傲慢さをなくし、精進を保つ
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 【明慧日本2024年4月19日】

 師父、こんにちは。

 同修の皆さん、こんにちは。

 私は飛天大学ミッドタウンキャンパスの中国古典舞踊学部の1年生です。今日は、いくつかの基本的な執着心を発見し、それを克服した経験をみなさんと分かち合いたいと思います。

 傲慢さを取り除く

 おそらく今年発見した最大の執着は、すなわち自分が他人より優れていると思い込む心です。以前、自分にこの心があるとは思いませんでした。なぜなら、自分は常に謙虚に振る舞い、自制心を持つように努めていたからです。しかし、今年の新唐人舞踊コンテストに参加した後、これは真剣に解決しなければならない問題だと気づきました。私は子供の頃から、「優れていました」。認められたいという欲心から、いつもルールを守り、「いい子」でいようとしました。そして、褒められると誇りに思うのですが、他人が自分より優れていると、嫉妬したり怒ったりしました。そのせいで、常に人に注目されたい観念を形成しました。

 ミッドタウンに来て古典舞踊を習い始めると、競争意識と傲慢さがさらに強くなりました。 最初は純粋に上達したいというモチベーションが、徐々に、優位に立ちたいという欲望に変わました。そして、他のダンサーと一緒に練習したり、他のダンサーを助けたりすることはなく、むしろ他人を批判し、自分のことだけに集中しました。今思えば、私が行うすべての動機は自己を顕示し、他の誰よりも優れているという印象を与えるためでした。

 師父は次のように説かれました。「修煉者として、常人の中で遭遇した一切の苦悩は、みな関を乗り越えることであり、遭遇した一切の褒めたたえは、みな試練なのです。」(『精進要旨』「修める者はおのずとその中にいる」)

 修煉者として、自分の心性を高め、返本帰真し、やらないといけないことをしっかりと行うべきです。自分を顕示することや、自分の成果を強調することに執着すべきではありません。うまくいってもいかなくても、動揺する必要もなく、自分が修煉者であることを忘れてはなりません。神韻のダンサーたちの記事やインタビューを読むと、彼らは常に無私とチームワークを強調しています。衆生を救い済度する公演を成功させるためには、ダンサー一人ひとりが互いに助け合い、自分だけを考える人はいません。特に覚えているのは、首席ダンサーはとても謙虚だという記事です。謙虚さがあれば、人は常に進歩しようとする動機が生まれ、同時に傲慢と臆病の間の中道を知ることができます。

 師父は、「この方面において能力のある人がおり、あの方面において能力のある人がいますが、これでうぬぼれてはいけません。私にこれほどの腕があるなど云々しますが、それは法があなたに与えた能力です! あなたはそれほどの能力に到達しなければならないのです。法を正すことはあなたの智慧がそこまで達することを必要としているため、自分がいかに有能かと思わないでください」と説かれました。 (『二〇〇三年元宵節での説法』)

 私が修煉、舞踊、学業で得た成果は、すべて師父が与えてくださったものです。この数年間、上達するために多くの努力をしてきましたが、実際には師父が今のすべてを与えてくださったのです。私の周りのみんなも、絶えず努力して向上し、私と同じ目標を実現しようとしています。私に傲慢になる理由がどこにあるでしょうか?

 このように考え始めてから、中国古典舞踊の授業では平常心を保ちやすくなったし、他の授業でも集中しやすくなりました。また、法を学び、功を煉り、正念を発する際にも集中力を保つことができました。私は自分の成果を考えないようになり、他人からどう思われるかもあまり気にしなくなり、純粋に他人を助けることができるようになりました。そして、自分の踊りが多くの面で不足していることにも気づきました。以前の傲慢な状態が私を欺き、鏡の中で完璧な自分を見せてくれました。

 それから、(鏡に映る)自分の舞踊を見るたびに、自分にはまだ改善すべき点がたくさんあることに気づきました。私は今もこれらの問題で苦労していますが、今は何をするにしても、その背後に不純な動機があってはならないとわかっています。必要なときに一歩引くことができ、純粋に向上するために向上します。心がこのような状態であってこそ、最高の結果を得ることができると思います。

 大学に入ってからも精進し続ける

 私は2023年に北方芸術学院を卒業しました。5年間毎日同じリズムと習慣で生活してきて、すでにこの環境と生活様式に慣れていました。毎日決まった時間に煉功し、法を学び、他の人と交流するなど、北方芸術学院にいる間私がますます精進し、自分の修煉が真剣に取り組んでいると感じました。

 しかし、大学に入った当初、突然下り坂を走るように、朝起きて煉功することも難しくなりました。なぜなら、私は睡眠が必要だと感じていたからです。私はよく自分に「この後煉功する」と言い聞かせていましたが、結局夜になってもできなかった日も多かったのです。その上、授業が忙しくて、法を学ぶ時間が取れず、時間が取れても集中して心を込めて学法することもできませんでした。一言にまとめると、私はますます怠けるようになって、修煉を形式的なものにしてしまいました。

 私は自分に「修煉状態がなぜ急に変わったのか? なぜ高校時代のように精進できないのか?」と問いかけると、その瞬間に分かりました。私は高校で大法クラブの責任者を務めていたため、集団の学法と煉功に参加する義務があり、自分を常に向上させる義務もありました。私の友人と舞踊を学ぶ仲間の多くも、修煉をとても重視していました。みな神韻に入るために精進しています。その時、外的な要因が私に精進するように促していました。これに対して、大学の生活では、自分で決断、自己制御を学ぶことが求められます。外的な要因がなくなったから、緩んでしまいました。言い換えれば、私は本当に心を込めて修煉していませんでした。

 しかし、この問題に気づいたとしても、私はまた忙しいとか、舞踊の練習があるとか、ボランティアをしているなどを理由にして、改善されない状態を正当化し、他人からの批判を恐れて、この問題を隠していました。

 第一学期、ルームメイトはしばしば私に「煉功の回数が足りない、早起きして少なくとも1時間の煉功をこなすように」と促してくれましたが、私のスケジュールを知らず、私に指示する権利もないと思い、嫌がっていました。しかし、私はすぐにこれは師父が私に怠惰を取り除くよう促しておられると悟りました。それに、単に煉功の回数を増やすことだけでなく、修煉のあらゆる面で真剣に取り組むべきという戒めでもあると思いました。

 私は、以前の精進状態に戻ろうとしました。毎日少なくとも、学法、煉功、発正念をできるようにすべきだと思いました。しかし、状態が良い時も悪い時もありました。冬休みに、私は内に向けて探し、問題の根源を探ることにしました。ある日、『轉法輪』を読み、次の一節に深く心を打たれました。

「たとえ弟子入りの儀式をやっても、あなたがここから離れればまた元の木阿弥になり、常人の中で相も変わらぬ行動をし、名利のために争ったり、闘ったりしたのでは、何の意味があるでしょうか?」(『轉法輪』)

 私の行動は師父が言われた状況とよく似ていると気づきました。私は皆と一緒に法を学んだ後、何を読んだのか覚えていませんでした。これでは、学法を形式として捉え、ただ読むだけで、法が頭に入っていません。法に対する理解が浅いため、旧勢力がそれを口実にして私に怠けさせ、不必要なことを考えさせていました。

 なぜなら、法を読むことと、読んだすべてを本当に理解し、それを受け入れ、自分の生活に生かすこととまったく違います。また、音楽に従って煉功することも、集中して正念を持って煉功することとも全く違うのです。

 休みから戻ってきたとき、私は自分に「法を学んでいる間に読んだ内容は、テーマが何であれ、すべて師父の法であり、必ず役に立つ。これからは、読んだ内容を正確に理解し、一言一句をはっきりと理解しなければならない」と言いました。その後の数カ月で、態度を正したことは非常に効果的でした。

 例えば、『轉法輪』には、私が以前あまり理解していなかった章がたくさんありました。特に第五講と第八講は、自分の修煉とどのような関係があるのか分からなかったため、これらの章を読むときはいつも頭が真っ白でした。しかし、春休みの間、毎日少人数で『轉法輪』を二講読むことで、もう戸惑うことなく、自分の修煉とどの関連あるのかを理解できるようになりました。

 真に法を学ぶことで、私は師父と法をより信じるようになりました。自分の使命がより明確になり、正法時期の大法弟子としての意味をより深く認識できるようになり、一層精進することができました。このような機会を与えてくださった師父に感謝いたします。

 結論

 私の理解では、大学は子供から大人への移行期であり、本当の自分を発見し、自分を再構築する時期です。この一年の経験で、私を今まで以上に精進し、大きな一歩を踏み出すことができました。今、私は飛天大学ミッドタウン分校に通っていますが、ここは大法をさらに固く信じる場所になると思います。ここに来ることを許可してくださった師父に心から感謝いたします。修煉の道において、ここで同修からの絶え間ないサポートを受けることでしょう。

 私の理解は限られています。大法に合わない部分があれば、慈悲深く指摘してください。

 師父、ありがとうございます!

 同修のみなさん、ありがとうございます!

  (飛天大学ミッドタウンキャンパス2024年法輪大法修煉交流会での交流文)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/4/10/475046.html)
 
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