文/河北省の法輪功学習者が口述、同修が編集
【明慧日本2024年5月26日】
偉大で慈悲深い師父、こんにちは。
同修のみなさん、こんにちは。
私は、2000年に法輪功を学び始めました。修煉を始める前は、いわゆる「ヤクザのボス」でした。喧嘩や暴力で名を馳せ、自分の利益のためならどんな手段も使っていましたが、それが原因で多くの恨みを買っていました。後に、冤罪で逮捕され、最終的に懲役18年の刑を宣告されました。控訴中も、拘置所で他の囚人に手を出したり、指導に従わなかったりして、警察も私を手に負えなくて、私は拘置所内でも「ボス」になりました。
1、拘置所で5式の功法を学んだ
1999年7.20、中国で世界を震撼させる程の出来事が起こりました。中国共産党が法輪大法に対する迫害を開始し、メディアを通じて虚偽の情報を広め、拘置所の中も共産党の政治運動のやり方を行って、囚人まで法輪功を批判するよう強制されました。不思議なことに、私が発言する順番が来ると、前もって考えていたことが言えなくなり、頭がぼんやりとして、胸が苦しくなりました。修煉した後に理解したのですが、その時には既に、師父が私を見守ってくださっていたのです。
その後、法輪功学習者・Aさん(以下、学習者)は、不当に私がいる拘置所に入れられて、私は彼に法輪功について質問しましたが、彼は微笑みながら「あなたには修煉は無理だ」と言いました。「なぜ無理なのか?」と尋ねると、彼はただ微笑んでいました。私の足に嵌められた鉄の足かせと長いひげを見て、怖いと思っていたかもしれません。
数日後、別の学習者・Bさんも入りました。私が「どんな罪を犯したのか?」と尋ねると、「政府の誤りだ」と彼は答えました。その後、Bさんが毎日床を拭いているのを見て、担当の囚人に「なぜ毎日彼だけが床を拭いているの?」と尋ねると、担当者は「彼がやりたがっているからだ」と答えました。私は「どうしてあなたはやりたがらないの?」と怒って言ったので、担当者は恐れて、すぐに他の人と交代しました。
2000年3月21日、また学習者・Cさんが入りました。彼が私に法輪大法を伝えた人です。彼が来た時、すでに3日間食べていなかったのですが、ずっと笑顔でいました。新しく来た人を虐めるのは拘置所の暗黙のルールなので、他の囚人は、Cさんの頭に冷水を50回かけようとしました。その時、私はすでに法輪大法に好意を持っていたので、囚人らを止めました。そして、Cさんと多く話をして、彼は法輪大法の素晴らしさとその真相を教えてくれました。その誠実な態度に心を打たれ、私も5式の功法を習いました。とても良い感じがして、Cさんが言ったこととほぼ同じでした。
2、「やはり『轉法輪』の本が必要だ」
それから、Cさんは「やはり『轉法輪』の本が必要だ」と言いました。私に『轉法輪』を読んでほしいからです。その一念があったため、数日後に彼は出所しました。翌日、当番の警官が「Cがあなたとの面会を申し込んだが、私に追い返された」と教えてくれました。Cさんは、きっと『轉法輪』を持ってきてくれたに違いないと思い、残念に思いました。
数日後、家族との面会時に、1人の男性が入ってきました。その瞬間、その人がきっと『轉法輪』を持ってきてくれたと直感しました。彼は私を見つめて、私も彼を見つめて、彼が近づいてきて「Cさんを知っているのか?」と尋ねたので、私が「はい」と答えると、彼は『轉法輪』を取り出しました。そうして、私は貴重な『轉法輪』を手に入れました。しかし、いっきに最後まで読み終えるのではなく、途中でやめて、1カ月以上放置してしまいました。後になって、最初に読む時には何が起こっても絶対に放置してはいけない、そうしないと再び読むのが難しくなるということを知りました。
その後、もう1人の大法弟子Dさんが拘置所に入りました。『轉法輪』を見せたら「どうやって手に入れたのか?」とDさんは驚きを隠せませんでした。Dさんに本を貸すと、Dは手放そうとしませんでした。この本には自分がまだ読んでいない何かがあると思い「あなたは長い間これを読んでいるから、今度は私にも読ませてよ」と頼みました。Dさんは本を返して「あなたが読まない時に貸してくださいね」と言いました。
『轉法輪』を再び手に取ると、もう手放せなくなりました。師父の言葉一つ一つが心に響き、私に返本帰真の道を示しました。涙が溢れました。師父よ、私に大法を得させるために、こんなに多くの段取りを取ってくださったのですか……
3、「あなたみたいな人が法輪功を修煉すれば、中国の治安はきっと良くなる」
法を得てから、毎日『轉法輪』を読んでいました。監房を管理する警官が「何を読んでいるのか?」と尋ねた時、私は『轉法輪』だと答えました。彼は「あなたみたいな人が法輪功を修煉すれば、中国の治安はきっと良くなる」と馬鹿にしましたが、私は気にせず、毎日、学法と煉功を続けました。
3カ月後、トイレに行った時、真っ黒な血がたくさん出てきて、その後はお腹が空っぽになり、とても楽になりました。Dさんに話すと「師父が体を浄化してくださっているんだよ、良い兆候だ」と言われました。師父が本の中で語られた、修煉者の体を浄化する現象が私にも起こりました。興奮と喜びの中で、真剣に修煉し、最後まで続けると自分に誓いました。それからは、日常生活を他の囚人に世話をしてもらう「特権」を自ら止めて、自分のことは自分で行い、常に大法の「真・善・忍」の基準で自律しました。
ある日、所長と警官らが監房に来て、私が地面に座っていて、横に唐辛子が入った箱が置かれているのを見て「そこに座って何をしているんだ?」と聞きました。私は「仕事をしているんだ」と答えました。彼らはそれを聞いて大笑いし「本当に仕事をするのか?」と言いました。以前は、私は仕事などしなかったのです。修煉をすると、心性の関に遭うものです。ある日、私が立っていると、若い囚人が私に向かって「そこで何をしてるんだ? 早く仕事をしろ」と罵りながら言いました。私は微笑み返し、何も言いませんでした。以前だったら、すぐに彼を罵ったり、殴ったりしていたでしょう。私が誰であるかを知っている囚人らは慌てて彼を連れ去り、私のことを教えたら、彼はとても怖がりました。
4、「十八ちゃん」は獄中の同修と一丸になる
私の特別な立場(元ヤクザのボス)のおかげで、拘置所では比較的に自由に過ごせました。外の同修から法輪功の資料を手に入れたら、拘置所の中にいる同修たちに広めました。私たちは一丸となって迫害に立ち向かい、同修を守りました。女性の監房に師父の新経文を渡した時、ある女性同修が「十八ちゃん(私が18年の刑を受けたことから、同修たちは私をそう呼んだ)、新経文はまだあるのか」と尋ねました。彼女の純粋な心から、同修の間の絆と信頼を感じましたので、私は新経文をもう2冊彼女たちに渡しました。彼女たちはとても喜びました。
当時、多くの監房で法輪功学習者が不当に拘束されていました。私は他の監房の囚人たちに「法輪功学習者を迫害してはいけない。彼らが学法と煉功することを邪魔してはいけない」と伝えました。私は自分にできる限りで同修を守って、自分自身も毎日、学法、『轉法輪』の暗記、煉功を続けていました。それは、後に迫害に立ち向かって真相を伝えることの強固な基盤となりました。
私が法輪功の修煉をしているのを見て、警官は私を迫害の対象にし、私を別の拘置所に移しました。そこでも、私は学法と煉功を続けました。ある日、警官らは私の両手を後ろに回して手錠をかけ、24時間その状態にしました。手錠は筋肉に食い込み、長時間経過すると両腕に永久障害を残すほどの残酷な刑です。数時間経った時、私はもう大変な苦痛を感じました。そこで『精進要旨』の中の「真修」や「大覚は苦を畏れず 意志は金剛より鋳られる 生死に執着無く 坦坦たり正法の路」(『洪吟二』「正念正行」)を何度も心の中で唱えました。師父のご加護の下、その試練を乗り越えました。
迫害に反対するため私は断食抗議をして、9日間何も食べませんでした。病院に運ばれた時、私の肌はもう蝋のような黄色になっていました。医者が警察に「こんなに長い間放っておいてどうするの? 次は、こんなに長く食べていない人をうちに送るな」と言っているのを聞きました。彼らは私の胃にチューブを入れる方法で強制的に食事を注入しようとしたので、私は抵抗して成功させませんでした。最終的に警官は手を尽くしたあげく「ヤクザかと思ったら、法輪功かよ。早く連れて行け、ここにはもう来るな」と言いました。そして、私は元の拘置所に戻されました。
元の拘置所に戻ると、ある残酷な警官・Eが来ました。Eは私に目をつけ「もう煉功をやめなさい。さもなければ、あなたも死人ベッドに縛りつけるぞ」と脅しました。私はその時、まだ法理に対する理解が浅くて、強気に出て「縛ってみな。でも、後悔しないように」と答えました。常人の考えで応じた私は、邪悪に隙を見せてしまいました。
Eは、地元出身の囚人が私を怖がっていることを知っていたので、地方出身の囚人数人を使って、私を「死人ベッド」に縛り付けました。「死人床」とは、両手に手錠をかけ、両足に鉄の足かせをつけて、体を「大」の字にしてバッドに固定し、身動きが取れないようにする拷問方法です。その状態では、体を動かすことも、排泄をすることもできず、非常に苦痛でした。断食6日目になると、彼らは私の鼻にチューブを入れようとしたので、私はずっと抵抗しました。その時、耳元で「発正念しよう」という声が聞こえました。ぱっと悟りました。その声に従って正念を発すると、目の前で針の先のような小さな物体が落ちていくのを見ました。その後すぐに、私の鼻にチューブを入れることを試みていた医師が「もう限界だ」と言って、慌ててその場を去りました。他の男たちも逃げました。
Eは、私に食事をとるように説得させようと何人もの知り合いを連れてきましたが、私は知り合いたちに「直ちに私を解放し、学法と煉功することを許可する条件で、はじめて食事をする」と言いました。最終的に、Eは私を「死人ベッド」から解放しました。その後、師父のご加護の下で、学法と煉功の環境が少しずつ良くなりました。私は積極的に、出会った人々に(警官を含む)真相を伝えていました。
後に、私は刑務所に移されましたが、そこでも学法と煉功をして真相を伝え続けました。一度、独房に閉じ込められた時、地面に座って発正念をしました。監視カメラでそれを見た警官は、電気棒を持って私に近づいて来ましたが、私は恐れず、強い正念を発しました。その結果、彼が電気棒を私の身体に向けた瞬間、ああと悲鳴を上げて逃げ出しました。それ以降、彼は私を迫害することはありませんでした。
5、私の体には一匹の蟻も寄り付かなかった
私はいつも大法の書籍や電子版の本を持ち歩き、時には複数冊を携えて、出会った同修に渡しています。刑務所では毎日の出勤や退勤の際には必ず検査が行われ、ランダムに人を選んで検査する方式です。検査時には、自分が選ばれないようにと発正念をしました。奇跡的に、10数年の間、彼らは一度も私から大法に関する資料を見つけ出すことができませんでした。選ばれたとしても、何かが起きて検査が中止になったり、検査する警官が突然呼び出されたりして、いつも無事でした。これは、師父に守られているからです。
ある日、警官らが獄中で煉功をした大法弟子・Fさんに対して迫害を行い、彼の足を骨折するまで殴ったので、手術をして足を切断しました。この事件で、獄中の同修たちは大いに悲しみと怒りを覚えて、刑務所を告発するための手紙を次々と書きましたが、私の手紙だけが外に送ることに成功しました。後日、事件のことが明慧ネットに掲載されました。警官らは激怒し、私を木に縛り付け「教訓を与える」と脅しました。昼間は木に、夜は鉄の格子に縛られ、座ることも横になることもできず、一週間以上苦しめられました。しかし、蟻がたくさん這う木に縛られている間も、一匹の蟻も私に近寄りませんでした。
10数年にわたり、師父からのご加護は計り知れないほどあって、それを全て話すには数日かかるでしょう。ここでは詳細には触れませんが、将来、機会があれば、もっと皆さんと共有したいと思います。
6、家族らも大法の良さが分かった
私は刑務所で16年間過ごし(2年減刑された)、そのうちの14年間は修煉していました。その暗闇に包まれる邪悪な場所で、その特殊な環境の中で、大法への揺るぎない信念を持って、師父の慈悲深いご加護の下で真相を伝え、中国共産党の党、団、隊の組織から脱退するよう1000人以上を説得しました。
2014年に刑務所を出た後、家族や友人たちは中共の嘘に惑わされ、私に修煉を止めるように懇願しました。私は法輪功の真相とその素晴らしさを伝え「師父のご加護がなければ今日の私もいない。16年間、病気一つせず、薬も飲んでいない。まるで生まれ変わったように悪を捨てて善を選んだ」と話しました。
彼らは私の変化を見て、以前よりも男前になって、怖い顔が優しさに変わり、肌が滑らかで健康的になり、性格も穏やかになったことに気づきました。法輪功の力に感動し、中には三退する人もいれば、私と一緒に修煉を始める人もいました。
師父のご加護のおかげで私は新たな人生の道を見つけました。16年間の刑務所生活の後、多くの旧友が支援を申し出てくれ、私は自分のビジネスを立ち上げて、彼らにも三退をしてもらいました。今、同修たちと互いに励まし合い支え合い、より一層三つのことに力を入れて努力しています。
(明慧ネット第24回世界法輪大法デーの入選文章)