ミラレパ佛の修煉物語(八)
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 【明慧日本2024年8月14日】ヒマラヤ山脈は古来、修煉者が多く集まる場所であり、人々は質素な生活を送り、歌や踊りを楽しむと同時に、佛法を崇拝していました。その中で、ミラレパ(密勒日巴)という修煉者がいました。佛、菩薩たちは多生曠劫(たしょうこうごう、繰り返し輪廻する長い時間)の修煉によって成就するものですが、ミラレパは一生の中でこれらの佛、菩薩と同等の功徳を成就し、後にチベット密教の始祖となりました。

 (ミラレパ佛の修煉物語(七)に続く)

 レチュンパ(ミラレパの弟子)は再び「上師様は、あなたはどのように苦行をされたのですか? どこで修行されたのですか?」と尋ねました。

 ミラレパ尊者は引き続き話しました。

 翌朝、先生(かつて文字を教えてくれた先生)の息子が私にツァンパ(訳注:ハダカムギを粗挽きにした粉)の詰まった袋と良質の供物を用意してくれました。そして「これはあなたの修行のための供養です。私たちのことを忘れないように願ってください!」と言いました。私はこれらの食物を持って、自分の故郷の裏山にある崖の洞窟で禅定の修行を始めました。水でツァンパを混ぜて非常に節約して食べていましたが、時が経つにつれて身体は非常に衰弱しました。しかし、修行の成果は大いに上がりました。このようにして何カ月も修行を続けましたが、最後には食料が尽き、身体がもう持ちこたえられないほど弱くなってしまいました。そこで、私は「牛場(ぎゅうじょう。訳注:牛のいる場所)に行って少しバターを、田んぼに行って少しツァンパをもらって、この身体を餓死させないようにし、修行を続けるべきだ」と考えました。

 私は山を降りて、近くの牧場に着き、そこに牛の毛のテントが見えました。テントの前で「施主様、ヨーガ行者がバターを求めに参りました!」と声をかけました。なんと、それは偶然にも伯母のテントでした。伯母は私の声を聞くやいなや、怒りに燃えてすぐに猛犬を放って私を襲わせました。私は石を投げて犬を追い払いましたが、伯母は牛毛のテントの柱を持って駆け寄り、大声で「この家を台無しにした張本人め! 親戚の敵! 村の悪霊! 恥知らずめ! 何を求めに来たのだ? お前のような息子を生むとは、良い父親がいたものだ!」と罵りました。

 伯母は罵りながら、手にした棒で私を叩きつけました。私はすぐに逃げ出しましたが、栄養不足で体力が衰えていたため、石に躓いて小川に転げ落ちました。伯母は止めどなく罵りながら、無差別に棒で叩き続けました。必死に立ち上がり、杖に頼りながら涙を流して、伯母に向かって歌いました。

 伯母と一緒に来ていた少女が私の歌を聞き、同情の涙を流しました。伯母も気まずさを感じたのか、テントに戻り、少女にバターとチーズの入った袋を持って来させました。私は片足を引きずりながら伯母のテントを離れ、他のテントに食物を求めに行きました。そこにいた人々とは面識はありませんでしたが、彼らは私を知っており、注意深く観察し、たくさんの良い食物を施してくれました。その時、私は「伯母が私にあのような態度を取るのなら、伯父も私を許さないだろう。別の場所で食物を求めた方が良い」と考えました。

 私は得た食料を持って村の下方に向かいましたが、偶然にも伯父が住んでいる場所に来てしまいました。伯父は私を見つけると、「このろくでなしめ! 家を破滅させた張本人め! 骨と皮ばかりの老いぼれだが、一生探していたのはお前だ!」と叫びながら、石を拾って雨のように投げつけてきました。私は急いで逃げ出しましたが、伯父は家に駆け戻り、弓矢を持ち出して大声で叫びました。「この悪党め! お前のせいでこの村は大変な目に遭った! 近所の皆さん! 敵が来たぞ!」

 多くの若者が伯父の叫びを聞いて集まり、私に石を投げてきました。私は、彼らに殺されることを恐れて、忿怒印(ふんぬいん。訳注:敵からの攻撃に対して守護を求めるための手印)を結び、大声で「教敕伝承派(きょうちくでんしょうは。訳注:佛教の一派)の上師本尊(じょうしほんぞん。訳注:信仰する宗派の中心的な神佛)よ! 兮魯噶具誓大海(けいろかくせいたいかい。訳注:護法神の一つ)よ! 修行者が命を脅かす敵に遭いました! 護法神よ、彼らに黒い矢(くろいや。訳注:護法神が発する強力な呪い)を返してください! 私が死んでも、護法神は死なないのです!」と叫びました。

 皆は恐怖に陥り、何人かは伯父を引き留めました。私に同情する人々も現れ、石を投げていた人々も和解を求めて近づいてきました。彼らは多くの食物を施してくれましたが、伯父だけは最後まで妥協せず、何も施しませんでした。私は食料を持って山洞に戻り、道中で「この村の近くにいることで、彼らの怒りや不安を引き起こしているだけだ。早くこの場所を離れるべきだ」と考えました。

 その夜、夢を見ました。夢は、もう数日ここに留まるように告げているようでした。それで、しばらくの間、ここに留まることにしました。

 数日後、結賽(けっさい:ミラレパの未婚妻)がやって来ました。彼女は良い食物や酒を持ってきて、私を見ると泣き崩れました。彼女は母の死や行方不明の妹の詳細を話してくれました。私はその話を聞いて、涙をこらえきれず、共に泣きました。

 涙をこらえた後、私は結賽に「今も結婚していないのですか?」と尋ねました。

 結賽は「皆、あなたの護法神を恐れて、誰も私を娶りたがらないのです。たとえ求婚者がいても、私は嫁ぎたくありません。あなたのように真の法を修行するのは本当に稀有なことです!」と答え、少し間を置いて、また「あなたの家や田畑はどうするつもりですか?」と尋ねました。

 私は彼女の意図を察し、心の中で「私はこの世を捨てて法を修行しているのは、すべて馬爾巴(マルパ:ミラレパの師)上師のおかげだ。結賽に対しては、佛法のために良い願いを立てるのが最善だ。世俗のことは彼女自身で決めるべきだということを、はっきりと伝えなければならない」と考えました。

 そこで私は彼女に「もし琵達(びたつ)妹に会ったら、家と田畑を彼女に渡してください。彼女に会うまでは、これらの財産をあなたが管理してもいいです。もし琵達妹が確実に亡くなったと分かった場合は、この家と田畑をあなたに差し上げます」と言いました。

 結賽はまた「あなた自身はどうするつもりですか?」と尋ねました。

 私は、「私は苦行者です。鼠や雀のような生活をしているので、田畑は必要ありません。たとえ全世界の財産を持っていても、死ぬ時には何も持って行けません。今、私はすべてを捨てました。それにより、将来も今も幸せです。私の行動は世俗の人とは逆です。これからは私を人間だと思わないでください」と言いました。

 彼女は「では、他の修行者についてはどう思いますか?」と言いました。

 私は「もし佛を学ぶ者が最初から名声や利益を求めて経典を語り、自己の宗派が勝つと喜び、他者の敗北を喜ぶなら、そのような佛を学ぶ者には反対です。しかし、意志が清らかで真摯なら、どの宗派の学者であれ菩提(ぼだい。訳注:悟りの境地)を目指しているので、私は反対しません。つまり、根本的に清らかでない人には賛成できません」と答えました。

 結賽は「私はあなたのように貧しくてみすぼらしい佛教修行者を見たことがありません。これは大乗佛教のどの派の方法ですか?」と言いました。

 「これはあらゆる乗法(じょうほう。訳注:佛教の教え)の中で最も優れた乗法です。世俗の八法(はっぽう。訳注:苦、楽、貧、富、毀、誉、貴、賤のこと。これら八つの要素が修行者の心を煽動するため、八法と呼ぶ)を捨て、一生で成佛する最上の乗法です」

 「あなたの言うことや行動は他の法師(ほうし。訳注:佛教の教えを学びそれを広める僧侶)たちとは違いますね。そのため、どちらかが間違っているのではないかと思います。もし両方とも法であるなら、私はやはり彼らの方が好きです」

 「世俗の人が好む法師たちは、私は好きではありません。彼らの宗義(しゅうぎ。訳注:佛教宗派の教え)は私と同じですが、黄衣(こうえ。訳注:僧侶が着る黄色い法衣)を纏いながら世俗の八法に流される者たちは、結局実質的な意味がありません。たとえ八風(はっぷう。八法と同義)に動かされなくても、成佛の速さには天と地の差があります。これはあなたには理解できないでしょう。要するに、もしあなたが志を立てることができるなら、修法(訳注:修行)に努めるのが最善です。もしできないなら、田畑の管理に専念してください」

 結賽は「私はあなたの家や田畑はいりません。やはりあなたの妹に渡してください。私は佛法を修行したいですが、あなたのような修法は私にはできません」、そう言って彼女は去って行きました。

 また数日後、伯母は私が田宅(でんたく。訳注:田畑と宅地)を要らないと聞いて非常に驚き、「彼が上師の教えに従って田園(でんえん。訳注:農地と田畑)を放棄したと聞いたが、本当かどうか見に行こう!」と考えました。そこで酒食(しゅしょく。訳注:酒と食べ物)を持って私を訪ねてきました。彼女は会うとすぐに「甥よ! 先日は私が悪かった。あなたは佛を学ぶ者ですから、どうか忍耐して許してください! 私はあなたの田を耕し、毎月家賃を納めるつもりです。それでどうでしょう? 田が荒れてしまうのはもったいないでしょう?」と言いました。

 私は「いいですね! 毎月一開[いっかい](注:チベットの重量単位で、一開は約25斤(1斤=500g)に相当します)の食物があればそれで十分です。それ以外はすべて伯母に差し上げます」と言いました。

 伯母は非常に満足して喜んで帰りました。

 さらに2カ月後、伯母が再び訪れて「皆、あなたの田を耕すと護法神が怒って呪いをかけると言っています。どうか呪いをかけないでください」と言いました。

 私は「どうして私が呪いをかけるでしょうか? あなたには功徳があります。どうぞ安心して田を耕し、食物を持ってきてください」と言いました。

 彼女は「それならば安心しました。どうか誓いを立ててくださいませんか?」と言いました。

 私は心の中で「彼女の意図は何だろう? たとえ悪意があっても、これは逆に良い結果を生む縁になるかもしれない」と考えました。そして彼女に誓いを立てました。彼女は大いに喜んで帰って行きました。

 私は山洞で精進して修行を続けていましたが、最大限の努力を尽くしても、暖楽の功徳(だんらくのくどく。訳注:修行を通して得られる理想的な心の状態)を生み出すことができませんでした。どうしたらよいかと考えていたその夜、夢を見ました。夢の中で、私は非常に硬い田を耕していましたが、どうしても掘り起こすことができませんでした。諦めようと思った時、空中に馬爾巴上師が現れて、「息子よ、力を尽くして耕しなさい。勇気を持って前進すれば、硬さを恐れることはない。必ず成功するだろう」と言いました。馬爾巴上師が前で耕し、私は後ろで耕すと、果たして豊かな作物が一面に生えました。

 目が覚めた後、非常に嬉しく思いましたが、また「夢はただの習気(じっけ。訳注:過去の習慣)の現れに過ぎない。凡夫(訳注:悟りを開いていない普通の人)が執着せず重視しないことを、私が夢のために喜ぶのは愚かではないか」と考えました。しかし、この夢は一つの兆しであり、努力して精進すれば必ず功徳を生むことができると確信しました。

 この時、私はすでに護馬白崖窟(ごばはくがいくつ)に行って修行するつもりでした。ちょうどその時、伯母が3斗(さんと。訳注:約54リットル)のツァンパと破れた皮衣(かわごろも。訳注:動物の皮を使って作られた衣服)、1枚の布、一塊のバターと牛油(ぎゅうゆ。訳注:牛脂)を混ぜた団子を持って私を訪ねてきました。彼女は悻悻(しょうしょう。訳注:感情が高ぶっている)とした態度で「これらのものがあなたの田んぼを売った代価よ。これらを持って、私の耳に聞こえず目に見えない遠い所へ行きなさい。村人たちは皆、あなたが私たちにこんなに大きな害をもたらしたと言っているのだから、もしまたあなたがここに戻ってきたら、村中の人々が皆殺されてしまうかもしれないわ! あなたが彼(訳注:護法神)を連れて行かないなら、私たちはあなたと一緒に彼を殺してしまうわよ! だから特に言いに来たの、できれば遠くへ行ってちょうだい! もしどうしてもここにいるつもりなら、彼らは私を殺さないでしょうが、本当にあなたを殺してしまうわよ!」と言いました。

 村人がこんなことを言うはずがないのは分かっています。私は本当に修行している者でなければ、伯母が私の田を奪ったことで呪いをかけるようなことは決してしません。私は呪いをかけないと誓いますが、それは伯母に田を奪わせるためではありません。心の中ではそのように思っていますが、伯母には「私は修行中の身です。修行者にとって最も大切なのは忍辱(にんにく。訳注:苦しみに耐え忍ぶこと)を修めることです。逆境に耐えられなければ、どうやって忍辱を修めることができるでしょうか? もし今夜死んだとしても、田んぼがあっても無意味ですし、この世のどんなものも無意味です。成佛には忍辱を修めることが最も重要です。伯母は私が忍辱を修める対象です。私が正法に出会えたのも伯父と伯母のおかげです。あなた方の恩に報いるために、私はあなた方が将来成佛することを願っています。田んぼを手放すだけでなく、家も差し上げます」と言って、私は一曲歌いました。

 上師の恩徳に依りて、山中に逍遥(しょうよう。訳注:心身ともに安らかな状態)す。弟子の禍福(かふく。訳注:災いと幸せ)、師尊ことごとくこれを知悉す(ちしつす。訳注:知り尽くしている)。

 世人は業に牽かれ(ごうにひかれ。訳注:業によって生き方が左右される)、生死を離るること難し。世法(せほう。訳注:世間の常識)に貪着(とんじゃく。訳注:執着に囚われること)せば、解脱の命根を断つ(げだつのみょうこんをたつ。訳注:輪廻からの解放を断ち切ってしまうこと)。

 世人は悪を為すに忙しく、ついに悪趣(あくしゅ。訳注:地獄道・餓鬼道・畜生道)の苦を受く。貪着と痴愛(ちあい。訳注:迷いから来る欲望)は、人を火炕(かこう。訳注:炭火を使った床暖房)に入れしむ。

 財物を求むるがゆえに、衝突して常に敵を招く。美酒は毒薬の如く、これを飲めば解脱し難し。

 財を愛する伯母よ、若し貪心無厭(たんしんむえん。訳注:貪欲な心を持ち欲望が尽きない状態)なれば、世間の物を嗇吝(しょくりん。訳注:自分の物を惜しむ態度)すれば、餓鬼趣(がきしゅ。訳注:餓鬼道)に堕つるを恐る。

 伯母の所有の言(しょゆうのげん。訳注:同じことを何度も繰り返して話すこと)は、尽く是非の語(つくぜひのご。訳注:結論のない言葉)なり。多言この如きは、汝に実に利あらず。

 一切の我が家の田は、ことごとく伯母に贈る。人は法に依りて浄きを得(ほうによりてきよきをえ。訳注:佛教の教えに従って心の清浄を得る)、佛殿は自心に在り(ぶつでんはじしんにあり。訳注:佛教の教えは自分自身の心の中にある)。

 慈悲で苦しむ霊を度し、災苦は業風(ごうふう。訳注:過去の業がもたらす運命)に運ばる。我は向上者なり、勝って自性を動かさず(かってじせいをうごかさず。訳注:自分の信念を変えずに向上する)。

 大悲(だいひ。訳注:大いなる慈悲)を承くる(うけくる。訳注:継承する)者よ、願わくば弟子を加持したまえ、逍遥として山居(さんきょ。訳注:山中での生活)を得ん。

 伯母は私の歌を聞いて、「お前のような人こそ、本当に修行している人だ!」と言い、満足して山を下りていきました。

 私はこのような刺激を受けた後、人間社会に対してさらに大きな嫌悪の心を抱くようになりました。家や田園を捨てる決心をしたことで、心の中はかえって安らかで平穏でした。そこで、すぐに護馬白崖窟に行って修行することを思いつきました。この崖窟(がいくつ。訳注:崖の中にある洞窟)は私が修行を始め、後に成就を得る場所であったため、後に「発足崖窟(ほっそくがいくつ)」と呼ばれるようになりました。

 翌日、私は田を売って得た品物と身の回りの細々としたものを持って、人々がまだ起きておらず、空がまだ明けない早朝に護馬白崖窟へ向かって歩きました。白崖窟は住むのに非常に適した崖の洞窟でした。到着後、硬い毛氈(もうせん。訳注:羊毛で作られた敷物)を1枚敷き、その上に小さな座布団を置いて禅座しました。準備が整ったところで、誓いの歌を1曲歌いました。

 私は道を証得(しょうとく。訳注:修行によって悟ること)する前は、誓って常にここに住む。たとえ凍え飢えて死ぬとも、衣食を求めには行かない。

 病気になっても、山を下りて医者にかかることはせず、苦しみに耐えて命を捨てるとも、薬を求めには行かない。

 たとえ一刹那(いっせつな。訳注:非常に短い時間)の間であっても、この肉体をもって世間の利益を求めることはせず、ただ身口意(しんくい。訳注:身体による行為、言葉による行為、意識による行為)をもって大覚(だいかく。訳注:完全なる悟り)の位を求めるのみ。

 上師尊(じょうしそん。訳注:尊敬される高位の師)、十方(じっぽう。訳注:佛法が広がるすべての方向)のすべての佛に祈り請う、大いなる加持を賜り、この誓いが違えられぬように。

 勝空行(しょうくうぎょう。訳注:修行法の一種)と護法の守護者に祈り請う、勝縁(しょうえん。訳注:良い結果をもたらす縁)をもって助け、この誓いを成し遂げさせたまえ。

 続けて私は誓いました。「もし私が成就を得られず、特別な証悟(しょうご。訳注:佛の教えを完全に理解すること)を得られないならば、たとえ飢え死にしても食べ物を求めて山を下りることはなく、凍え死んでも衣服を求めて山を下りることはなく、病死しても薬を求めて山を下りることはない。この世の全ての俗世の関わりを徹底的に捨て去ることを決めた。身業(しんごう。訳注:身体による行為)、口業(くごう。訳注:言葉による行為)、意業(いごう。訳注:意識による行為)の三業(さんごう。訳注:身業、口業、意業)を動かさず、一心に修行して成佛を目指す。上師、本尊(ほんぞん。訳注:修行者が最も信仰の対象としている佛)、空行(くうぎょう。訳注:高度な悟りを得た存在)、護法にお願いして、この誓いが成就するように加持を賜りたい。もしこの誓いに違えるならば、正法を修行しない人間として生きるよりも死んだほうがましだ。だから、一旦誓いに違えたならば、護法にただちに私の命を断つようにお願いする。私が死んだ後は、上師本尊に加持をお願いし、正法を修行できる人間に生まれ変わることを願う」

 誓いを立ててから、毎日少しのツァンパを食べるだけで、日々苦しい修行を続けました。

 私の心は大手印を理解し実践を始めた状態でしたが、食べ物が少なすぎたため、体力が不足し、気の流れが調わず、暖楽(だんらく。訳注:深い瞑想状態)を感じることができず、身体が非常に寒かったのです。そこで、上師に一心に祈りました。ある夜、光明(こうみょう。訳注:光を思い描くことで悟りの状態へと導く法)の中での覚受(かくじゅ。訳注:対象をありのままに認識できるようになること)の中、馬爾巴上師が多くの女性たちに囲まれて会供(えぐ。訳注:供養の儀式)を行っているのを見ました。その中の一人が「あのミラレパが、暖楽を生じられなければどうするのか?」と言いました。馬爾巴上師は「彼はこのように修行すべきだ」と言って修行の姿勢を見せてくれました。目が覚めた後、その教えに従って六灶印(ろくそういん。訳注:身体を組み合わせて六つの三角形を作る座禅法)を結びました(これは特別な座り方です)。身体の痛みからの解放を得るために、呼吸を調え、命根風(めいこんふう。訳注:人間の意識作用を八つに分類したものの基盤)を持って語業(ごごう。訳注:言葉によって行われる善悪の行為)を束ね、自然な解脱の方法で妄想を調伏(ちょうぶく。訳注:妄想を抑え正しい道に導くこと)し、心を広く保ちました。このように修行した結果、確かに暖楽が生じました。

 このようにして1年が過ぎた頃、心の中で外に出て散歩し、村を歩いてみたいと思うようになりました。ちょうど出かけようとした時、以前に立てた誓いを思い出しました。

 自分を励まして、さらに昼夜を問わず勇猛精進し、道行(訳注:修行の成果)はさらに成長しました。このようにしてさらに3年が過ぎました。

 私は1年に1袋のツァンパだけを食べていましたが、数年が経つうちにそのツァンパもついに無くなってしまいました。これでは飢え死にするしかないと思いました。世の人々は貴重な人身(じんしん。訳注:人間の身体)を財を求めることに費やし、少し得れば喜び、失えば苦しむ。本当に哀れです。三千大千世界の黄金(さんぜんだいせんせかいのおうごん。訳注:宇宙全体の黄金)でさえ、成佛の事業(じょうぶつのじぎょう。訳注:悟りに至るための修行)と比べれば実に取るに足らないものです。もし成佛せずにこの身体を無駄にしてしまうのは本当に惜しいことです。では、命をつなぐために少しの食べ物を探しに行くべきでしょうか? 同時に以前の誓いを思い出し、果たして下山すべきかどうか考えました。熟慮の末、今外に出るのは遊びのためではなく、修行に必要な資糧(訳注:修行に必要な物)を得るためであり、この行為は誓いに違反するどころか、むしろ正しいことであると判断しました。少しの苦行の資糧を求めるために、護馬白崖窟の外に出かけました。

 そこは一望広々としており、日光が温かく、清らかな渓流が流れ、草地には青々とした青草と緑の野イラクサが一面に広がっていました。これを見て非常に喜び、『これなら下山しなくてもいい、野イラクサだけを食べていけばよい』と思いました。それ以来、野イラクサを食べて日々を過ごし、修行を続けました。

 しばらくして、外に着ている服は破れて布切れも残らないほどになりました。また、野イラクサだけを食べ続けたために、身体は骨だけになり、髪と毛穴も野イラクサの影響で緑色になっていました。

 上師からくださった錦の袋に入った護符を思い出し、その護符を頭の上に戴いて、心の中で言いようのない喜びを感じました。食べるものは何もありませんでしたが、まるで美味しい食べ物を食べたかのように、非常に心地よく満たされました。護符を開けて見ようかと思いましたが、まだその時期ではないという兆しがあったので、開けませんでした。このようにしてさらに1年が過ぎました。

 ある日、一群の猟師が猟犬を連れて狩りをしていましたが、何も獲物が取れず、偶然に私の洞窟の前に来ました。彼らは私を見て驚いて叫びました。「お前は人か鬼か?」

 「私は人間であり、修行中の者です」と私は答えました。

 彼らは「どうしてこんな姿になっているんだ? どうして全身が緑色なんだ?」と言いました。

 「それは長い間イラクサを食べ続けたからです」

 「修行用の食べ物はどこだ? お前の食べ物を貸してくれ、後でお金を返すから。もし出さなければ、お前を殺すぞ!」と言って、彼らは洞窟の中をくまなく探し、私を激しく脅しました。

 「私はイラクサ以外何も持っていません。もし持っていたとしても、隠す必要はありません。修行者にとって、食べ物を供養されることはあっても、修行者の食べ物を奪うことはないと信じているからです」

 その中の一人の猟師が「修行者に供養すると何の利益があるんだ?」と言いました。

 私は「修行者に供養することで福が来るのです」と答えました。

 彼は笑って「いいだろう! じゃあ、一度供養してやるよ!」と言って、私を座から引きずり降ろして地面に投げつけ、また持ち上げて宙に放り投げ、再び地面に叩きつけました。このように投げつけられて、痩せ細った私の体は耐えられず、非常に痛みました。しかし、彼らが私を侮辱しても、私は彼らに対して慈悲の心を抱き、とても哀れに思い、涙が止まりませんでした。

 そばに座って私を侮辱しなかったもう一人の猟師が「おい、そんなことはやめろ。彼は本当に苦行をしている修行者だ。たとえ彼が修行者でなかったとしても、こんな痩せこけた人をいじめるのは英雄とは言えないだろう。しかも、私たちの空腹は彼のせいではない。こんな無意味なことはやめろ」と言いました。そして私に向かって「ヨーガ行者よ、私はあなたを本当に尊敬しています。私はあなたを乱しませんでしたので、私を守ってください」と言いました。その私を侮辱した猟師も「俺はもう十分に供養してやったんだ。だから、お前も俺を守ってくれよ!」と言って、彼は笑いながら立ち去りました。

 私は呪術をかけたりはしませんでしたが、おそらく三宝の罰(さんぽうのばつ。訳注:三宝[佛、法、僧]を害する行為に対する罰)か、彼自身の悪行の報いでしょう。後に聞いた話では、その猟師はある件で法官(ほうかん。訳注:裁判官)に死刑を宣告されました。私を侮辱しなかった猟師を除いて他の者たちも、重い罰を受けました。

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2000/12/28/5842.html)
 
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