ミラレパ佛の修煉物語(十)
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 【明慧日本2024年8月20日】ヒマラヤ山脈は古来、修煉者が多く集まる場所であり、人々は質素な生活を送り、歌や踊りを楽しむと同時に、佛法を崇拝していました。その中で、ミラレパ(密勒日巴)という修煉する者がいました。佛、菩薩たちは多生曠劫(たしょうこうごう:繰り返し輪廻する長い時間)の修煉によって成就するものですが、ミラレパは一生の中でこれらの佛、菩薩と同等の功徳を成就し、後にチベット密教の始祖となりました。

 (ミラレパ佛の修煉物語(九)に続く)

 その頃、伯父は故郷ですでに亡くなっていました。彼が亡くなった後、伯母は心からの懺悔の念を抱き、大量の物を持って布林(ふりん)を訪ねてきました。彼女は持ち運べない物を村に預け、背負える物だけを持って山に登ってきました。琵達(びたつ:ミラレパの妹)は外で伯母が来たのを見てすぐに私に言いました。「お兄さん、伯母が来たよ! 彼女にはとても苦しめられたから、死んでも会いたくないよ!」そう言って外に飛び出し、山の洞窟の前にある吊り橋を引き上げました。

 伯母は橋の端まで来て「姪よ、どうか橋を上げないでください、あなたの伯母が来たのです!」と叫びました。

 琵達はそれを聞いて「あなたが来たからこそ、私は橋を上げたのです!」と言いました。

 伯母は「姪よ、それも仕方のないことです。私は今、本当に以前のあなたたちへの非礼を悔やんでいます。それで特に謝罪に来ました。兄妹に会いたいと思っています。もしどうしても私に会いたくないなら、せめてお兄さんに私が来たことを伝えてください」と言いました。

 この時、私も崖の端に座りに行きました。伯母は私を見て、何度も礼をし、会ってほしいと懇願しました。私は心の中で「もし彼女に会わなければ、佛を学ぶ者ではない。しかし、彼女にまず懺悔させるのが良い」と思って彼女に「私はすべての親戚との関係を断ちました。特に伯父と伯母とは断絶しました。以前あなたたちが私たちに与えた苦痛、そして私が修行して托鉢している時もあなたたちは私を許さず、多くの苦痛を与えました。私はあなたたちとの関係を断絶することを決めました」と言いました。

 伯母はそれを聞いて、大声で泣き、私に何度も礼をし、涙ながらに「甥よ、あなたの言うことは全く正しい。どうか私を許してください。私は今、本当に心から懺悔しに来ました。心から悲しみ、親族への愛情を捨てることができず、兄妹に会いに来たのです。どうか私に会ってください。さもなければ、私はここで自殺することを決めます」と言いました。

 私は心が痛み、吊橋を下ろそうとしました。しかし、琵達は私の耳元で小声で会わない方が良い理由をたくさん言いました。私は「通常、戒律を破った人と一緒に水を飲むことすら困難ですが、今回の件は佛法における戒律とは関係ありません。私は修行者です。どうしても会うべきです」と言って吊橋を下ろし、伯母が渡るのを待ちました。そして因果の法(訳注:善い行いは良い結果を、悪い行いは悪い結果をもたらすという教え)を広く説きました。

 伯母の心は完全に変わり、佛法の教えに従うことを誓いました。それ以降、教えに従って修行し、とても良いヨガ行者となり、解脱を得ました。

 ミラレパ尊者がここまで話して、希哇俄(きわが)行者が尊者に「師父が法を求め、師の教えに従う際に、あれほど師を敬い、信じ、苦しみに耐えました。そして法を得た後、山中であれほど精進して修行されました。どの側面から見ても、私たちには到底できないことです! 私たちはこの法を修行することに自信がありません。しかし、煩悩と輪廻から解脱できないのはどうしたら良いのでしょうか?」と言って、大声で泣き始めました。

 ミラレパ尊者は「失望してはいけません。あなたに教えますが、輪廻と三悪道(畜生道、餓鬼道、地獄道)の苦しみを常に思い浮かべるならば、自然と精進の心と法を求める心が芽生えるでしょう。心を持つ者は、因果の法を聞いて信じるならば、必ず私のように精進して修行することができるのです。佛法に対して極めて深い信仰が生じなければ、単に理論を理解するだけでは役に立ちません。そのようでは、誘惑に動揺することなく常に心の平静を保ち修行に励むことは難しいのです。だから、佛法を学ぶには、まず因果を信じることが第一です。因果報応を信じない人たちは、口では聖理二量(聖教量:佛様の教え、理量:自分で理性的に推測する結果)に合致する空性(くうしょう。訳注:すべてのものは実体を持たず空であるという教え)について話しても、それはただの口先だけで、実際には何の価値もありません。なぜなら、空性は非常に微妙で理解しがたく、信じがたいものだからです。もし空性に対して確固たる佛教の教えの理解が生じるならば、因果に基づいて空性を理解することができるでしょう。したがって、善悪の行為を選別し悪行を避け善行を行うことに、特に注意しなければなりません。ですから、すべての法の根本は因果を信じ、善行に励み悪行を避けることです。これが佛法を学ぶ上で最も重要なことです。私は最初、空性を理解していませんでしたが、因果に対しては確固たる信念を持っていました。自分が大きな悪業を犯したため、将来地獄道・餓鬼道・畜生道に堕ちることを知り、心に恐怖が生じました。そのため、上師に対する敬虔な信仰と修行の精進は自然にできるようになりました。あなたたちも私と同じように、山中で一人で密教を修行するべきです。そうすれば、必ずや解脱と成就が得られることを保証します!」と言いました。

 そこで、ツァンドゥン・バプティラツォは尊者に「上師! あなたは間違いなく、大日如来の化身です。衆生を救うために人間界に現れ、このような価値の高い成果を示されました。さもなければ、少なくとも無限に続く長い時間にわたって佛道を修行し、一度到達すれば二度と退転することのない境地に登った大菩薩であるはずです。あなたは法のために、命を惜しまず修行され、その行動のすべてが非凡な菩薩であることを示しています。尊者のような苦行と忍耐は、我々悟りを開いていない普通の弟子には到底真似できません。考えることすらできないのです。仮に学びたいと思っても、身体が耐えられません。だからこそ、上師であるあなたは間違いなく佛菩薩の化身です。私たちはあなたのように修行することはできませんが、上師にお会いし法を聞くことができるだけで、輪廻から解脱できることは間違いありません。どうか、あなたがどの佛菩薩の化身であるか教えていただけませんか?」と尋ねました。

 尊者は「私自身も自分が誰の化身か知りませんが、恐らく三悪道の化身かもしれません。あなたたちが私を大日如来として信じるならば、確かに加持を得られるでしょう。しかし、私が化身だと思うのは、私に対する純粋な信仰ではありますが、法に対しては非常に大きな誤った見解になります。これはあなたたちが偉大な佛法を修行することで得られる結果を理解していないためです。例えば、私は元々悟りを開いていないただの普通の人であり、前半生には大きな悪業を行いました。しかし、自分の業が原因となり生じる因果の報いを信じ、今世の全てを捨て去り、一心に修行したため、今では成佛の段階にそれほど遠くないと言えます。特に、条件を具備した上師に出会い、その導きを受け、密教の核となる教えの口訣と、言葉では説明しきれない、真の自己を明らかにする最も重要な教えを得て、法に従って修行したことで、即身成佛は確実です。もしこの生で悪業と最も重い罪を積極的に行えば、命が終わった後、必ず無間地獄に堕ちることになります。これは因果を信じず、精進して修行しない結果です。内心の深くから因果の道理に対する確固たる信心を生じ、悪道の苦痛を恐れ、無上の佛果を希求するならば、誰でも私と同じように上師に対する絶対的な敬虔さを持ち、修行時に最大の努力と覚悟を持つことができるのです。これは誰にでもできることです。あなたが言うような佛菩薩の化身とは、密教を正確に理解していないからです。あなたたちはもっと過去の偉大な修行者たちの伝記を読み、輪廻の理を思索し、人身の得難さと寿命の無常を常に覚えて、努力して修行すべきです。私は名誉や衣食を顧みず、大きな勇猛心を発して、大きな苦痛を忍び、人のいない山中で独り修行し、その結果、強い意志を持って修行して得た悟りによる成果を得ました。あなたたちも私と同じようにしっかりと修行してください」と答えました。

 レチュンパが「尊者! 佛教の教えを広めるためのあなたのこれらの活動は、まことに価値が高く貴重であり、驚嘆に値します。しかし、あなたのお話はすべて悲しく涙を誘うものばかりです。今度は何か喜ばしい話を聞かせてくださいませんか?」と言いました。

 尊者は「喜ばしい話ですか? それは精進によって得られた成果、人間と非人(非人とは人間以外の精霊、阿修羅や他の鬼神を総称する)の超度(ちょうど。訳注:悟りの境地へと導くこと)や人々を悟りの境地に導くための努力と成果でしょうか」と答えました。

 レチュンパが「尊者は最初に人を超度されたのですか? それとも非人を超度されたのですか?」と尋ねました。

 尊者は「最初は多くの非人が私に挑戦してきたので、彼らを降伏させ、その後に超度しました。その後、多くの人間の弟子たちを超度しました。最後に長寿王神女(ちょうじゅおうしんにょ。訳注:長寿を司る女神)が神通力を示して私に挑戦してきたので、彼女をも超度しました。私の教法は非人の中では長寿王神女が引き継ぎ、大いに広めます。人間の中ではウバ・トンバ(岡波巴大師)が弘揚し、大いに広めます」と言いました。

 色問惹巴(しきもんしゃは)が尊者に「尊者! あなたの主な修行場所は那其貢雪山(なきこうせつざん)と曲巴(くっぱ)の2カ所ですが、それ以外にも修行された場所はありますか?」と尋ねました。

 尊者は「私が修行した場所は、ネパールの約莫貢惹(やくばくこうじゃ)と六つの有名な山窟(さんくつ。訳注:山の中にある洞窟)、六つのあまり知られていない山窟、六つの秘密の山窟、さらに他の2カ所の山窟を合わせて合計20カ所です。さらに四つの有名な大山窟と四つのあまり知られていない山窟、そして他の様々な場所の小さな洞窟があります。これらの場所で修行した結果、私は「すべての固定概念がなくなった究極の解脱の状態」に到達しました。今では修行すべきものは何もありません」と答えました。

 レチュンパが「尊者のすべての存在に対して深い慈悲を持つ最高の境地により、私たち弟子たちは揺るぎない正しい理解と確固たる信心を得ました。私たちは心から喜んでおります。尊者、ありがとうございます」と言うと、尊者は「これらの山窟で修行すれば、修行によって良い縁に恵まれ、佛教の教えが途絶えることなく受け継がれていく力を得ることができます。あなたたちはこれらの場所で修行すべきです」と言いました。

 尊者が話を終えると、法会に参加していた信者は皆、佛法に対する信仰と世俗を厭(いと)い解脱を求める心、そして慈悲心を抱きました。皆、世間の八法(せけんのはっぽう。訳注:世俗的な生活の中の利得、損失、楽、苦、称賛、非難、名誉、不名誉)に対して強い嫌悪感を抱き、正法への敬虔な憧れを持ちました。

 尊者の主要な弟子たちは、世俗の欲望を断ち切り、生涯精進して法を修め、衆生を苦しみから救い幸せへと導くための活動を行うことを誓願しました。修行者を助ける神々もまた、佛法を護持することを誓願しました。世俗の聴衆の中には、多くの優れた根基を持つ者が尊者の教えに従い、弟子となり、法に従って修行し、最終的には最も高い悟りの境地に達する瑜伽行者となりました。中程度の根基を持つ者たちは、月単位や年単位で専心して法を修行することを願いました。根基が比較的低い者たちもまた、生涯悪事を行わず、常に道徳的に正しい行いを実践することを決心しました。法を聞くために参加した大衆は、皆、最終的な利益を得ました。

 以上は尊者自身が述べた伝記であり、彼の弟子たちによって記録されたものです。尊者の生涯の事績(じせき。訳注:成果)は、詳細に述べると三つの大きなカテゴリーに分けることができます。第一に、非人の霊的存在が尊者に挑戦し、尊者がそれらを降伏させ、超度した事績。第二に、佛法を正しく理解し修行に励むことができる資質を持つ主要な弟子たちへの教化(きょうか。訳注:悟りを開かせるための教え)とその成功の事績。第三に、一般の弟子や普通の世人に対する説法およびその他、人々の様々な状況に合わせた方法で佛法を説いた事績です。

 第一、非人を教化する事績について、大まかに述べると次の通りです。

 尊者は紅崖谷(こうがくこく)で魔王ビナヤガを降伏させ、その際に上師を念じることを中心とした六種の修行法を説きました。その後、尊者は馬爾巴(マルパ:ミラレパの師)上師の指示に従い、那其貢雪山で修行しました。那其貢雪山で多くの山の霊的存在を正しい道に導き、そこで那其去宋法要(なきくそんほうよう。訳注:ミラレパが那其貢雪山で説いた教え)を説きました。翌年、尊者は那其貢雪山の洞窟に赴き、著名な「雪山大歌集」を説きました。さらに貢通(こうつう)の飲哇崖(いんわがい)に戻り、「魔母歌集(まぼかしゅう。訳注:魔の根源となるような存在を対象として説いた教えを歌集にしたもの)」を説きました。その後、徳燃山(とくねんざん)の惹馬菩提窟で女神を降伏させ、「降神歌要(こうしんかよう。訳注:神々を鎮め佛法に帰依させるための教えを歌の形で簡潔にまとめたもの)」を説きました。次に、展利虚空窟(てんりこくうくつ)や生嗄那森林狮虎窟(しょうがなしんりんしこくつ)に赴き、多くの人と非人を正しい道に導きました。やがて尊者はチベットに戻り、深山に常住して修行しながら衆生を教化しました。チベットの貢通のある山窟で「鴿詩集(かくししゅう。訳注:人々を悟りへと導くための教えを歌集にしたもの)」を説きました。

 第二、尊者が主要な弟子たちを教化した事績について、簡略に述べると次の通りです。

 尊者は白崖金剛窟に居住し、広く衆生を苦しみから救い幸せへと導きました。その際、金剛瑜伽母(こんごうゆがぼ。訳注:密教の本尊の一人)は尊者に対して、弟子たちが未来に達成するであろう重要な成果について予言し、高度な教えが空行によって口頭で伝えられた弟子であるレチュンパ金剛称(こんごうしょう。訳注:堅固な悟りの心を持ち佛の教えを広める者)に特別な導きを与えました。尊者は貢通普利崖(こうつうふりがい)に向かう途中でレチュンパに出会いました。後にレチュンパはインドに病気治療に赴き、帰国後は尊者と共に雍普光明窟(ようふこうみょうくつ)に住みました。

 後に那其貢雪山に戻り修行し、空行母(くうこうぼ。訳注:悟りを得た女性の密教修行者)の指示で的色に向かう途中、当巴甲普(とうばこうふ)に会いました。その後、的色に向かい、神通法力で那若般瓊(なにゃはんけい)を降伏させました。空行母の指示に従い、密洞麻母窟(みつどうまぼこく)を発見し、数日間滞在しました。その際、羊飼いの子供である楽則惹巴(がくそくじゃは)に会い、彼は後に大成就を得ました。来普蓮花崖(らいふれんかがい)では謝貢惹巴(しゃこうじゃ)に会い、彼は善妙な飲食で尊者を供養しました。尊者の名は十方に広まりました。

 また、度母(どぼ:慈悲の女神)の導きにより、尊者は可可馬国王(かかまこくおう)を教化し、国王は常に尊者を供養しました。その後、レチュンパと謝貢惹巴は尊者を迎えに来て、那其貢雪山多念元窟(なきこうせつざんたねんげんくつ)に戻りました。再び曲巴に赴き、長寿女(ちょうじゅじょ:生命力を司る女神)に長寿女王歌集(ちょうじゅじょおうかしゅう。訳注:長寿女を讃える歌集)の教えを授けました。後に尊者は鴨龍著普(おうりゅうちゃくふ)に住み、インドの打磨菩提(だまぼだい)が参見に来ました。このような様々な縁によって尊者の名はますます大きく広まりました。

 ある博学で弁舌に優れた喇嘛が尊者と議論し、尊者は神通力で彼を服従させ、レチュンパの教えを補完する歌集を説きました。尊者は著馬託顕(ちゃまたくけん)に赴きましたが、その際、インドから帰国したレチュンパを迎えに行き、特別な教えを伝えました。その後、亭日の吉祥快楽坡(きっしょうかいらくは)では、釈迦牟尼が悲華経(ひけきょう。訳注:この世で成佛することが可能であるという教えを示した経典)で導いたダウーシュンヌに会いました。彼は衆生のために医師として人間界に生まれ変わり、ガムポパ(訳注:ミラレパの意を継いでチベット佛教四大宗派のひとつであるカギュ派を確立した)と称されました。

 また、曲巴の俄馬瓊(がばきょう)に住む際には、以前尊者を敵視していたロトン・ゲンドゥンを教化しました。結普太陽窟(けつふたいようくつ)では折頓吉祥光(せっとんきっしょうこう)に会いました。男性僧侶たちの中で、里果普汝(りかふじ)が尊者を礼拝したため、大衆もまた佛教の教えに従いました。

 空行母はかつて、尊者の弟子の中には25人が大成就を得るであろうと予言しました。その中で如心弟子(にょしんでし。訳注:師の教えを深く理解している弟子)は8人、師の教えを忠実に守り日常生活で実践している弟子は13人、女性の弟子は4人でした。その教化の過程は「大歌集」に詳しく記載されています。

 第三、尊者のその他の佛教の教えに基づいて行った成果については以下の通りです。

 歌や様々な記録に記載されている内容と、秘密の各山窟で如心弟子に会った時間には若干の違いがあります。その中には、男性僧侶の質問に答えたり、弟子の質問に答えたりする歌頌(かしょう。訳注:佛教の教えを歌の形で表現したもの)が含まれています。ウバ・トンバと共に住んでいた時に言った、ボン教(訳注:佛教がチベットに伝わる以前から存在していた宗教体系)を降伏させる歌頌もあります。鴨龍では灌頂や開眼などの歌頌、また咱馬謝多与来色(ざんましゃだよらいしょく。訳注:歌頌の一つ)の歌頌、無惧楽死歌(むぐらくしか。訳注:死を一つの悟りの段階として迎えるという佛教的な教えを表現した歌)も詠んでいます。後にレチュンパと那其(なき)に行った時には、魔を降伏させる歌や憂いを除くための歌を歌いました。その後、悟りの境地を他者に伝えるための歌を歌いました。弟子たちの丁重な招きにより鴨龍著普に住み、尊者はレチュンパの請いに応じて自らの伝記を語りました。

 空行獅王佛母(くうぎょうしおうぶつも:チベット佛教の女性本尊)の支援によって、インドの大成就者である当巴桑結(とうばさんけつ:チベット佛教におけるインドの聖者)が尊者と貢通で会いました。来醒(きしょう)では死の苦しみから解放されるための道を示す歌や母親への感謝と恩返しの気持ちを詠んだ歌を歌いました。鴨龍の人々には輪廻転生から解放されることを詠んだ歌を歌いました。去俄(きょが)では悟りの頂点に達する歌を歌いました。曲巴では人間の後世に関する歌や真言をより深く理解するための歌を歌いました。弟子たちを喜ばせるために、さらに神通を通じて達成した成果を示しました。

 尊者は種々の方法を用いて大法輪を回し、不思議な方法によって、数えきれない上根基(じょうこんき。訳注:修行の素質が優れている人)・中根基(ちゅうこんき。訳注:成就に向けて努力を続けることが期待される人)・下根基(げこんき。訳注:悟りに対する素質が低い人)の縁がある衆生が悟りに向けて進む過程を支援し、解脱させました。上根基者は大成就を得、中根基者は道を成し、下根基者もすべての衆生を救いたいという強い意志を発し、菩薩のような心をもって修行を行いました。根基のない者にも善い行いや心を育むための知恵を広くまき、彼らがこの世や天界での幸福を享受できるように導きました。尊者の慈悲心は広大で無限で制限がなく、光輝く佛法は旭日が天に昇るようです。多くの衆生から、悪業を積んだ者が生まれ変わるとされる苦しい世界での苦しみを取り除き、輪回の束縛から脱し、輪廻の苦しみの中で大いなる救済となり、大いなる救い手となりました。その恩徳と業績は誠に測り知れません。

 尊者は多くの衆生を導く活動を行い、最後に亭日という場所で、操普博士(そうふはくし:チベット佛教の学位を持つ人物)という行者に出会いました。操普博士は財を愛して命のように大切にしていましたが、彼が学者であったため、亭日の住民は彼を非常に敬っていました。宴会の際には、いつも彼を最上座に座らせました。彼が尊者に会った時、彼は表面上は尊敬と信仰を示しましたが、実際には妬みを抱いていました。何度も信者の前で尊者に難題を投げかけ、尊者を困らせようとしましたが、いつもうまくいきませんでした。

 ある年の秋の初めの日、亭日の村民は大宴会を開き、尊者を最上座に座らせ、操普博士を第二位に座らせました。

 操普博士は信者の前で尊者に礼をしましたが、尊者は普段から上師以外には誰にも礼をしない習慣があり、操普博士には礼を返しませんでした。これに不満を抱いた操普博士は、心の中で「私は博学多才な学者で、彼のような無学な者に礼をしたのに、彼は礼を返さず、堂々と最上座に座っているとは、何たることだ。報復しなければならない」と考えました。そこで因明論(いんみょうろん。訳注:インド佛教で発達した論理学の一分野)を尊者の前に置き、「この本を一字一句に対して解説を行い、疑問に答え、見解を述べ、評価を加えてください」と言いました。

 尊者は「論典の語義は君も解説できるだろうが、真の意味は世間の八法の欲望を克服し、執着を降伏させ、輪回の苦しみから解放され涅槃に至る境地に達し、佛教の教えを理解し自分自身の心を清める状態にすることだ。それ以外の哲学や論理学には大きな用はないので、私は学んだことがないし、学んだことがあっても忘れてしまった」と答えました。

 操普博士は「あなた方のような修行者はそういう答え方をするが、我々は論理的な思考に基づいて考えるので、あなたの行動や発言は佛教の基本的な教えに基づいておらず、表面的な善意や礼儀に過ぎない...」と言い続けました。

 施主たちはこれを聞いて大いに不満を抱き、一致して「博士、あなたがどれだけ佛法を知っていようと、あなたのような人間は至る所にいる。世界中を満たしても尊者のほんのわずかな部分にも満たない。黙って上席に座り、財産を増やすことを考えなさい。法会で恥をかくのはやめなさい」と言いました。

 これを聞いた操普博士は怒り狂いましたが、群衆の怒りを恐れて反発することができず、心の中で「この無学なミラレパは行動が狂っており、口から出任せを言い、人々を欺いて供養を受け、佛法を辱めている。私は学問と名声と財産を持っているが、法の前では皆が私を犬よりも劣ると見るとは何たることだ。何か手を打たなければ」と考えたのでした。

 (続く)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2000/12/30/5861.html)
 
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