轉法輪』を一通り暗唱しました。
精進している同修と比べると、これはたいしたことではありません。しかし、法を暗唱するには、継続することが大切です。毎日どれだけ暗唱できるか、速く暗唱できるかどうかは、それほど重要ではありません。重要なのは、法をしっかりと学ぶことでした。私は、一段の法を暗唱するたびに、必ず一度その原文を書き写してから、もう一度暗唱します。明慧ネット上にある同修の交流文章を読み、同修は、法を暗唱する時には、大法書籍のすべての文字が脳裏に浮かび、目の前に現れると言います。私も、しばらくの間試してみました。効果は非常に良く、暗唱し終えた後の、印象はとても深いものでした。
その後、私は一段の法を暗唱し終えると、記憶した法を頭の中で一度書き、誤字や脱字、句読点の誤りがないかを確認しました。しかし、一段の法の中で8、9カ所は間違っていました。ある時、法を暗唱する前に、私は30分間正念を発して、法の暗唱への妨害を排除しました。結果、その日の法の暗唱後、記憶した法を頭の中で一度書いてみたところ、なんと1カ所しか間違っていませんでした。やはり、しっかりと準備をすれば、法の暗唱が遅れることはありません。しかし残念ながら、その後は長期的にこのやり方を続けることができませんでした。現在、時間があれば、全世界での4回の正時での発正念をするとき、さらに15分間延長しています。
長期にわたって法の暗唱を続けたおかげで、同修と修煉について話した後、常人の考えや感情が少なくなり、内に向けて探し、自分を修めるべきだと分かるようになりました。以前は、いつも法で人を量っていましたが、今は法で自分を量ることを知りました。もはや、盲目的に他人に従ったり、他人の真似をしたりせずに法を学ぶようになりました。以前、私はいつも人の情や観念を用いて同修に対処し、全体の中で起こる現象や出来事に対処していました。しかも「一言何か言われるとすぐ爆発」して、相手に話をさせませんでした。常に相手の話をじっくり聞く忍耐力がなく、自分を表現するのを急いでいました(訳注:自分の気持ちを早く伝えたいと思っていた)。他人が私の欠点を指摘すると、私は聞きたくないし、腹を立て、すぐに自分の弁明を始めていました。
同修、同級生、教師、家族、友人、上司などが、私の考えや価値観に合わないことをすれば、その人の間違いを指摘し、自分の意見を言いました。相手が自分の意見を受け入れてくれるかどうかは関係なく、相手の気持ちを考慮していませんでした。私はいつも横暴で傲慢な態度で、人を叱るのが癖になっていました。私がこのような考えや価値観を押し付けることで、みんなが私を恐れるようになりました。
徐々に、その悪い物質は弱まり、今ではほとんどなくなりました。今は執着心が出てきたら、すぐにそれをつかまえ、それに引きずられないようにしています。毎回、煉功中に心が落ち着かず、雑念や乱雑な思考が雑草のように生えてくる妨害が出てきた時、私はすぐにそれを取り除き、心も清浄になりました。私の落ち着きのない、不安な心は、法に溶け込んだこの時間の中で、いつの間にか落ち着き、清浄になりました。これは、私自身が感じていることです。家族や親戚、以前の同僚も、私の変化を見て、その変化を感じることができ、以前のように怒りっぽくなくなり、より穏やかになった言っています。
後になって、ある同修がすでにグループで法を暗唱し始めていることを聞きました。しかし、私にはまだ障害(訳注:法の理解が不十分であること)があり、そんなに速く暗唱して、しっかり暗唱できるだろうかと不安でした。ある日、私は同修と試してみたところ、暗唱するのが本当に速く、1日で6ページも暗唱しました。これは、自分の暗唱の仕方では想像もできなかったことでした。私が『轉法輪』を2回目に暗唱し始めた時、同修とグループで暗唱を始めました。毎回3〜4ページは暗唱でき、速い時は5〜6ページも暗唱できました。法の各段落を、最初はみんなで何度か声を出して読み、内容を理解したら、一人で黙って暗唱し、その後、一人一人が単独で暗唱し始めました。暗唱がうまくいかない時もありました。それは、大抵の場合、他の空間に関わる問題であり、私たちがその面の法理(訳注:他の空間に関わる法理)を理解していないか、あるいは、心性に問題があるためでした。そのため、そうした箇所は暗唱しにくいのです。私たちは、自分自身の修煉の中、まだどこかの面で問題がないか、内に向けて探し始めました。このように内に向けて探すと、問題は解決し、法も順調に暗唱できるようになりました。
法を暗唱して家に帰った後、私は通常、もう一度復習します。ある年配の同修は特に真面目で、事前に一度予習してから暗唱を始めています。自分(訳注:年配の同修)のペースが遅くて、他の人の暗唱の進み具合に影響を与えることを恐れていたからです。数々の魔難を乗り越え、途中で妨害を受けたこともありましたが、皆は最後までやり遂げました。1年の歳月を経て、私たちはついに『轉法輪』をすべて暗唱しました。皆は大きな収穫があったと感じ、集団学法の時に居眠りをする現象が減りました。皆は、全体の向上、全体の昇華、全体で協力する力の大きさを感じました。
現在、私たちはグループで第2回目の『轉法輪』の暗唱をしています。毎回、一つの見出しを暗唱するたびに、私は自分でその見出しの内容をもう一度暗唱します。1講を暗唱したら、私はその講を自分で声に出して読みながら、もう一度暗唱します。そうすることで、印象(訳注:法の理解)を深めることができます。私は、いつの日か、私たちは必ず、この大法を完璧に、一字一句も落とすことなく、暗唱することができると信じています。
二、法に同化し心性を高め全体で協力して衆生を救い済度する
第1回目の『轉法輪』を暗唱し終えかけた時、同修と一緒に人を救いに出かけたところ、真相を知らない人に通報され、警察署に連行されました。師父のご加護と同修の正念によって、すぐに家に帰ることができましたが、それでも心の中に影を残しました。そのため、人を救うことにおいて正念が不足し、疑心や恐れる心による妨害が時々湧き出てきました。
その後、グループで法を学ぶようになり、同修と交流する機会も増えました。そこで、恐れる心の問題について、特に『道法』という経文を学びました。その結果、長い間この魔難の中にいた私は、この問題について、より明確な認識を持つようになりました。私たちは、師父に従い法に同化し、人を救うためにここにいるのです。迫害を受けるためにここにいるわけではありません。私たちと衆生の関係は、救い済度する側と救い済度される側の関係であり、迫害する側と迫害される側の関係ではありません。この関係を正しく認識した後、私は再び真相を伝えに出かけた時、正念が以前よりもはるかに強くなっていると感じました。
集団学法の時間が長くなり、しかもずっと読んでいたので、午後になると眠気や口の渇きが起こりやすくなります。特に夏場は、この現象がより顕著に現れました。皆は、顔を洗うか、コーヒーや濃いお茶を飲んで、眠気を覚ましました。私たちは、法を暗唱する前に、いつも集まって正念を発し、法の暗唱の妨害を取り除きました。
グループには、年齢層が異なる同修がおり、また、法の暗唱を始めてからの期間も異なるため、法の暗唱の速度は当然、異なります。皆は、お互いに励まし合う中で、心の容量を広げていきました。80歳代の高齢の同修は、当然、暗唱が少し遅く、自分(訳注:高齢の同修)が暗唱できない段落に遭遇すると、少し焦ってしまいます。そのような場合、皆で、句読点ごとに区切って、ゆっくりと覚えていきました。そうすると、(暗唱を)つなげていくことも楽になりました。法の暗唱は心を修める過程であり、同修たちが互いに助け合いながら前進することで、法の暗唱に対する自信も高まりました。
法をしっかり学び、全体で協力すれば、人を救うことは自然とうまくいきました。さらに、同修の正念の場の作用の下では、真相を伝える成功率が高く、衆生の真相の受け入れ度合いも高くなりました。ある時、ある同修が、どうしても真相を伝えることができず、感覚がつかめずにいました。そこで、私たちは正念を発して彼女を加持しました。間もなく、この同修は1人を三退させました。その同修自身はその時はわからなかったのですが、振り返り、私たちが彼女に正念を発しているのがわかりました。しかも、彼女が真相を伝えられない悪い物質に向けて正念を発しました。皆で協力する時間が長くなったので、お互いに心が通じ合い、同修の障害が何なのかがわかるようになっていました。
たとえ面と向かって真相を伝えるのが得意ではない同修であっても、一緒に外に出かけ、さまざまな方法で人を救いました。たとえ一度で1人しか三退させられなくても、無駄にはなりませんでした。外に出れば、必ず何か収穫があり、三退させることができなくても、正念で他の同修を加持しました。私たちは、寒さや暑さにもかかわらず、長期にわたって外に出かけて、面と向かって真相を伝えることを堅持しました。年配の同修も困難を克服し、冬の滑りやすい道で転倒することを恐れる心(訳注:冬の滑りやすい道で転倒する可能性を恐れて外出することをためらう心理的障害)を克服しました。
80代の同修が、集団学法の前に病業の仮相が現れました。自分(訳注:80代の同修)の正念が足りなかったため、家族に説得されて、病院で小さな手術を受けました。同修たちは、その同修を責めたり、文句を言ったりせず、正念を発し、法について切磋琢磨し、年配の同修(訳注:80代の同修)の正念を高めました。同修はこの教訓を受け入れ、それ以来、修煉において勇猛に精進しました。その同修はとても真面目に法を暗唱しました。集団学法の前には必ず予習をし、学法が終わったら家で復習しました。現在、その同修は身体が軽く健康になり、大法の超常さを体現しました。家族や周囲の人々は、大法の威力に感銘を受けました。同修は、法輪大法の病気治療と健康保持の効果を実証しました。皆は、このようにお互いに助け合い、励まし合いながら、師父が按排してくださった法を正す修煉の道を歩んでいます。
私の地域では、法の暗唱が一般的な学法の形態になっています。私が接する同修の中では、ほとんどの人が法を暗唱しています。実は、毎年「4.25」「7.20」の頃に、私の地域では大規模な連行事件が起きていました。法を深く学ぶようになったため、このようなこと(訳注:連行事件)が起こることが少なくなってきました。同修の中で、大げんかをするような現象も減り、問題に直面しても自分の不足を探すようになりました。
20年以上の修煉の過程で、私は多くのことを経験し、多くのことを得ました。青年から中年に至るまで、私は歳月の積み重ねを経験しました。未熟さから成熟へ、浮き足立った状態から落ち着いた状態へと大法に対する感覚的な認識から、今では理性的な明晰さへと昇華しました。師父に対する常人的な感謝の気持ちから、師父と大法に対する金剛不動の正しい信念へと昇華しました。
師父が私たちのためにどれだけの心血を費やしてくださったのか、迷いの中で修煉している私にはまだ知ることができません。私はこのことを思うたびに、限りない感謝の涙が泉のように流れ落ちます。この混沌とした乱れた世の中において、私はただ、大法と同化した一つの粒子となり、師父に従って、未来の無限にある美しい新宇宙へと入ることを願っています。
ありがとうございます、師父!
ありがとうございます、同修のみなさん!
(責任編集者:伊文)