「4.25」とは何か?
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 【明慧日本2024年4月19日】「4.25」とは、1999年4月25日に中国で行われた平和的な陳情である。天津市で法輪功学習者(以下、学習者)が不当に逮捕される事件が起きており、その釈放を求めて平和的な陳情が行われた。参加者は1万人とされるが、1万人をはるかに超えて集まったと証言する目撃者もいる(3万人との推定もある)。警察の指揮の下、陳情者は静かに秩序正しく列を作り、中央信訪局(陳情局)の玄関からかなり遠くまで並んでいた。この陳情は実際の参加人数に関わらず、中国の歴史上、記念すべき出来事である。というのも、中国で道徳が崩壊する流れに逆行し、以下の通り、高い素養を示した陳情だったからだ。

 一、合法的で道徳に基づいた陳情

 1.合法的な陳情

 中国では古来から、制度として合法的に陳情が行われてきた。魏晋時代(訳注1)以降、歴代の中央政府から各地方政府まで「登聞鼓(訳注2)」を設置し、民衆から冤罪の訴えを受け付けていた。専門の機関や人員が配置され、登聞鼓が鳴った場合は直ちに受理または上級機関に報告する必要があった。中国における陳情とは、中国共産党(以下、中共)の公式な定義によると、中国の個人・法人その他の組織が、文書や電話、面談などの形式で、各レベルの政府または県級以上の政府機関に冤罪や民意、官公庁(警察)の不備等について提案、意見、苦情等を申し立てることである。

 「4.25」に参加したのは、すべて中国の個人であった。地方の陳情受付事務所が解決できないとした問題を中央の陳情受付事務所に訴えたもので、合法的なものである。だからこそ、当時の首相や陳情受付事務所の幹部も陳情者に代表の選出を要請し、その代表と中央陳情受付事務所で対面して訴えを聞くことに同意したのである。

 2.穏やかで秩序ある陳情

 現代の中国では過度な競争や利己的な言動が見られ、他人を傷つけたり、命を奪うことさえもある。国中が貧困を笑い、善悪の基準が逆転している。中国国外の「共産党愛国主義者」も、世界中で醜態な言動を繰り返している。

 しかし25年前の「4.25」に参加した陳情者の言動は、穏やかで自律的だった。迷惑をかけないように心がけ、公共の場の清潔さと秩序を守っていた。これは文化的で高い素養を示す行動で、警察を驚かせた。警察は、陳情者に「お前は人民ではない!」と怒鳴ったり、暴力的に扱うこともなかった。

 3.基本的人権に即した陳情内容

 「4.25」の陳情内容は、具体的に三つである。一つ目は、天津で機動隊に拘束された40人以上の学習者の釈放で、二つ目は法輪功の学習を許可することだった(具体的には例えば、根拠のない罪状を捏造して投獄することなどはしない、学習者が屋外で煉功する際に高音スピーカーや高圧水鉄砲で妨害しない、修煉場所を学習者が利用できないようにしない等)。そして三つ目は、『轉法輪』などの法輪功の書籍の出版許可であった。

 それまでの2~3年の間、法輪功に対しては半ば公然にそうした弾圧があったために陳情されたもので、それは憲法や基本的人権(人身の自由、信仰の自由、言論の自由、教育を受ける権利、平等や差別禁止等)を尊重する国であれば、合理的かつ合法的なものである。

 正常な社会においては、政府はこうした合理的な要求に対して適切な対応をするだけでなく、その後も検討や改善を図るものと考えられる。当時の中国の総理は、確かにこの三つの陳情に前向きな対応を示した。しかしその後、当時の中国共産党総書記であった江沢民は激怒し、政治局(訳注:中国共産党中央委員会の下に置かれている党の最高意思決定機関の一つ)を怒鳴りつけたという。そして、政治局の他のメンバーが全員反対していたにも関わらず「610弁公室」を設立し、「7.20」に法輪功への迫害を公に開始した。それ以来、学習者と、学習者を支持し支援する善良な人々は、公に政治的な人権上の災難に直面した。江沢民と意見を異にする者は、すべての基本的人権を奪われた。そして学習者に対して「名誉を毀損し、経済的に破綻させ、肉体的に消滅させる」という迫害方針が実行された。

 二、道徳の崩壊に逆行した模範的な陳情

 中国と海外の中華圏では、根拠なく「伝統文化」に拒絶感や反感を持つ人が多い。例えば「家父長制」の伝統的な体制を「封建時代の無価値なもの」と考えている。しかしこれは必ずしも「家父長制」が悪いわけではなく、中共が「親よりも党が大切」「党の利益がすべてに優先」「中共は命の恩人」「党があなたを養っている」「すべて党の指示に従え」等と党の権威を絶対化し、こうした誤った考え方を人々に受け入れさせてきたためである。そして「世界中のカラスは全て黒い」つまり、世界中の国はどこも同じだと教え込んでいる。これは、中国の伝統文化とは全く異なる。中共は100年かけて、中国の道徳文明を破壊してきた。

 一方、中国の伝統文化では人間性を重んじ、人間が遵守すべき道徳規範を重視してきた。米国の民主主義と自由が、市民のコンプライアンス意識に基づいてこそ健全に機能し、良い影響を与えることができるように、中国の伝統文化も個人の道徳をなくてはならない基盤としていた。しかし中共統治下の中国では、いわゆる「共産党愛国主義者」と呼ばれる人々が、幼い頃から中共によって普遍的な価値観とはかけ離れた思想を植え付けられてきた。多くの対立や欺瞞、不公平が存在するその不道徳な環境は、こうした中共統治による産物である。善い人として生きることが困難で、一見すると悪人になる方が労力も少なく、短期間で大きな利益を得られるように見える社会環境が作り出された。

 以下のようにも言われる。

 知識がなく道理を知らず 恥知らずで良心も持ち合わせていない

 互いに陥れ合い 傷つけ合い 害し合う

 他人が災難に遭うと あなたは喜ぶ

 冤罪が連鎖し あなたもひどい目にあう

 歴史を振り返ると、現代中国には二つの道徳観の崩壊があった。

 一つ目は、1989年の「六・四事件」(訳注:天安門事件)である。この事件は中国の知識人を深い絶望感に陥れ、国家の知識階層が持つべき社会的責任を放棄させた。

 二つ目は、1999年の「7.20」である。善良や正義を追求する活動に対する打撃となり、生き延びようとする多くの中国人が恐怖に陥り、真理や真相への追及を諦め、流れに身を任せ、ただ利益の追求を選ぶようになった。

 しかし25年前の「4.25」では道徳的な勇気が示され、道徳的信念の実践、破滅を阻止する模範となった。

 三、その後

 1980年代〜2000年代生まれの人々は、幼少期から中共に偽りの情報しか与えられなかった。そのため、インターネット等で真実の情報を見ても真実と判別することが難しい。中共は時代の流れに適応し、「百度」「ウィーチャット」「抖音(訳注:中国版TikTok)」などの様々なツールを使って「ニラ」(訳注:搾取され続けても文句を言わない人々)「社畜」(訳注:長時間労働に耐えながら会社のために尽くす人々)「ネジ」(訳注:大きな組織の中で個性を失い画一化された人々)といった人々を中共の支配するインターネット空間の中に束ねている。そしてリアルタイムで監視し、洗脳している。しかし、3年間の新型コロナウィルスを経て目覚めが始まり、反共産主義者となった人々もいる。一方で中共によるインターネットの検閲を突破して真の外の世界、普通の生活とはどんなものなのか、未だ知っている中国国民は限られている。「4.25」は道徳的に模範となる陳情であったが、残念ながら中国社会の道徳の崩壊を阻止するまでには至っていない。

(訳注1)魏王朝(220年 - 265年)と晋王朝(265年 - 420年)を合わせた時代

(訳注2)朝堂(皇帝の執務室)の外に設置された大きな太鼓で、冤罪を訴えるために、民衆が直接叩いて役人に訴え出る手段として使われた

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/4/6/474934.html)
 
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