文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年5月7日】私はかつて16年間、佛教を信仰していました。13年間精進料理を食べ、経典の制作に寄付し、放生していました。しかし2019年、海外のSNSで、ある法輪功学習者(以下、学習者)と知り合い、彼の助けを借りて『轉法輪』を読み始めました。そして2022年の初め、私は修煉を始め、妻と共に師父を手伝って法を正す道を歩むようになりました。
第25回世界法輪大法デーを迎えるにあたり、私は自分が佛教から法輪大法の修煉に移った経験を書き出し、人々に法輪大法の素晴らしさを伝え、彼らの生命が法輪大法の救度を得ることができるようにします。
一、金融破綻による魂の目覚め
2018年から、数百社のP2P(訳註:銀行を介さずにインターネットでお金の借り手と貸し手を結びつける金融仲介)の金融仲介業者の破綻が問題となりました。親友は私の推薦を信じて投資したのに、100万元(約2000万円)以上の損失を出しました。私自身も被害を受けましたが、自分の財産が失ったことよりもっと受け入れ難いものでした。
3年間にわたり、損失を被った中国全土の数千万人は、陳情するところもありません。権利保護を訴える合法的な活動は、繰り返し弾圧されました。人々は、これまで中共政府が力を入れて提唱していた「インターネット金融」が、なぜ一夜にして違法な資金集めになったのか理解に苦しんでいました。
(損失で)病気になってもお金がなくて治療できず、子供も育てられず、生活が立ち行かなくなっている多くの人々を見て、私は当時の総理に事態を伝える手紙を書きました。当時の私は、「この件が解決しないのは自治体が悪いだけで、党中央はまだいい」と単純に考え、一縷の望みを託していました。しかし今にして思えば幼稚すぎで、バカバカしいです。
この手紙が届くと信じていました。私と同じく被害を被った南方のある大学の博士課程指導教官の友人には、新華社で働いている学生がいて、国務院に内部資料を送ることができました。学生はその手紙をとても重視し、わざわざ新華社の関係幹部らをレストランで招待しました。しかしその席上、ある幹部が「P2Pについて上からはっきりと指示されている。誰も口にすることができない」と明確に答えました。「上」とは明らかに「党中央委員会」のことで、彼らは見て見ぬふりをしているだけでした。
私は、万策尽きました。金銭の損失や政府への絶望だけでなく、仏や菩薩を求めても、人々の災いは解けないからです。何千万人もの人が毎日苦しみながら生きていますが、これはなんと大きな業力で、どんなに大きな災いを招くでしょう! 私はかつてない無力感と恐怖を感じました。中国共産党(以下、中共)政府がもたらしたこのような大きな人道上の災難に対し、私は訴えるところもありませんし、天にも助けられません。私は初めて、自分の信仰に疑いを抱きました。
あちこち陳情しても成果が得られない暗闇の中で、私は一筋の光を見出しました。中国国内のすべてのメディアが中共に支配され、この金融破綻を報道する勇気すらない中で、私は偶然にも大紀元の記者と接触し、取材を受けました。初めて声を上げたのが学習者の立ち上げたメディアとは思いも寄りませんでした。以来、私は中共のネット封鎖を突破して、法輪功のことを知るようになりました。そして中共のメディアが宣伝した「1万人の学習者が中南海を包囲した」というのは、実は学習者が信仰の自由を守るために行った4.25の平和的陳情だと知りました。また、いわゆる「天安門焼身自殺事件」は、なんとすべて中共がでっち上げた噓偽りの宣伝だと分かりました。
その瞬間、私の世界観や人生観、価値観は完全に覆され、自分が悪魔に支配された世界に住んでいることに気づきました。ネット封鎖の突破のおかげで、他にも、建国後には8000万人の中国人が異常な死を遂げたことや、貴州省の「蔵字石」の奇跡的な再現、『推背図』や『馬前課』など中国の古い予言の中に、中共の解体と滅亡が予言されていたことも知りました。また佛教の経典に出てくる優曇華の花が、今や世界中で咲いていて、それは大覚者が現れたしるしだと分かりました。私は家の仏像の前にひざまずき、聖縁に巡り合うように願いました。
そして2019年、私は海外のソーシャルアプリで一人の学習者と知り合いました。彼の助けを借りて、『轉法輪』を読み始めました。しかし、私は16年間信仰してきた佛教が放棄できず、法輪大法を修煉する決心がつきませんでした。
しかしその縁で、私は多くの学習者と接する機会ができました。そして彼らがとても善良であることを見てきました。私の学法を助けるために、危険を冒して大法の本を送ってくれる同修もいれば、私の生活がとても困窮し、家のインターネットが切れそうになったのを見て、料金を払ってくれる同修もいました。さらに私を感動させたのは、私が金融破綻で経済的に困っていても老いた母の面倒を見なければならないことを知り、一度も会ったことのない同修が5000元(約10万円)を送金してたのです。そのおかげで、私はなんとか困難を乗り超えることができました。16年間にわたって佛教を信仰するコミュニティに属してきましたが、ここまでしてくれた人はいませんでした。大法の修煉者こそ、本当に善を修めており、この悪の世における真の修煉者だと分かりました。
学習者たちは、何度も何度も私に献身的な援助をしてくれました。私は法輪大法の素晴らしさを感じ、ついに自分も修煉しようと決意しました。金融破綻の被害を受けた私は、結婚できるとは思えませんでした。今の社会で、家も車も貯金もないことを受け入れることができる女性がいるのでしょうか? しかし、私は縁に恵まれ、同修の女性と知り合い、結婚しました。彼女は背が高く、きれいで、自分で会社を設立して収入も多いので、彼女を追い求める異性が少なくありませんでしたが、妻は私の品格を重視して私を選びました。
大法が私に善良で美しく、気の合うパートナーをくださいました。2022年の初め、私たちはめでたく結婚しました。それ以来、私たち夫婦は修煉の道で助け合い、共に精進し、師父を手伝って法を正す道を歩んできました。
二、留置場でも人々を救うことを忘れず
(一)警察官に大法の素晴らしさを伝える
私が結婚して3カ月が過ぎた頃、大法の資料を配った帰りに、私と妻が地元の派出所の警察官に連行されました。警察官の不当な尋問に対して、私は恐れずに大法の良さを伝えました。「私は数千万人の金融破綻の被害者と同じく、政府の宣伝を信じてP2Pに投資しましたが、結局元金もなくなりました。陳情するところもありません。しかし法輪功のメディアだけが真実を報道してくれました」と語り、最後に私は「法輪功以外に誰を信じられるか分かりません」ときっぱり言いました。
私を担当する警官はモンゴル族でした。病院での健康診断の合間に、私は彼に「中共はバイリンガル教育を強要し、モンゴル族の言語文化を破壊しようとしています」と話しました。センシティブな内容なので、彼はこの話題を避けました。彼が恐れているのを知って「自治区主席である布小林さんは気骨のある女性ですね。官職を失っても、自分の同胞を弾圧することはしませんでした」と続けました。この言葉は明らかに彼の痛いところを突いていました。前内モンゴル自治区主席の布小林氏は、中共が「バイリンガル教育」を押し付けたために大きな圧力をかけられており、自治区人民代表大会の会場で報告している最中にその場で倒れ、その後退任しました。
このモンゴル族の警官は、私に「人は歴史をたくさん学ばなければならない。とても有益だから」と意味深く言いました。私は彼がすでに中共の暴政が滅びる道理を理解していることを知っていました。そこで彼に「分かってもらえたら、私もここに入ったかいがありました」と言いました。その夜、彼は規定に従って私に手錠をかけながら、小声で「仕事だから、仕方がない」と言いました。私は、彼が心の中で大法の真実を受け入れたと分かったので、彼を憎みませんでした。
私を留置場に送る途中、私は車内の6、7人の警官に大法のことと、旧東ドイツの政治警察がベルリンの壁崩壊後、職を失い重労働を強いられていることを伝えました。私は「皆さんは必ず自分のために逃げ道を残さなければなりません。その方法は、大法の資料に書かれたように、中共の各組織から脱退するという三退をするのです。将来、大疫病が来た時、『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』を唱えることで、災難を避けることができます」と伝えました。警官は全員、黙って聞いていました。実は彼らは真・善・忍を信仰する善人を迫害して、心細い思いをしているのです。
私が留置場に送られたのは、深夜12時でした。それから、1年以上の牢獄の生活を強いられました。
(二)どこでも堂々としている
留置場に入れられた3日目に、隣の部屋に1人のホームレスが入ってきました。他の人が電気自動車のバッテリーを盗んで、彼にそれを売らせたため捕まってしまいました。彼は入ってきてずっと無罪だと訴えていました。ここに来る人は皆当直をしなければならないのですが、彼は当直を断って、毎日怒鳴り散らしていました。ある日、隊長がトランシーバーで人を罵っていましたが、彼は自分を罵っていると思って、声を張り上げて隊長と喧嘩しました。
すると4、5人の警官がやって来て、隣の部屋で彼をひどく殴り、ベルトでひっぱたく音と、体が鉄の扉に叩きつけられる音が監区全体に響きました。しかし、彼は暴行を受けながらも中共を罵り続けました。
私の心は突然明るくなりました。「これは師父が私を悟らせてくださっているのだ! 一人のホームレスでさえ邪悪な力に屈服しない。私は大法を伝え、人々を救おうとしている。私に罪はない。それに私は修煉者だ。生死をすべて放下すべきで、まして殴られたり足枷をはめられたりすることを恐れるものか!」と覚悟しました
同じ監房にいた50歳代のGさんは、かつて30年近く服役したことがあり、今回は自動車用三元触媒コンバーターの不正な買い集めで捕まりました。4回目に入った彼は、過去に世間を騒がせたことを自慢話のように言い、まるで監房のボスのように振る舞っていました。
ある日、Gさんは何がいけなかったのか、突然私に「君がまた煉功をすれば、わしは隊長に報告するからね」とつっかかってきました。私はすぐに凛とした態度で「好きなようにやれ!」と大声で彼に言いました。同じ監房の9人全員が聞いていました。大法弟子として、どこでも堂々としていなければならないと思っていました。するとGさんは、意外にも聞こえなかったかのように、ニヤニヤしながら誰かに話しかけました。
自由な時間になり、私はいつも通りに煉功しましたが、Gさんは報告せずにトランプで遊んでいました。それから私が解放されるまで、受刑者は誰も私の煉功を止めませんでした。
(つづく)