【慶祝5.13】修煉の機縁を大切し 同修ともに精進する
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年6月18日】私は1996年に法輪大法を修煉し始めました。当時、私と主人は昼間は学校で教鞭をとり、夜は子供を連れて煉功点に行き、法を学び、煉功しました。暫く経ったころ、私たち一家は病気から解放され、法輪大法は衆生を救い済度する高徳の大法であると心から実感しました。

 忘れられないあの夜の学法

 ある日の夜、私たち20人以上の学習者は20平方メートルの部屋に座って、1人ずつ一段落ごとに法を学んでいました。読み終わると、いつもみんなが交流を始めたことを覚えています。私たちは、人間の生きる目的はただ人間であることではなく、人間の目的は返本帰真だと分かりました。

 みんなで自分の修煉体験を分かち合いました。ある人は、「私は胆石で手術をしなければならなかったので、入院を決めていたのですが、師父の説法を聞いた後、胆石がなくなって病気が治りました」と話しました。また、ある人は「私は若くして癌になり、本当に苦しくて、人生も終わったと思いました。しかし、今の私を見てください。法輪大法を学んでから2カ月足らずで、健康を取り戻しました。私を救ったのは師父です。大法は私の運命を変え、私の家族全員を救いました」と話しました。

 みんなが話していると、暗かった天井のシャンデリアが突然光り、部屋が一気に明るくなりました。誰もが思わず見上げて、「佛光は普く照らす!」「師父の慈悲深い救い済度に感謝します!」と心の底から賛嘆しました。それ以来、皆はしっかりと大法を修め、返本帰真への決意が一層強くなりました。

 「入静」する

 煉功点で、私はよく同修と修煉体験の交流をしました。当時、私は比較的若く、家事もあまりないので、法の勉強と煉功に多くの時間を使っていました。数カ月の間、余暇時間は法を読み、法を写し、法を広め、功法を煉ることに忙しく、私の心身は修煉に専念していました。功法を煉ると、紫色の光、透き通った小さな法輪、深く遠く広大な空間が見えました。

 静功をしているとき、自分が「入静」できると感じたのもその頃でした。佛堂で静功を煉っていたとき、両腕がエネルギーに包まれているようで、体全体が動けない感じがして、殊勝で不思議な感じでした。冬になると皆は家の中で煉功するのですが、私は1人で外で煉りました。外でダウンジャケットを脱いで静功を煉ると、すぐに「入静」状態に入ることができ、暖かく感じ、両手も冷たくありませんでした。師父が私を見守ってくださり、加持して下さっているのだと私は知っていました。

 その頃、私は毎日少なくとも『轉法輪』の二講を学び、煉功点でもう一講の『轉法輪』を集団で学びました。毎日煉功を根気よく行い、『洪吟』と『精進要旨』を暗記しました。『轉法輪』を1回暗記した後は、頭がはっきりして、夜はぐっすり眠れるようになりました。昼間は眠くならず、疲れを感じません。静功を煉るときは入静できるだけでなく、入定できるようになりました。

 修煉というものは、厳粛で素晴らしく、苦難を伴い、偽り一つ許されないものだとつくづく感じました。己の本質を守ることによってのみ、精進を続け、向上し続けることができるとわかっていました。異なる次元には異なる法があり、異なる次元には異なる基準や要求がありますので、私たちは法を真に学び、それを実践することによってのみ、無私無我の次元に到達でき、慈悲の力を深く感じ取ることができると悟りました。

 「世界法輪大法デー」

 私は、家で1人で修煉している時期がありました。その後、私は自ら同修を探しに行きました。出会った同修は私を学法グループに連れて行ってくれました。そこで法を学び、同修と一緒に「三つのこと」を行うことができました。そこで1人の年配の修煉者と出会い、彼と2人で法輪大法の真相を伝えるチームを組みました。それ以来、私たちは毎年の「世界法輪大法デー」に、法輪大法の真相が書かれた垂れ幕を街で掲げ、大法の真実の写真や図を貼ったり、大法の資料を家々に配りました。出かける前に、私たちは大法の真相を伝える妨害する邪悪なものや卑しい鬼を追い払うために、発正念をしました。そのため、大法の真相を伝えることは毎回スムーズでした。パトカーに遭遇しても、私たちは退くことなく、堂々と人々を救うために大法弟子がすべきことを行いました。

 時々、私たちの地区の大法弟子と統一行動もしました。20キロにわたる道路の両側に「法輪大法は素晴らしい」「真・善・忍は素晴らしい」「世界は真・善・忍を必要としている」 「世界法輪大法デーを祝賀」などと書かれた垂れ幕をかけました。これらの垂れ幕は太陽の光に照らされ、ひときわ目を引き、行き交う歩行者や車に乗った人は皆、大法弟子たちに密かに拍手を送り、県全体がこの「法輪大法の真実の回廊」に感動しました。

 ある街の壁に貼ってある「法輪大法デー」の写真は、何年経ってもそのまま壊れず、衆生を救い済度する作用があり、大法の威徳と大法弟子の歴史的使命を果たすことを証明しています。私たちはさらに、大法の垂れ幕を街や橋、河畔、広い道路の両側、高い木の枝などに掲げ、縁のある人々の目につくようにし、善良な人々に大法修煉に入るよう呼びかけています。毎年の「世界法輪大法デー」には、私たちは様々な形で師父への無限の感謝の気持ちを表し、私たちの大法に対する比類ない誠意を伝えています。この歴史の特別な時期に、私たちは法を正すこととともにあり、大法はすべての衆生に計り知れない恩恵を与えています。

 優曇華の花が咲き、聖王が下界に下りてくる

 私たちの学法グループの場所は、夫婦ともに修煉している同修の家にありました。大きな家と広い庭があり、毎日のように多くの人がその同修の家に法を学びに行きました。長い間、一緒に法を学んでいたため、私たちは皆とても親しくなりました。私たちは一緒に法を勉強し、毎週水曜日に『明慧週刊』を読み、時々交流文章を聞いた後、自分が感じ取ったことを分かち合いました。時々、協調の同修が明慧ネットからダウンロードした資料を持ってきて、私たちは交代で交換して読んでいました。

 同修たちは皆、励まし合いました。もし誰かに何かの執着があれば、同修はそれを注意し、その同修に法の上で認識させて向上するのを助けます。もし、誰かが関を乗り越えられなかったり、旧勢力に迫害されたりしたら、同修は率先してその人の家に行って、その同修と一緒に法を学び、その人のために正念を発するのです。その人が一日も早く目を覚まして難関を突破し、妨害を取り除き、正法の進展についていけるようにするのを手助けをします。

 同修・Aさんは古い大法弟子で、80代です。Aさんは『轉法輪』を7、8回も暗唱しましたが、まだ暗唱し続けています。Aさんは元気いっぱいで、顔色もよく、50代に見えます。Aさんは田舎の家を離れ、1人で地方都市にきて、家を借りて住んでいます。学法グループを見つけたAさんは、三つのことを積極的に行っています。いつも遠く離れた田舎に行ったり、市場や公園に行ったりして、大法の真実を伝えています。出かける前に、Aさんはあらかじめ大法の資料を読んでおり、人と対面した時に、その話をします。例えば、「疫病が流行した時、8人の老人が入院し、7人が相次いで死んだが、8人目の老人は心からの九文字を唱えたので、健康を取り戻した」「長年半身不随だった患者が大法の真実を理解し、心からの九文字を唱え始めたら、その日の午後に床から降りることができ、庭の掃除をした」「ある上層部のリーダーの息子が病院で亡くなったと思われたが、そのリーダーは大勢の人の前で『法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい!』と叫び、大法の師父、息子を救ってください!と言うと20分後に奇跡が起こり、その息子は死から生還し、多くの医療スタッフや親戚がこの奇跡的な光景を目撃した。それから数年間、その病院では死者が出なかったのです!」など、大法の奇跡的な物語を話すと、周囲の人々は、大法の資料を求めに寄ってきます。

 ある日、Aさんから法輪大法の真実の話を聞いたある人がAさんに会い、「心からの九文字を唱えたら、十数万もかかって治らなかった足の病気が治ったよ」と話しました。ある人たちは、わざわざAさんのところに行って「三退」することを頼みました。

 B同修も、古い大法弟子です。中国共産党当局に迫害されたため、しばらく修煉をやめました。旧勢力にその隙を乗じられて迫害され、二度も入院し、手足や言語にも支障をきたしました。その後、私たちはよく一緒に法を学び、私はBさんの厳粛な声明を書くのを手伝い、Bさんは修煉に復帰しました。

 B同修は『轉法輪』を暗唱し、毎年、師父の各地での説法を1、2回通読し、毎日朝3時過ぎから功法を煉っています。Bさんはできる限り法を実証し、同修である奥さんと一緒に、自宅に学法グループを作りました。田舎に大法の真相を伝えに行く同修を送るために、Bさんは電動三輪車を買いました。毎年冬になると、私たちは師父の各地での説法を学んでいますが、あまり読めなかったBさんは、今では『轉法輪』をはっきりした言葉で読めるようになりました。

 私たちは、月曜、水曜、金曜に集団で法を学び、交流しています。また毎週、大法の資料を作り、地方や住宅街に行き、大法の資料を配布します。私たちは皆、理性的に三つのことを行い、衆生を救うことを実践しています。2015年、私たち全員が江沢民を告訴しました。二十数年間、皆は法を実証し、修煉の道を着実に歩んできました。

 ある同修の家の柿の木に優曇華の花が咲きました。柿の葉に一房、柿に一房でした。もう一房は冬に家の戸のガラスに咲きました。ある同修は家の服をかけるハンガーに優曇華が咲き、それを学法グループに持ってきて皆に見せました。「優曇華(ウドゥンゲ)は、3000年に1度咲き、3000年を待って咲く。轉輪の聖王の再来のとき、優曇華の花が咲く」という伝説があります。私たちは、この末劫に幸運にも法輪大法に出会い、先史の誓約を果たすことができ、本当に光栄に思います。 

 両親が再び修煉の道に戻る

 私の両親も大法弟子で、早い時期から修煉し始めました。中共の迫害のため、両親は修煉を断念したことがあり、そのため古い病気が再発し、何度も入院しました。私は両親の状況を見て、心を痛めました。実家に帰るたびに、私は両親に大法の真実を話し、大法の番組を見せました。徐々に真実を理解した両親は、再び修煉をすることを決心しました。両親は厳粛な声明を書きました。私は両親の家に大法の書籍、師父の写真、師父の説法の録音、煉功の音楽を持って行きました。毎週の大法の資料も両親に渡しました。両親も、衆生を救うための資料と大法の真実が書かれたカレンダーを配りました。両親は心性が徐々に向上し、健康を取り戻しました。

 去年の冬、両親は都会へ引っ越しましたが、法を学ぶこと、功法を煉ることを忘れず、法に対する認識を高めています。毎日、『轉法輪』を読んだり、師父の説法の録音を聞いたり、一日に2回、煉功をしています。ある日、パトカーが監視するために両親の住むマンションの下で止まりましたが、両親は怖がらずにやるべきことをやり続けました。90歳近い両親は、師父のご加護のもとで大法修煉の道に戻りました。

 延長された歳月で、両親は大法の神聖さを感じ、修煉の機縁を大切にしています。よく『明慧週刊』や大法の内容が書かれた小冊子を読んでいます。同修たちの修煉物語に励まされ、時間を大切にし、前進し続けています。師父の真の弟子となり、使命を全うし、本当の家に帰ろうと思っているようです。

 私の2人の孫もよく「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と唱えています。時には大法の歌も歌ったりしています。孫たちもまた大法と少しずつ同化しているのです。

 結び 

 この28年間の修煉で私は何度も回り道をし、迫害も受けましたが、これからも法を学び続け、精進し続け、大法の真実を伝え、衆生を救いたいと思っています。

 一番苦しい時、私は大法への固い信念を頼りに、一日4、5時間『轉法輪』を暗唱し、毎日長い時間正念を発し、煉功を強化していました。これから、できるだけ外へ出て人に面と向かって大法の真実を伝え、あらゆる環境で自分を錬磨し、人心を取り除き、大法に同化したいと思っています。法をより多く学び、人心を少なくしてこそ、修煉者のあるべき状態に到達できると、私は深く感じています。

 私たちは法に則って常に自分に厳しく要求し、人心、常人の情、常人の念を放縦せず、修煉者の正念を根気よく固めます。自分の本性を守り続け、俗世に身を置きながら、頭に大法にあり、無私無我になれば、大きな成功を収めることができると思います。

 師父の慈悲深い救いに限りなく感謝しています!

 (明慧ネット「5.13」世界法輪大法デーの入選文章)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/5/19/475907.html)
 
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