【慶祝5.13】父の生死の関を共にする (2)
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 【明慧日本2024年6月13日】(前文に続く)

 朝6時に発正念のあと、私は仕事に行きました(ちなみに私は60歳です)。8時に弟の嫁に電話して「お父さんの熱は下がったの? 」と聞き、彼女は「お父さんよくなったよ、起きて座禅できるし、お粥も食べた」と言いました。しかし、1日の高熱の後、父はもはや自分の足で歩くことができず、文字まで見えなくなるとは誰も知りませんでした。トイレに行きたいと言い出すまで、歩けなくなったということがわかりませんでした。父に本を渡し、読むように言ったところ、父は私に「それは何ですか?  」と聞き、その時になって初めて、父の目は「洪吟」という一番大きな文字すら見えていないことがわかったのです。

 父は朝に熱が下がり、家族みんなで喜んでいました。しかし、夕方になるとまた高熱が出て、喉が痛く、痰を吐き出すことができなくて、とても不快だと言い、うめき声を出して苦しんでいました。このように、夜は高熱が出て、後半には下がり、上がったり下がったりを繰り返しです。

 ある日、末の弟の娘が戻ってきました。彼女は父の一番お気に入りの孫娘です。おじいさんの「病」を見ると、「どうしておじいちゃんを病院に連れて行かないの?」と泣きながら私たちを責めました。そこにいたのは私と末の弟だけで、彼女は泣きながら「ほら、40度もあるよ、実際は40度以上あるし、解熱剤を買って飲まさないと! まさかおじいちゃんをこのまま放置するの?」と言いました。

 末の弟は、娘が話せば話すほど興奮し、大声で泣くのを見て、彼女を抱きしめてソファーに座らせ、「病院に行くのを拒んでいるのはおじいちゃんです」と言いました。「おじいちゃんはもう何も知らないの」と彼女聞いて来ました。 弟は「目が覚めた時どうするの? 病院に連れて行かれて、気がついたら点滴の針を自分で抜き、その時針が折れてしまったらどうするの? どうすればいいの? おじいちゃんの性格はとても頑固だし、それに、彼ら(煉功者)は薬を飲まないよ」と話しました。

 弟の娘は信じられない様子で尋ねました。「じゃあ、おじいちゃんは昔から薬を飲んだことがないの?」弟は「煉功する前は薬を飲み、注射もしていたが、煉功を始めてから今までは、何十年も薬を飲まず、注射もせず、病院にも行っていない」と娘に話しました。

 弟は続けて娘に言いました。「叔母(私のこと)は、以前は薬ばかり飲んでいたが、今は元気で、薬も全然飲んでいない」。私は彼女に、「それが私たちの信念です。私たちには、それを信じる権利がある」と言いました。

 弟の娘は、わかったようにうなずいたが、また何もわかっていないかのようです。彼女はまた泣きながら、「それでも、おじいちゃんを救わなきゃいけないの、おじいちゃんを救えるなら、どんな方法を使っても構わないわ」と言いました。

 私は彼女に、「おじいちゃんを救いたいのなら、『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』を唱えることで、おじいちゃんを助けることになる。病院はおじいちゃんを救うことができない、大法師父だけがおじいちゃんを救うことができるよ」と言いました。彼女は理解して、その日以来、毎日父のところに来て付き添い、『洪吟』を一緒に読みました。

 父の病状は日に日に悪化し、全身が痩せ細り、目は深くくぼんでいました。父の従兄弟の叔父さんがやってきて、こんな父の姿を見て、母に「怖くないのですか? ここまで悪化して、どうして病院に連れて行かないの?」と聞き、また一番上の兄の家に行き、父を病院に連れて行くように説得しようとしました。兄は「お父さんは病院には行こうとしないから」と話し、叔父さんは「こんな状態で、放っておいていいのか」と言い、兄は「病院には行かない、父さんは昔から病院に行かなくても治っていました」と言いました。叔父さんは父を病院に連れて行こうと言うのをやめました。

 ある日、兄と私は父と一緒にいて、父はひどく苦しんでいました。もうすぐ父は逝ってしまいそうな様子で、兄は大声で「師父を呼んで、師父を呼んで、早く!」と父に言いました。またある時、私が家にいたとき、兄は「お父さん、ずっと寝ていて、このままではいけない、早く起きて! しっかりした正念をもって!」と父に話しかけました。でも、父は「眠たい、もう疲れた、だめならだめでいい」と言いました。そう言う時、父が生きることを諦めたような気がして、私は胸が苦しくなり、父がこの生死の「劫難」を乗り越えられるどうか、わかりませんでした。

 母はここ数日、泣きながら過ごし、息子を呼ばず、娘の私を呼びに来て、「他県にいる姉を呼んでほしい」と言って、姉を呼びました。父の末期を見届けるようにという意味です。まるで、葬儀の手配をしているみたいでした。

 手が治ったばかりの母と、うめき声を上げ続ける父を見て、私はもうそれ以上法を読めず、本を置いて泣きながらベッドから下りました。この時、長兄が買い出しから帰ってきて、私が泣いているのを見て、近づいて優しく撫でてくれました。そして「大丈夫だよ、泣かないで、こんな状態で、私たちはどうすればよいのか」と言いました。「お父さんがとても苦しんでいるのを見て、また姪っ子の泣き声で、どうしようもなかったの」と私が言うと、意外なことに、長兄は厳しい口調で、「姪っ子の問題ではなく、あなた自身の問題です。師父がいますから、お父さんは大丈夫です。お父さんは関を乗り越えようとしているので、常人のものを持ち込んではいけない」と言いました。

 またある時、私と末の弟が父に付き添い、弟もベッドに座っていて、私は父に法を読み聞かせました。読みながら涙が止まらず、胸が痛みました。暫くして、ふと顔を上げると、弟がとても厳しい顔で、何も言わずに、ただ私を見ていました。なぜか、自分は何か悪いことをした子供のように頭を下げ、師父が私を見ているように感じました。数日間、私は悲しかったです。父娘間の情、生と死、私が情に陥ったため、師父は長兄の口を介して、啓示してくださったことを知っています。父を助けるためには、この常人の情から抜け出さなければならないことはわかっていました。

 ある日、真夜中の2時に自転車で実家に行き、兄は寝ないでとても集中して、父に大法の本を読んで聞かせていました。とても穏やかです。この時、師父の法が頭の中でぐるぐる回り、師父は「わたしに言わせれば、そのような考え方は妄想です。あなたは他人の生活に干渉し、他人の運命を左右することができるはずがありません。妻や子供、親、兄弟などのような家族の人たちの運命も含めて、他人の運命があなたの思い通りになることがありえるでしょうか? 」(『轉法輪』)また、兄が言ったことを思いだしました。「あなた自身の問題です。師父がいますから、お父さんは大丈夫です。お父さんは関を乗り越えようとしている、常人のものを持ち込んではいけない」私は考えを整理し、正念を強化し、父が生死の関を乗り越えるのを父と共にに乗り越えようと決心しました。

 落ち着いてから、私は父に法を読み聞かせ、父が「ああああ」と、うめき声をあげているのを見ても、私はもう動じず、父に言いました。「父さん、その『ああああ』と言うのは良くない、それはあなたではない、それに従わないで、声をださず、私たちは悪いものは要らないのです。父さんは病気ではない、それは虚像です、無視しましょう」。父が目を覚ますと、すぐに発正念をし、「悪いものは一切いらない、師父が定めた道を歩み、それ以外は認めません」と言いました。

 私は末の弟に、父が起き上がるのを手伝ってもらい、寝ないようにしました。弟に父を後ろから抱えてもらい、そして煉功をさせ、学法も一句一句読ませました。ここにいる誰もが、父が助かるとは思っていなかったのです。父は寝たきりで、食事も水を飲むのも、用を足すのもベッドで済ませていました。高熱を出し、またよくなったりの繰り返しで、断続的に高熱が15日間続きました。近隣の何人かがここ数日、「ああ、最近カッコウがずっと鳴いている」と言っていました。もう1人は「私も聞こえたよ」と言いました。カッコウが鳴いているところには、誰かが死んでしまうということです。カッコウが鳴くと不思議なくらい、的中します。近隣たちの話しを聞いても、私は全然動じませんでした。

 その期間中、我が家で皆がよく言う言葉は「師父がいるから大丈夫」です。毎日家で法を読む声が聞こえます。姪っ子は毎日「洪吟」を読みに来ます。私が仕事に行くと、弟の嫁が父に付き添って法を読みました。私の息子と娘がおじいちゃんを見舞いに来るときも法を読み、末の妹が戻ってきても法を読み、一番上の姉が戻ってきても法を読みました。法を読む声が天地を動かし、悪を抑止できました。

 師父の慈悲深い加護のもと、15日目に父の熱は下がりました。彼は一緒に「洪吟」を読み終え、脚を組み座禅することができました。20日後、高熱は完全に治まり、再発しませんでした。兄と弟は父を支え、歩行の練習をさせました。このようにして、父は師と法を信じる正念で、生死の関を乗り越えたのです。

 大法弟子の前では、カッコウの鳴き声が効かなくなりました。家族全員が法輪大法の超常、神聖、素晴らしさを目のあたりにし、同時に、自分の立場を正しました。

 父は以前よりも元気になり、また水を汲みに行ったり、野菜に水をやったりしました。

 父が回復したばかりのとき、ある日私に「まるで夢を見ているようだ。師父は私に、怖がるな、誰かが助けてくれる」と言いました。この出来事から、私は問題を抱える同修が、引っ張ってくれる、目覚めさせてくれる同修を本当に、必要としていることに深く気づきました。師父は互いに助け合うべきだとおっしゃいましたが、これは私が父同修と共に関を乗り越えたときの体験です。

 一番上の弟は「以前は自分の目で見ていなかったので、信じられなかったのですが、今回は自分の目で2つの出来事を見ました。それでも信じないなら、私は愚か者です。私は家を建てましたが、それらのものはもう必要ありません。大法師父に捧げます」と明言しました。真実を理解した家族には明るい未来があります。

 改めて師父の慈悲なる済度に感謝します!

 (明慧ネット第24回世界法輪大法デ-の入選文章)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/5/24/【477618.html)
 
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